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2025年3月28日 投稿:swing16o

仕事の起源:古今東西の長寿な仕事と消えゆく仕事

百年之業(ひゃくねんのぎょう)
→ 後々までの仕事や古くから伝わった仕事。

百年之業という言葉には、百年以上続く仕事や文化といったニュアンスを含んでいると解釈している。

歴史上、長きにわたって人々の生活を支え、そして時代の変遷に耐え抜いてきた仕事は世界各地に存在する。

その一方で、かつては絶大な需要と栄華を誇っていたが、今ではすっかり姿を消してしまった仕事も少なくない。

さらに、現在のテクノロジーの進化や社会構造の変化を考えると、今後数十年以内に消滅しかねない仕事が生まれる可能性も高い。

「仕事」という概念のはじまり

現存する史料によれば、人類が集団で狩猟採集を行っていたころから「役割分担」というかたちで仕事の萌芽は始まっていたとされる。

農耕が始まったのは紀元前1万年頃(諸説あり)とも言われ、メソポタミア文明では紀元前3000年頃には灌漑技術が整備され、大規模な農業が行われていた。

家畜の飼育や農耕具の製作なども含めて、そこで働く人々は明確な役割をもち、共同体を支えていた。

さらに、紀元前18世紀頃に成立したとされるバビロニアのハンムラビ法典には、労働者や職人に関する規定も見られる。

これは法が職業を統制していた史料として非常に興味深い。

つまり、すでに紀元前の時点で「仕事」と「報酬」の関係が社会制度として確立していたことになる。

日本における労働や役割分担に関する最古の記録は、弥生時代(紀元前3世紀頃〜紀元3世紀頃)に稲作が広まったことに端を発するとされている。

集落ごとに稲作・漁労・狩猟などの担当が決まり、それぞれが生産物を交換し合う形で共同体の経済が成り立っていた。

こうした歴史的事例から、仕事とは人間が生きるために必要な生産活動の一部だったことが分かる。

また、国際労働機関(ILO)が公表しているデータによると、世界の歴史を通じて「農業」に従事している人口の比率は常に高いが、20世紀中盤以降、工業化やサービス業の拡大によって相対的に農業の割合は減少してきた。

1900年頃は世界の就労人口のうちおよそ60%が農業関係だったが、2020年には世界平均でおよそ26%まで低下している(ILO推計)。

この推移を見るだけでも、人類がどれほど急激に多種多様な仕事へとシフトしてきたかが分かる。

百年之業という考え方の背景

百年之業を考えるうえで重要なのは、単に「100年以上続いている企業や仕事」というだけではなく、「なぜそれが続いているのか」を読み解くことだろう。

世界最古の企業としては、578年創業とされる金剛組(建設業)が有名だが、日本には他にも創業800年以上の老舗企業が多数ある。

これらは製造業や飲食業、旅館業など多種多様で、少なくとも300年以上続く企業が3,100社以上あるというデータ(帝国データバンク調べ)もある。

こうした超長期的な存続を可能にする要因として、世代交代のスムーズさや時代のニーズに合わせたサービスの変化、地理的条件や文化的背景など、実に多くの要素が絡み合っていると考えられる。

百年之業と呼べる仕事や企業は、単に「同じことを続ける」だけではなく、時代の変遷に適応する術を心得ているのが特徴とも言える。

仕事の始源とデータが示す問題提起

まず「仕事は何のために存在するのか」という根源的な問いを起としたい。

世界銀行やILOが発表している歴史的就労データを眺めると、産業革命前後で仕事の中身は大きく変化している。

例えば18世紀のイギリスの統計(ただし推定も多い)によれば、農業に従事していた人口は国内就労人口の80%を超える時期があった。

しかし産業革命が進むと、工場制手工業から機械工業へと移行し、多くの労働者が都市へ移住していった。

こうした人口動態の変化は、そのまま「仕事」の変化を反映しているとも言える。

一目でわかるデータの例として、1870年代のイギリスで農業従事者が全労働人口の約40%だったのに対し、1900年には約10%にまで落ち込んだという数字がある。

代わりに増えたのが炭鉱労働や紡績工場などの工業系の仕事だった。

日本においても明治維新以降に官営模範工場が各地に建設され、都市部への労働移動が加速した。

つまり「仕事」は、生産技術や社会構造の進化にともなって姿を変えるものだということがこの時点で確認できる。

この変化が問題提起になるのは、歴史上、消えていく仕事もあれば新しく生まれる仕事も絶えずあるということにある。

現在の仕事だって、その多くは100年後の未来には存在しないかもしれない。

事実、2000年代に入ってからインターネット関連の仕事が急増し、同時にかつて繁栄していた新聞配達員やテレビ局の放送技術部門といった需要が頭打ちになっている分野もある(新聞社の発行部数推移やテレビ番組制作費の推移データなどから推察可能)。

この「仕事の入れ替わり」が極端に加速している現代にあって、いったい何が百年之業たりえるのか、疑問を持たざるを得ない。

なぜ仕事が消えるのか?

消滅してしまった仕事の典型例を挙げると、産業革命期の「織物手工業」(機械化により淘汰された)、都市インフラが未発達だった時代の「街灯点灯夫」(電灯普及により不要になった)、電話交換手やタイピスト(通信技術の発展やコンピュータの普及)などがある。

さらに近年では「フィルム写真の現像所」「ビデオレンタル店」など、デジタル化の流れでごそっと消えつつある分野も枚挙にいとまがない。

こうした消滅の背景には必ず技術進歩や社会構造の変化が関係している。

特に21世紀に入ってからのデジタル革命は圧倒的に速いスピードで新旧の仕事を入れ替えつつある。

アメリカでのIT産業就労人口は1990年代は全体の1%にも満たなかったが、2020年には約3.7%にまで拡大している(米国労働省統計局調べ)。

また、日本でも総務省の労働力調査から、IT関連の専門職が近年5年で約20%増加している一方、いわゆる紙ベースの事務処理を担当していた職種は10年で20%近く減少しているデータがある。

さらに人工知能(AI)の進化によって、これまで「人間にしかできない」と思われていた作業も徐々に自動化される可能性がある。

例えば翻訳業や会計業務など、専門知識が必要とされてきた分野でさえも、一部はすでにソフトウェアやAIによって代替されつつある。

消えていく仕事は必ずしも「古い手仕事」だけではないのだ。

このように社会やテクノロジーの動きに翻弄され、「存在意義」や「需要」が薄れた仕事は消えていく運命にあると考えられる。

要するに、どんな仕事であっても、社会や技術革新に適応できなければ消滅のリスクをはらんでいる。

これが現代的な視点から見た最大の問題と言える。

異なる視点から見る仕事の変遷と追加データ

ここで、もう少し別の視点として「人の心理的欲求」に着目するデータを取り上げる。

米国心理学者のマズローの欲求段階説が有名だが、基本的な生理的欲求や安全の欲求が満たされた先に、社会的欲求や自己実現の欲求が存在するとされる。

この構造は仕事にも反映されていて、社会が豊かになるほど「衣食住を満たすためだけの仕事」から「自己表現や創造性を発揮する仕事」へとウェイトが移行してきた。

アートやエンターテインメント産業の隆盛はこの好例と言える。

エンターテインメントが本格的に巨大な産業になったのは20世紀後半からで、その経済規模の拡大率を見ても「生活に密着した必要最小限の仕事」よりも「付加価値の高い楽しみや創造を提供する仕事」が大きな市場を形成していることが分かる。

実際、世界のエンターテインメント市場規模は1990年に約3,000億ドルだったのに対し、2020年には2兆ドルを超える推計もある(PricewaterhouseCoopersの産業予測報告など)。

この視点からすると、百年之業となりうる仕事は「人間の根源的な欲求を満たすか」「あるいは新たな欲求を継続的に喚起できるか」のどちらかに強みを持っているケースが多い。

例えば日本の老舗旅館は温泉やもてなし文化といった根源的な癒しや安らぎを提供するからこそ長く続いてきたと考えられるし、130年以上の歴史を持つゲーム会社も時代に合わせた娯楽の革新を続けてきたからこそ存続している。

変化の激しい業界の中で生き残りを図るためには、やはり「常に進化し続ける姿勢」が必要だという点がここから見えてくる。

一方で、現状は多くの職種がAIやグローバル化の波にさらされている。

市場が飽和すれば仕事が不要になったり、海外企業との競合に負けるなど、理由はさまざまだ。

これらの変遷を考えると、「百年之業」として生き残るには普遍的な価値提供と時代への柔軟な適応を両立させる必要があるということになる。

まとめ

最後に、これまでの問題提起を踏まえつつ、自分の言葉で結論をまとめる。

結論としては、「百年之業とは、ただ古くから続いているだけの仕事を意味しない」ということだ。

長い歴史を持つ仕事や企業には、変化そのものを取り込み、社会の進歩や人間の欲求の変化に対して適応を続ける能力がある。

逆に言えば、その適応力を欠いた仕事は、どれほど強い需要を持っていてもやがて消えゆく運命にある。

現在のAIやIoT技術、そしてデジタル化の波がますます加速する世界では、これまで想像もつかなかった仕事が生まれる一方、長年にわたり確立されてきた職種がごそっと消滅してしまうことも珍しくないかもしれない。

ただ、そのような激しい時代にあっても、百年之業を築き上げる可能性は十分にある。

人が求める価値を的確に見極め、時代に合わせたアップデートを続けていけば、その仕事はたとえ100年後でも必要とされるはずだ。

stak, Inc.としてはIoTや拡張型デバイスを通じて、仕事にまつわるさまざまな課題を解決しようと考えている。

たとえばアナログな作業や旧来の仕組みに縛られている現場があれば、そこを効率化や自動化でサポートし、人材不足や作業負担などの問題を解消したいと望んでいる。

こうした動きを続ける中で、百年之業を支える縁の下の力持ちになり得る可能性もあると感じている。

ただ、伝えたいのは、あくまで「人類の歴史を振り返りながら、消えゆく仕事と生き残る仕事の本質を知る」ことだ。

技術や制度が仕事のあり方を大きく変える一方で、人間の根源的な欲求や文化的背景を満たす仕事には強い継続力がある。

仕事という概念が誕生した最初期の頃から、道具や仕組みは変われど、そこで生き残り続ける本質的な価値があるからこそ、数千年規模で営みが受け継がれてきたのだろう。

歴史上、絶対に消えないと信じられてきた仕事が機械化や技術革新で淘汰された例は数多い。

よって未来を予測するのは誰にもできない。

だが、百年先を見据えたとき、どんな仕事が残りそうかを考えることは大きな意味を持つ。

なぜなら人々が何を欲しているのかを見極め、社会やテクノロジーの進歩に合わせて柔軟に変わる仕事こそが、百年之業となるからだ。

 

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植田 振一郎 X(旧Twitter)

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