夢中説夢(むちゅうせつむ)
→ 夢の中で夢を説く意から、実体のない、はかないこと。
私たちは毎晩眠りにつくたびに、不思議な世界へと旅立っている。
そこは論理が崩壊し、時間が歪み、死んだはずの人が目の前に現れ、空を飛び、見知らぬ場所で知人と出会う、摩訶不思議な領域だ。
古来、仏教では「夢中説夢」という言葉で夢の本質を表現してきた。
夢の中で夢を説くという二重の虚構性は、この世界の実体のなさ、はかなさを象徴している。
けれども、2024年から2025年にかけて、夢を見るメカニズムに関する革命的な発見が相次いでいる。
筑波大学、東京大学、大阪大学の共同研究チームが、数十年にわたる謎だったレム睡眠を誘導する神経回路の正体を突き止めたのである。
はかない存在として語られてきた夢が、今、最先端の脳科学によって明確な実体を持ち始めている。
このブログで学べること
本記事では、夢を見るロジックを徹底的に解剖していく。
まず、夢中説夢という概念が仏教思想の中でどのように形成されてきたのかを歴史的に辿る。
次に、2024-2025年の最新研究成果を軸に、レム睡眠とノンレム睡眠における夢の発生メカニズムを脳科学的に解説する。
さらに、日本人を対象とした統計データから、私たちがどれだけ夢を見ているのか、どれだけ夢を覚えているのかという実態を明らかにする。
そして最も重要なのは、「夢を見たければどう寝ればいいのか」という実践的な問いへの回答だ。
科学的エビデンスに基づいた睡眠準備のテクニックを具体的に提示していく。
夢中説夢という思想が生まれた背景
夢中説夢という四字熟語は、大乗仏教の根本経典である『大般若経』第596巻に由来する。
この経典は、空(くう)の思想を展開する般若経典群の集大成であり、全600巻という膨大な量を誇る。
その中で、夢は繰り返し「実体のないもの」「はかないもの」の比喩として登場する。
仏教における夢の位置づけは明確だ。「夢・幻・泡・影」という表現が示すように、夢は幻影、水泡、影法師と並んで、この世界の無常性を象徴するメタファーとして機能してきた。
興味深いのは、仏教経典において「仏は夢を見ない」とされている点だ。
悟りを開いた者は、もはや虚妄の世界である夢を経験する必要がないという論理である。
これは逆説的に、夢を見るという行為が、煩悩にまみれた凡夫の証であることを示している。
平安時代以降の日本では、「夢告」という現象が重要視された。
神仏が夢を通じて意志を伝えるという考え方だ。法隆寺の夢殿はその象徴的な建築物であり、聖徳太子の霊が夢の中で現れるという信仰が背景にある。
つまり、夢は単なる幻ではなく、超越的な存在からのメッセージを受け取るチャンネルとしても機能していた。
2024-2025年に解明された夢発生の神経回路
ここからが本題だ。
2024年10月4日、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構、東京大学、大阪大学の共同研究チームが、国際学術誌『Cell』に画期的な論文を発表した。
タイトルは「A pontine-medullary loop crucial for REM sleep and its deficit in Parkinson’s disease(レム睡眠に必須な橋-延髄回路およびパーキンソン病におけるその回路の異常の発見)」である。
この研究が明らかにしたのは、脳幹に存在するCRHBP陽性ニューロンという特定の神経細胞群が、レム睡眠の開始と維持に決定的な役割を果たしているという事実だ。
レム睡眠(Rapid Eye Movement sleep)は、急速眼球運動を伴う睡眠段階であり、鮮明な夢を見やすい時期として知られている。
しかし、どのようにしてレム睡眠が誘導されるのか、その具体的なメカニズムは長年の謎だった。
研究チームは、脳幹の橋と延髄を結ぶ神経回路に注目した。
CRHBP陽性ニューロンは、橋の腹外側部に位置する「背外側脚橋被蓋核(SubLDT)」という領域に存在し、延髄へと投射している。
実験では、マウスのCRHBP陽性ニューロンを光遺伝学的手法で人工的に活性化させた。
すると、覚醒中のマウスでも強制的にレム睡眠が誘導された。これは、この神経回路がレム睡眠のスイッチとして機能していることの直接的な証拠である。
さらに重要な発見は、パーキンソン病患者の脳では、このCRHBP陽性ニューロンが顕著に減少しているという事実だ。
パーキンソン病患者の多くは、「レム睡眠行動障害」という症状を示す。
通常、レム睡眠中は筋肉が弛緩して体が動かなくなるが、この障害を持つ患者は、見ている夢の通りに実際に体を動かしてしまう。
研究チームがマウスのCRHBP陽性ニューロンを抑制すると、パーキンソン病患者と同様の症状が再現された。
つまり、夢を演じる病の原因が神経回路レベルで特定されたのだ。
2025年6月には、同じ研究グループがさらに踏み込んだ成果を『Journal of Neuroscience』に発表している。
数十年にわたって存在が予想されていた「レムonニューロン」、すなわちレム睡眠中だけ活動する神経細胞の正体が、まさにこのCRHBP陽性ニューロンであることが確定したのである。
レム睡眠とノンレム睡眠、両方で夢を見ている事実
ここで一つの疑問が浮かぶ。
「レム睡眠中に夢を見る」というのは広く知られた事実だが、ではノンレム睡眠中に夢を見ないのかという問いだ。
答えはノーである。
東北大学大学院生命科学研究科の研究チームが2024年に発表した研究によると、ノンレム睡眠中にも夢は発生している。ただし、その性質がレム睡眠中の夢とは異なるのだ。
レム睡眠中の夢は、物語性が強く、視覚的に鮮明で、感情的な要素が豊富だ。
一方、ノンレム睡眠中の夢は、断片的で抽象的、論理的な思考に近い性質を持つ。
興味深いのは、脳内の情報伝達の方向性が、レム睡眠とノンレム睡眠で逆転しているという発見だ。
レム睡眠中は脳幹から大脳皮質へと情報が伝わる「ボトムアップ」の流れが優勢だが、ノンレム睡眠中は大脳皮質から海馬へと情報が流れる「トップダウン」のパターンが支配的になる。
この違いが、夢の質の違いを生み出している可能性が高い。
日本人の4割が週1回以上夢を見ている統計的事実
それでは、実際に私たちはどれくらいの頻度で夢を見ているのか。
2023年10月に一般社団法人ウェルネス総合研究所が実施した「眠りと夢に関する調査」によると、日本人の毎日夢を見る人は12%、週に数回程度が30%で、合計すると週に1回以上夢を見ている人が約42%に達する。
この数字は世代別で見ても大きな差はなく、全世代において約4割が定期的に夢を見ていることが確認されている。
ここで重要な認識は、「夢を見ない」と答えた人が実際に夢を見ていないわけではないという点だ。
睡眠科学の研究によれば、人間は一晩に4〜6回のレム睡眠サイクルを経験しており、その都度夢を見ている可能性が高い。
つまり、「夢を見ない」のではなく「夢を覚えていない」だけなのである。
夢の記憶保持には、覚醒のタイミングが決定的に重要だ。
レム睡眠中に目覚めた場合、直前に見ていた夢を鮮明に覚えている確率が高い。
一方、ノンレム睡眠中に目覚めた場合、夢の記憶はほとんど残らない。
中央調査社が実施した「夢の頻度に関する調査研究」では、夢見の頻度は個人差が大きく、またライフステージによっても変化することが示されている。
ストレスが高い時期、睡眠が不規則な時期、あるいは特定の薬物を服用している時期には、夢の頻度や鮮明さが変化する傾向がある。
夢を見たければどう寝るか?
ここまで、夢の発生メカニズムと統計的実態を見てきた。
では、実際に鮮明な夢を見たい、夢を記憶したいと思ったとき、どのような睡眠準備をすればいいのか。
科学的エビデンスに基づいた方法を5つ提示する。
1. レム睡眠のタイミングで起きる
睡眠サイクルは約90分周期で繰り返される。最初の90分はノンレム睡眠が優勢で、その後レム睡眠が訪れる。
2サイクル目以降、徐々にレム睡眠の時間が長くなり、明け方には20〜30分のレム睡眠が発生する。
夢を覚えたければ、睡眠時間を90分の倍数に設定することが有効だ。
例えば、4.5時間、6時間、7.5時間といった設定にすることで、レム睡眠中に目覚める確率が高まる。
2. 就寝前にビタミンB6を摂取する
オーストラリアのアデレード大学の研究によると、ビタミンB6の摂取が夢の鮮明さと記憶保持を向上させることが示されている。
ビタミンB6は神経伝達物質の合成に関与しており、特にセロトニンからメラトニンへの変換を促進する。
バナナ、鶏肉、魚類、ナッツ類に豊富に含まれているため、就寝2〜3時間前にこれらを適量摂取することが推奨される。
3. 睡眠環境の温度を最適化する
レム睡眠は体温調節が難しい睡眠段階である。
室温が高すぎたり低すぎたりすると、レム睡眠の質が低下し、夢の発生が抑制される可能性がある。
最適な睡眠環境の温度は16〜19度とされている。
また、寝具の素材も重要で、通気性が高く体温調節しやすいものを選ぶべきだ。
4. 就寝前のデジタルデバイス使用を制限する
ブルーライトの暴露は、メラトニンの分泌を抑制し、睡眠の質を低下させる。
特にレム睡眠の割合が減少することが複数の研究で示されている。
就寝の最低1時間前にはスマートフォン、タブレット、PC画面を見ることを停止する。
どうしても使用する必要がある場合は、ブルーライトカットフィルターやナイトモードを有効にする。
5. 夢日記をつける習慣化
これは心理学的なテクニックだが、科学的にも有効性が認められている。
枕元にノートとペンを置いておき、目覚めた瞬間に夢の内容を記録する習慣をつける。
この行為自体が、脳に「夢の記憶を保持すべきだ」というシグナルを送ることになり、徐々に夢の記憶保持能力が向上する。
記録を続けることで、自分の夢のパターン、頻出するシンボル、感情の傾向などが見えてくる。
まとめ
夢中説夢という仏教思想は、夢を「実体のないもの」として否定的に捉えた。
けれども、2024-2025年の脳科学が明らかにしつつあるのは、夢が持つ積極的な機能だ。
記憶の整理、感情の処理、創造的問題解決、そして未知の神経回路の維持。
夢は決して無駄な副産物ではなく、脳が最適な状態を保つために不可欠なプロセスなのである。
筑波大学の林悠教授が率いる研究チームは、将来的に「夢の内容を外部から制御する技術」の開発を視野に入れている。
CRHBP陽性ニューロンを精密に操作することで、特定の種類の夢を誘導したり、悪夢を抑制したりすることが理論的には可能になる。
パーキンソン病患者のレム睡眠行動障害を治療する技術は、すでに実用化の段階に入りつつある。
さらに進めば、PTSD患者の悪夢を軽減したり、学習内容を夢の中で強化したりする応用も考えられる。
私たちが毎晩旅立つ夢の世界は、もはや単なる幻ではない。
脳が生み出す最も精緻な仮想現実空間であり、その制御メカニズムが解明されつつある今、夢は新しい次元の体験領域として立ち現れてきている。
stak, Inc.が追求する「天井をハックする」というミッションには、物理的な照明デバイスの枠を超えた意味がある。
睡眠環境を最適化することで、人間の潜在能力を最大限に引き出すこと。
夢という未知の領域を活用して、創造性、記憶力、問題解決能力を拡張していくこと。
仏教が2500年前に見抜いていた夢の本質を、現代科学が別の角度から証明し、さらにその先へと進もうとしている。
夢中説夢という古の智慧と、最先端の脳科学が交差するその地平に、私たちの未来が待っている。
【参考文献・データソース】
- Kashiwagi, M., et al. (2024). “A pontine-medullary loop crucial for REM sleep and its deficit in Parkinson’s disease,” Cell, DOI: 10.1016/j.cell.2024.08.046
- Arai, Y., et al. (2025). Journal of Neuroscience, DOI: 10.1523/JNEUROSCI.2365-24.2025
- 東北大学大学院生命科学研究科「レム睡眠とノンレム睡眠では脳内の情報伝達の方向が逆転」(2024)
- 一般社団法人ウェルネス総合研究所「眠りと夢に関する調査」(2023年10月)
- 中央調査社「夢の頻度に関する調査研究」
- 『大般若経』第596巻
- 日本睡眠学会「睡眠と社会」
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