百人百様(ひゃくにんひゃくよう)
→ 人にはそれぞれ違った考え方や方法があるということ。
百人百様という言葉がいつごろから日本で使われ始めたのか、明確な起源は文献により異なるが、少なくとも江戸時代には人の考え方が多様であることを示す言い回しとして存在したという説がある。
もともとは「十人十色」という表現が広く使われていたが、そこからさらに人数を増やして「百人百様」という形に派生したという経緯だと言われている。
人間の思考や価値観には個人差があり、しかもその差はほんの些細な経験や情報、置かれた環境の違いが引き金になって生まれる。
多様性という言葉が現代社会で重要視されるようになったのは近年のことだが、実は「百人百様」という概念はずっと昔から日本文化の根底に流れている。
そもそも人はそれぞれ異なる人生を歩んできているため、同じ出来事に直面しても全く違う捉え方をする。
この事実が学問として研究され始めたのは心理学や社会学が台頭してきた19世紀末から20世紀初頭にかけてだと言われている。
例えばゲシュタルト心理学では、人間は視覚情報を脳内で再構築する際に無意識のうちにパターンを見出そうとする特徴があり、その結果、同じ絵を見ても違う形や色合いが強調されたりすることがあると解説している。
さらに文化人類学的視点からは、文化圏や生活環境の違いが思考や言語表現の差を生むとされる。
これらの研究結果が示唆するのは、人がものをどう解釈するかは、その人が蓄積してきた知識や経験、あるいは周辺の社会的・文化的影響によって大きく変動するということだ。
つまり「百人百様」という言い回しは単なることわざにとどまらず、学問の観点からも裏付けがなされてきたと言える。
同じ画を見ているのに説明が全く違ってしまうのは何故か、まずは問題提起として掘り下げたい。
同じ絵でも解釈に差が生まれる理由
人が同じものを見て異なる説明をする原因は、単に「好み」や「センス」の問題ではない。
心理学者の間では「認知バイアス」というキーワードで整理されることが多い。
認知バイアスとは、人間の情報処理の仕方が無意識の偏りを生む現象を指す。
たとえば有名な「ザ・ドレス騒動(The Dress)」という事例がある。
SNS上で拡散された一枚のドレスの写真が、ある人には白と金色に見え、別の人には青と黒に見えるという現象だ。
英米のメディアでは当時、この写真に対して数万人規模のオンライン投票を行ったが、約半数が白金派、もう半数が青黒派という真っ二つの結果になった。
これは2015年に世界的な話題を呼んだデータとしても知られている。
このように「まったく同じ色の写真」であるにもかかわらず、人によって全然違う色合いに見えてしまうのは、視覚情報の取り込み方や脳内補正の仕組みに差があるからだと説明される。
しかもこれが単なる錯覚ではなく、複数の統計やデータが同様の現象を示していることは興味深い。
色覚テストや色合いの比較実験でも、約30%から40%の人は背景や周囲の光源情報によって、同じ画像の色を別物と捉える傾向があるという報告がある。
さらに、これに心理学的要因や過去の経験が重なることで、認知バイアスが一層強化される。
ここでの問題提起として注目したいのは、同じ対象物や同じ状況に直面しているにもかかわらず、人間の言語表現がバラバラになってしまう点だ。
たとえばチームで新製品のデザインを検討する時に、全員が同じデザイン画を見ているのに、Aさんは「曲線が多くて柔らかい印象」と言い、Bさんは「直線が強調されていてスタイリッシュ」とまったく違う評価を下したりする。
これは単なる意見の多様性では済まない場合もある。
認知バイアスによって事実認識にずれが生じると、チームとして共通認識を持つまでに余計な時間や労力がかかる問題を引き起こす。
同じ状況なのに説明がバラバラの根拠
ここでさらに踏み込んで「なぜ説明そのものがバラバラになるのか」をデータベースの視点から眺める。
企業研修などを手掛ける海外の教育機関が実施した調査によると、ある共通のストーリーを読んだグループに対して、その内容を要約させたところ、100人中80人以上が本質的に異なるキーワードを使って説明していたという。
さらにそのうち30人はストーリー内で言及されていない要素を付け足しており、逆に10人ほどは物語の重要な部分をまるごと抜かしていたという結果もある。
この調査から推測できるのは、人がインプットした情報を自分の言葉や概念に書き換える過程で、無意識のうちに解釈が捻じ曲げられるリスクがあるということだ。
加えて「自分の中ではこの部分が重要だったから強調したが、他人にとってはそうではなかった」という主観と客観のズレも顕在化する。
会議の議事録などを作成していても、担当者によってまとめ方が変わってくるのはこうした理由が大きい。
問題は、このような説明のバラバラ感がプロジェクトの効率や進行にマイナスの影響を与えるケースがあるということだ。
私もstak, Inc. のCEOとして製品開発の会議を進める中で、初期段階はメンバーごとにバラバラの認識をもったまま議論を進めていたら、いつまでも結論がまとまらず時間だけが浪費されるという経験を何度も味わっている。
百人百様の捉え方は決して悪いことばかりではないが、何かを実行して成果を出す段階においては、必要以上の情報のズレが足かせになることは避けられない。
百人百様から画一的な視点へのシフト
同じものを見て同じように説明することは、画一的であるがゆえに創造性を阻害するリスクがある一方で、効率化という大きなメリットがある。
特に企業や組織では、ある程度同じ指標や共通言語を持つことで、合意形成のスピードが上がる。
実際にあるIT企業が社内のコミュニケーションツールを導入した際、プロジェクト内で使う用語や定義、タスクの命名規則を標準化したところ、1案件あたりの意思決定に要する時間が平均30%短縮されたというデータも報告されている。
画一的に定義されたルールがあれば、百人が意見を出しても最終的な形は収束しやすくなるというわけだ。
ただしこのようにして発言や表現を「共通化」しすぎると、今度は当初の目的であった「多角的な視点」が失われ、イノベーションの芽を摘みかねないデメリットもある。
すべてを標準化して効率化だけを優先すると、多様性や独自性が犠牲になると指摘する研究者も少なくない。
ここで鍵となるのは、どのタイミングで画一的にまとめるか、あるいはどの段階まで百人百様の自由を許容するかを見極める運用設計だ。
stak, Inc. でも初期段階では意図的に「みんな違うことを言う」場を作り、アイデアを存分にぶつけ合う。
そこではとにかく多様な視点を歓迎し、あえて整合性を取りすぎないようにする。
ところが開発工程が後半にさしかかった時点で、一気に共通言語と定義をそろえ、仕様やデザインを画一的に固める。
このメリハリがあるからこそ、効率と創造性の両立を狙える。
別のデータから見る「統一」と「多様性」のバランス
ここで別の視点を挙げる。
経済学の分野でも「多様性と均質化」に関する研究が存在する。
ある大学研究チームが企業の人材構成と生産性の相関を調べたデータによれば、多様なバックグラウンドを持つ人材を採用した企業のほうがイノベーションの量的指標(たとえば新製品開発数、特許出願数)が高いという結果が多く見られた。
一方で、同質的な人材で固めた企業は短期的なチームワークが向上し、意思決定の速さや小さな改善の積み上げには強いという傾向があった。
要するに「多様性があれば斬新なアイデアが生まれやすいが、意思決定や認識の統一には時間を要する」「均質化するとコミュニケーションがスムーズだが、新しい発想が出にくい」という二面性が明確に出ている。
同じように、個人レベルの視点でも「百人百様」と「画一的認識」の両方に長所と短所がある。
ある場面では統一を優先し、別の場面では多様性を重んじる、その加減をデータや具体的事例で検証しながら、組織やプロジェクトに適した手法を選択するのが理想的だというわけだ。
まとめ
百人百様という考え方は、人が同じ状況に立っていても違う説明をしてしまうほどの多様性を示す。
これには歴史的にも心理学的にも確かな根拠があり、具体的なデータからも「事実認識がずれる」「説明が変わる」理由が示されてきた。
一方で、すべてを自由闊達に意見交換できるのは創造性において有利だが、それだけではビジネスやプロジェクトの進行にとって非効率になることがある。
画一的に視点を合わせ、定義や用語を統一することは、合意形成を加速し効率化をもたらすというメリットを持つが、同時に新しい発想が生まれにくくなるというデメリットも発生しうる。
最終的に重要なのは、百人百様のメリットと画一化による効率化のメリットをどう両立させるかという運用設計の部分だと考えている。
私はstak, Inc. のCEOとして、製品づくりやチームづくりにおいて、まず多様な意見や発想を引き出し、その後に仕様や運用ルールを統一させるという二段構えの方法を取っている。
これにより、初期段階では新鮮なアイデアが生まれやすく、後半ではチーム全体が同じゴールを共有しやすくなる。
誰もが同じ絵を見てもバラバラの説明をするのは、個々の脳内構造や文化的背景、知識や経験の差が大きな要因となる。
これを否定するのではなく、まずは事実として認めることが出発点だ。
そこから一歩先に進んで「どの段階で標準化や統一化を行い、どの段階で多様性を歓迎するのか」を戦略的に判断できるようになると、組織の生産性もクリエイティビティも両立できるはずだ。
結論として、百人百様という概念は人間の本質を端的に言い表す言葉であり、同時にビジネスにおける重要なキーとなる。
異なる考え方や方法を排除するのではなく、それらをきちんと理解した上で、状況に応じてうまく効率化していく道を探ることが大切だと改めて感じる。
違いを敬遠するのではなく、むしろ積極的に活かし、必要なタイミングでまとめあげる。
それこそが新しい発見や競争力につながると確信している。
【X(旧Twitter)のフォローをお願いします】