犬馬之労(けんばのろう)
→ 主人や他人のために力を尽くして働くことを謙遜していう言葉。
Give and Take(ギブアンドテイク)という言葉がある。
この概念を大切にしましょうということは、どこかしらで聞いたことはあるだろうが、これでは上手くいかないと言い切っていい。
というのも、大切にすべきは、Give and Give(ギブアンドギブ)なのである。
もっというと、Give and Give and Give and Give and…くらいの気持ちが必要だということを主張したい。
信用を生み出すためには、とにかく相手に尽くすしかない。
けれども、それを尽くしているんだという意識があるうちは、Giveにはなっていないということである。
信用と信頼の似て非なる概念
序盤からくり返しになるが、Give and Take(ギブアンドテイク)という言葉を意識したり、そういうマインドが大切だといっている時点で、言動に繋がることはない。
あくまで自然発生的に、この概念が身体に染みついていなければ信頼関係など生まれるはずがないのだ。
あれだけやってあげたのにという言葉を使っている人や、言葉にして発さないにしてもどこかでそれを思っているような人は、相手のためを想っているようで、実は全く想っていないのである。
ここに信用と信頼の壁が生まれるわけだ。
以前にも何度か同じ題材を取り上げていると思うが、信用と信頼は大きく異なる。
大切な概念なので、時間のある人はしっかりと紹介したブログも読んでもらいたいところだが、一言で、信用と信頼の違いを説明すると下記のとおりだ。
信頼とは他者を信じるにあたり条件を付けないことだ。
つまり、信用よりも信頼の方が上の概念になるということである。
もう少し詳しく書くとすると、信用が積み重なっていくには、それ相応の実績というか客観的な材料がなければいけない。
その先に信頼が生まれていくというわけだが、相手をとにかく信じ切っていることが信頼と定義されるというわけだ。
このマインドが、Give and Take(ギブアンドテイク)を結果的にもたらすわけで、信頼の状態は、まさに上述したGive and Give and Give and Give and…の状態というわけだ。
それも、その意識をしておらず、あの人なら大丈夫だと勝手に動くのである。
わかりやすく、1つの例を挙げておこう。
例えば、このブログを読んでくれているあなたに、私が10万円を理由を聞かずに貸して欲しいと訴えたとする。
よっぽどお金に余裕がある人、なにか利害関係をつくりたい人くらいしか、お金を貸そうとはしないだろう。
至極当然で、お金を貸さない理由は、返ってくる保証がないからである。
一方で、両親や兄弟といった親族や付き合いの長い親友から同じように10万円を貸して欲しいと頼まれたとしよう。
すぐに貸すという行動を起こす人も多いはずだ。
私とお金を貸してもいいと思った人との差が、まさに信頼なのである。
私にお金を貸してもいいと思った人は、私を信頼しているというよりは、信用しているのである。
まずはしっかりとこの違いを理解する必要がある。
相手に尽くすということの意味
ここで相手に尽くすということについても、今一度、しっかりと考えてみて欲しい。
散々説明してきた、信用ではなく信頼が相手に尽くすということと、ほぼほぼ一致すると考えていいだろう。
となると、私はあの人のためになにかやってあげているという意識がある時点で、良くても信頼ではなく信用に近いところの関係だということが理解できるだろう。
咄嗟に瞬時に、なんの見返りもなく言動できることが相手に尽くすということなのである。
その人が本当にその人のために尽くしているかを判断するのに、とても簡単な方法があることに私は気づいている。
それは、会話をすれば一発でわかる。
あえて、チラホラと匂わせるような言い方をしてきていることに、勘のいい人は気づいただろう。
◯◯してあげるとか、◯◯してあげている、◯◯してあげたという言葉を使っている人は、心の底からというかなんの見返りもなく相手に尽くしていないのである。
そんなことはないという反論があることも承知でこの主張をしているが、この感覚がある以上は、少なからず相手に見返りを求めていると断言できる。
なにもそれは、金銭的なものだけではなく、言葉であったり行動であったりと様々だが、どこかで自分の言動に対して全部ではなくても返ってきて欲しいものが少なからずあるはずだ。
何度もしつこくいうが、そんな意識をしていないと思うかもしれないが、潜在的にそういった意識が必ずある。
乱暴な言い方をすれば、この上ない上から目線の言葉が、◯◯してあげるとか、◯◯してあげている、◯◯してあげたといった言葉たちなのである。
本当に相手のためを想っていれば、結果として尽くすということになるには、そんな傲慢な態度など微塵もないはずだ。
私は、このことに気づいていない人があまりにも多いからこそ、現代社会の炎上やクレームの質が変わっているとすら考えているわけだ。
信用関係と信頼関係を築くための第一歩
ここで私は心がけていることがある。
それは、自分自身が◯◯してあげるといった言葉遣いをしないということだ。
実は、これを意識するだけでなく実践することで、大きく意識がかわる。
まず、傲慢さというか上から目線的なものがなくなる部分が大きい。
何度もいうが、無意識に◯◯してあげるという言葉を発していることに問題があるのであって、その根本にはなにかしらの見返りがあるという部分がなくなるわけだ。
となると、フラットなポジションからの判断するというマインドが染みついていくことになる。
これがとても重要なことだと思っているのだ。
それができることで、まずは信用関係が築きやすくなり、その上の概念である信頼関係が生まれていくというロジックだ。
というのも、私は常々、stak, Inc. のメンバーに細かいところにこそ、気を配るように何度も何度も説いている。
それが、スタートアップが大企業に勝てる唯一の方法だということを、何度も何度も説いている。
そもそも、細かいところに気を配ることは、この◯◯してあげるというマインドがある人にはできないというわけだ。
まとめ
さて、ここまで読み進めてくれた人は、改めてどうだろうか。
◯◯してあげる、◯◯してあげたといった言葉遣いを自分自身がしていないか、まずは確認して欲しい。
そして、私の主張している意見に同意してくれるのであれば、今すぐにこの言葉遣いをやめてみるという言動を起こして欲しい。
そうすることで、意識していなかった傲慢さや上から目線がなくなり、本当に必要な部分というか損得勘定なしに動けるようになってくるはずだ。
ただし、当然だがそれは1日や1週間などといった短い期間内に変化があることではない。
信用や信頼の蓄積には時間がかかるし、いつまでやればいいというものではない。
生涯それを続けなければいけないし、もっというと続けているという意識すらあってはいけないのである。
信用で結ばれている関係であれば、仕事もしやすくなることは誰しもが理解できることだろう。
その上の信頼で結束されている組織であれば、無双状態になることは言わずもがなである。
良い意味で狂気的なスタートアップには、信頼関係が短時間で築き上げられていて、それは世の中で評価されているときに振り返ったときに初めて、信頼関係があったことに気づくのである。
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