顧右眄(さこうべん)
→ 周囲を気にして、なかなか決断を下さないこと。
周囲を気にして、なかなか決断を下せないという人は、まずはこの記事を読んでもらいたい。
過去に書いたブログなのだが、ブログと同時にnoteにもアップしている中でトップクラスに読んでもらえた。
その内容は、タイトルに書かれているとおりで、人は1日に3万5,000回もの決断をしているというものだ。
1日に3万5,000回している無意識の決断
上記に掲載した過去ブログだが、その内容を簡単にまとめると下記のとおりだ。
まず、言語、食事、交通といった事柄だけで、人は1日で平均2万回以上も選択をしている。
これに歩く、座るといった、身体をどのように動かすかについての決断や、会社や自宅で行なっている決断まで全て含めると、3万5,000回以上の選択をしている。
そう、誰もがこれだけの数の選択、つまり決断をしているのだ。
それなのに、周囲を気にして、なかなか決断を下せないというのはおかしなことではないだろうか。
では、なぜ決断を下せないのかを考えてみるといいだろう。
決断を下せないという人の心理
今回のタイトルになっている左顧右眄(さこうべん)の意味は、なかなか決断を下せないという意味なのだが、その前に周囲を気にしてというニュアンスが入っている。
まずはこのあたりからなのだが、周囲を気にすることがいかにナンセンスなのかを今一度、しっかりと主張したい。
ほとんどの人は、あなたのことなど全く気にしていない。
この事実は多くの人が気づいていないというか、被害妄想に近いくらい自分のことを周りが気にしていると思っている。
人はいい加減な生き物で、時間が経てば簡単に忘れていくものだ。
瞬間風速的には気にしているように思うかもしれないが、少し時間が経てばあなたのことなど全く気にしていない。
それくらい気楽に生きた方がいい。
周りを気にしていてはやりたいことなどできないし、それが理由で決断が下せないなんてもったいないというか、時間の無駄でしかないということをしっかり覚えておこう。
あなたの人生はあなたのもので、誰にも邪魔されるものではなく、主役は間違いなくあなた自身だというマインドがあれば、いざというときに決断を下せないなんてことはなくなる。
それは、ワガママでもなんでもない当たり前のことだと割り切った方がいい。
そして、決断を下せない人の心理としては、間違った決断をしたらどうしようという不安が伴うというものもあるだろう。
周りを気にすることよりも、この不安についての方が圧倒的に大きいと思うのだが、ここについてはもう少し掘り下げて書いていこうと思う。
不安から下せない決断
自分がした決断、判断によって周りに迷惑をかけてしまったらどうしよう、取り返しのつかないことになったらどうしようという不安が伴うという人は多いようだ。
結論から言うと、この不安も杞憂に終わることがほとんどだということである。
残念ながら、あなたがした決断、判断がそこまで大きな打撃を与えることなどない。
それは自惚れにも近い感覚だと言い切っていい。
くり返しになるが、あなたが下した決断、判断によって組織や世の中が変わるほどの影響があることなどあり得ない。
よっぽどの経営者や世の中で知られている人であれば、それなりの影響力はあるだろうが、そんな人は一握りだ。
悲しかな、世の中の大半の人の決断、判断は全くといっていいほど影響力がない。
それは決してあなた自身を否定しているわけではなく、決断、判断というのはそれくらい簡単なことだと思って欲しいということだ。
それよりも、決断、判断をしないことによって、なにも進まない方がよっぽど被害があると思った方がいい。
あなた1人の小さな決断、判断が周りの動きを止めてしまうことがあるのが、組織や世の中というものだ。
小さなことで悩むのではなく、即断即決をするという方がスムーズに組織や世の中が回るということをしっかりと覚えておいてもらいたい。
もっというと、間違ってもいいからとにかく即断即決で物事は進めていく方がいい。
それだけ、決断、判断というものは曖昧でもあるからだ。
そのときどきのタイミングや運によって、決断、判断は正解にもなれば間違いにもなるということだ。
だったら、とりあえず小さいことで悩むことなく、即断即決をするというマインドを身につけた方がいいということを主張している。
間違った決断の基準
大切なところなので、何度もくり返し書いていくとするが、間違った決断、判断の基準などない。
過去に間違っていた決断、判断であっても、その後に同じ決断、判断をしたら正解になるということも十分にあり得る。
それよりも、即断即決をするという機会があるのであれば、どんどんその機会に慣れていくべきなのである。
数をこなすことで、当たり前のように即断即決ができるようになり、それによって他の人も即断即決をするというマインドが伝播していく組織は強い。
多くの人が不安や心配から即断即決ができないとなるのだが、それこそが最大の間違いなのである。
思い切って間違った決断、判断をすればよくて、重要なことはそんな決断、判断をしてしまったからとウネウネするのではなく、そこからどう立て直すかを考えて実行すればいいのだ。
ちょっとした決断、判断が間違ったからといって、責任を取って辞めますという人がいる。
私からしたら、そんなのは責任でもなんでもなくて、ただの逃げでしかない。
責任を取るということは、最期の1人になっても結果がどうであれやり切るということだ。
それは必ずしも成功とは限らない。
失敗だとしてもやり切るということがとにかく重要なのだが、それがわかっていない人が多い。
とことんまでやり切った上での結果であれば、誰がなんの文句があるだろうか。
そして、それを仮に失敗だと呼ぶとしたら、その失敗こそが財産になるということも主張しておきたい。
即決即断が生み出す循環
私は社会人になってから、常に即断即決が求められた立場にいたのだが、その立場にいさせてもらえたことに本当に感謝している。
当時はなにも感じなかったが、他人の決断、判断の下に行動をするということが身体に染み付いていたとしたら、今のような経験は絶対にできなかったと思う。
ただ、決断、判断をすることはなにも仕事だけではないということも伝えておきたい。
例えば、食事に行こうということになって、どんなお店がいいか、日時はいつにするかというやり取りで時間のかかる人がいる。
相手のことを全く考えていない、無駄に時間を奪っていることに気づいていない人は私は最悪だと思うし、付き合っていきたいと思わない。
と言いながら、話を大きくしていくのが私の悪いところなのかもしれないが、このスピード感のなさが、日本をグローバルから遠ざけている原因であることは間違いない。
私が上海にいた頃のときの印象深い話がある。
とある日本人と中国人との打合せの場面だ。
某大手企業の日本人の要望を組んだ打合せの場面で、日本人が話をしているときに相手の中国人が話を聞きながら頻繁に電話をしていたそうだ。
その態度を見た日本人がしびれを切らして、なんて失礼な日本人だと叱責を始めたそうだ。
相手の中国人は驚いてその打合せは終わったそうだ。
実は相手の中国人はその日本人の要望が少しでも実現するように、付き合いのある企業や知り合いの中国人に電話ですぐに連絡を取ってくれていたのだが、相手の日本人は知る由もない。
もちろん全てだとはいわないが、この即断即決のマインドが今の日本と中国の国力の違いに結びついているところも少なからずあると思っている。
まとめ
これも何度もくり返し書いてきていることだが、私と仕事をしたことがある人やプライベートでの繋がりがある人ならわかると思うが、私は即レス人間だ。
飛行機の移動や重要な打合せがあって即レスできない場合もあるが、私がメンションされた連絡に対して、1時間以上空くということは本当に稀だという自負がある。
それは、私のところでなにかが止まるということが本当に嫌で機会損失でしかないというマインドによるものだ。
だからといってはなんだが、stak, Inc. にいるメンバーのレスははやいと思う。
ありがたいことに、最近は多くの人から採用の応募をもらっているのだが、まず最低限この感覚に共感ができなければ、stak, Inc. でなにかを一緒にやることは難しいということは宣言しておこう。
そして、1人でも多くの人が即断即決のマインドを身につけてチャレンジを恐れない人生を過ごしてもらいたい。
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