髀肉之嘆(ひにくのたん)
→ 実力を発揮する機会に恵まれず嘆き悲しむこと。
髀肉之嘆という言葉は古代中国の歴史書『三国志』に記されたエピソードが由来になっている。
蜀の名将・関羽や張飛とともに劉備に仕えた趙雲らの活躍ばかりがクローズアップされるが、実は劉備自身が嘆いていた様子が記録に残る。
蜀を建国する以前の流浪の時代、なかなか大きな戦いの機会に恵まれなかった劉備は「自分の太ももの肉が落ちるほど馬に乗っていない」という意味で髀肉之嘆を漏らしたとされる。
ここから転じて「真価を発揮する場を得られずに嘆くこと」を指すようになったわけだが、実はこの嘆きには“本当に戦う準備をしていたのか”という疑問が付きまとう。
少なくとも劉備は嘆きながらも、関羽や張飛とともに各地を転戦し、少ない手勢から徐々に勢力を築いていった。
嘆いていたからこそ行動も伴ったわけで、単に座してチャンスを待ち続けたわけではない。
「場数不足」 人が成長を阻まれる要因
髀肉之嘆が象徴する「自分には実力があるのに、うまく発揮する場がない」というフレーズは、多くの場合で“場数不足”が原因となっている。
むろん企業や組織、あるいは業界の特性によっては、個人の能力を発揮しにくい構造的な要素も存在する。
しかし、場が提供されないなら自分から場を作る努力はできないのか、という問いが浮かぶ。
例えば日本における起業データを見ても、総務省が公表する令和元年度の経済センサス基礎調査によれば、新設法人数(株式会社や合同会社など)は年間約13万件だった。
一方で個人事業主としての開業数も含めればさらに大きな数字になるにもかかわらず、一部の人は会社勤めを続けながら「自分の才能が認められない」と嘆き続ける。
この“嘆き”を続けるか、あるいは自分で場所を作るかによって大きな分岐点が生まれるわけだ。
問題の本質は「才能を発揮する場がない」と語る一方で実際の行動量が極端に少ない、つまり“打席に立つ回数の不足”に尽きる。
毎日何らかの形でアウトプットを積み重ねているか、それとも理想を掲げるだけで行動に移していないか。
そこに大きな差が出る。
「打席数」 :ピカソと秋元康に学ぶ圧倒的行動量
打席に立ち続け、作品を量産する歴史的偉人の代表例としてピカソが挙げられる。
ピカソは絵画だけでも1万点以上、版画や彫刻、陶芸などを合わせれば5万点以上もの作品を生み出したとされる。
美術館や教科書に載る大傑作だけに注目すると「天才」とひとくくりにされがちだが、その裏には圧倒的な量産の事実がある。
1日に数枚から十数枚のスケッチやアイデアを描き続けたとも言われ、そこにこそ才能を開花させるための準備があった。
秋元康もまた、打席数の多さが成功の要因となっている一人だ。
作詞家として手がけた楽曲は公表されている範囲だけでも2,000曲を優に超え、グループアイドルやソロ歌手、バラエティ番組の企画構成などさまざまな場面で量産体制を維持してきた。
特にアイドルグループに提供した曲数は数千曲に及ぶというデータもある。
もちろんすべてがヒットしたわけではないが、数多くのトライから生まれた大ヒット曲がAKB48や坂道シリーズのイメージを大きく変え、数多くのファンを生み出した。
この“量産”という行動様式はビジネスの世界でも同じことが言える。
米国の調査機関が公表しているデータによると、スタートアップ企業が最初の3年以内に新製品や新サービスを3回以上リリースする企業は、1回以下の企業よりも約2倍生存率が高いという統計結果が出ている(※一部のVCがまとめたリサーチ結果から引用)。
機会がないと嘆く前に、圧倒的な行動量を示すことで“当たり”を引く可能性を高めているわけだ。
別の視点で見る「自分のフィールド選び」 逸話に学ぶ得意を活かす戦略
実力を示す場がないという声の裏には、自分のフィールドを正しく選んでいない可能性もある。
特にデータを見ればわかりやすい。世界的に成功した人の多くは、自分の得意分野を早い段階で見極め、そこにリソースを集中させている。
例えばエジソンは自分の思考や実験スタイルに合う分野を次々に模索しながら、最終的に電気関連の発明で圧倒的な成果を上げた。
生涯取得した特許は1,000件を超え、実験回数は自ら「1万回以上失敗した」と語るほど多かったと言われる。
またフェイスブックを創業したマーク・ザッカーバーグも、若い頃からプログラミングに特化した行動を続け、利用者データを見ながら一気にサービスを拡大していった。
自分の得意分野を選ぶことで打席に立つ意義がさらに明確になる。
得意分野であれば失敗からの学びを得やすく、改善速度も速いからだ。
自分にとって不向きな領域で打数だけを重ねても成果に直結しづらい一方、少なくとも得意領域で場数を増やせば周囲に認められる確率も高まる。
打席数と同時に“どの球場でバットを振るか”も重要ということになる。
起業やビジネスへの応用
髀肉之嘆とは言いつつも、実際には行動し続けて成果を手にした偉人が圧倒的多数を占めているのは歴史が証明している。
自ら場所を作ったり得意領域を明確化したりすることは、起業やビジネスシーンでも応用可能な発想だ。
私はstak, Inc.のCEOを務めているが、最小限の人数で最大限の効率化を目指す以上、全員が自分のフィールドを理解して素早く動く必要がある。
さらに新たな打席を自分たちの手で作るイメージが大切だと考えている。
具体的にはIoTの拡張デバイスを活用して、既存の市場では満たせないニーズを作り出すプロセスに力を入れている。
もちろん全員が失敗を恐れずに次の打席へ立つ行動量が前提条件になる。
世の中に製品やサービスを届けるまでに、試作や検証を含めて何度も“打席”に立たなければならない。
1回の挑戦で結果が出るケースはまれで、数えきれない失敗や方向転換を経てようやく成功の兆しが見えてくる。
その積み重ねが企業成長につながり、結果として自分たちの存在意義を市場に証明できる。
私自身、打席に立つ回数こそが最大の武器だと感じている。
まとめ
髀肉之嘆をそのまま受け取れば「機会がない」「自分の潜在能力を活かせない」と嘆くことになるが、実際は場数を踏むか踏まないかという行動量が成功を左右する。
ピカソが生涯で5万点以上の作品を残したからこそ美術史に残る傑作が生まれ、秋元康が数千曲の作詞を続けたからこそ新たなアイドル文化を確立できた。
エジソンが特許を1,000件以上取得し、失敗を恐れずに試作を繰り返したからこそ実用的な電球や蓄音機が世に出た。
こうしたエビデンスは「量が質に転化する」事実をはっきり物語っている。
さらにデータが示すように、スタートアップや個人事業を含めて打席に立つ回数の多い企業ほど生存率が高い傾向がある。
成功事例と失敗事例を比較すると、その数値のギャップは目に見えて大きい。
だからこそ嘆く暇があるならまず自ら次の打席を用意してバットを振り続けるべきだ。
一方で、自分の得意領域を見極めて集中投下するという視点も無視できない。
得意分野であれば失敗を糧にしやすく、改善も早くなる。
そもそも髀肉之嘆は「馬に乗らずに嘆いているうちに太ももが太ってしまう」という話だった。
つまり行動していれば太ももは鍛えられ、嘆く前に結果はあとからついてくる。
このブログを読んで今日からでも行動を続ける人が増えれば、それこそが髀肉之嘆を克服する第一歩になる。
新しいサービスを開発したり、日々の小さなチャレンジを積み重ねたり、とにかく打席数を重視した行動を習慣化することが重要だ。
結果として自分のモチベーションが高まり、知識や経験が蓄積される。そうすれば毎日が少しずつ進化し、やがて大きな成果に結びつくはずだ。
結局のところ、髀肉之嘆は“チャンスがない”と嘆く暇を与える言葉ではなく、“打席に立たずに後悔をするくらいなら、まず立ってみろ”というメッセージに等しい。
場が与えられないなら自分で作る、得意領域が曖昧なら試行錯誤を繰り返してでも見つける。
そのプロセスを回すことでしか本当の実力は発揮されない。自分の人生を変えるのは結局、自分自身の行動量にかかっている。
【X(旧Twitter)のフォローをお願いします】