十全十美(じゅうぜんじゅうび)
→ 欠点が全く完全なこと。
結論から言うと、欠点が全くなく完全なことなどあり得ない。
というのも、人は少なからず欠点、つまりコンプレックスを抱えて生きている生き物だからだ。
逆説的な言い回しになるが、だからこそ完璧を求めてしまうのかもしれない。
ただ、その完璧という概念は個人差があって、理想という言葉に近いかもしれない。
その理想を求めることで、完璧に近づくというわけだ。
完璧と理想の違い
とはいえ、完璧と理想という概念にも差はある。
完璧とは、なにかが理想的な状態に到達しており、欠点や不足がない状態を指す。
例えば、完璧な結婚式や完璧な作品など、最高の状態にあるといわれることがある。
ところが、完璧を目指すことは非常に難しく、現実には完全なものは存在しないとされている。
一方で、理想とは、ある状況や目標に対して、望ましい最適な状態や条件を示す言葉だ。
例えば、理想の職場や理想のパートナーなど、ある目的に対して最適な条件や状況をイメージすることができる。
理想を追求することは、目標や価値観を明確にし、自分自身や社会をより良い方向に導くことができるというわけだ。
つまり、完璧は欠点や不足がない理想的な状態を指すのに対して、理想は最適な状態や条件を示すことで、自己成長や社会改善に繋がる目標を示す言葉ということになる。
完璧主義という価値観
世の中には一定数の完璧主義者がいる。
かくいう私も、かつては完璧主義者だったといっていいだろう。
ここでいう完璧主義とは、何事においても完全な状態を追求する傾向や、自分自身や他人に対して厳しい基準を設け、それを満たすことに執着する傾向を指す。
完璧主義者は、何事においても完全な状態を追求し、自分自身や他人に対して高い期待を持つという特徴がある。
その反面、常にストレスを感じたり、失敗やミスを許さないためにパフォーマンスの低下やうつ病、摂食障害などの健康上の問題を引き起こすこともある。
こういった側面から完璧主義は、過度のストレスやパフォーマンスの低下、うつ病や不安症などの精神的健康問題を引き起こすことがある。
また、完璧主義者は、他人に対しても同様に厳しい基準を設けることがあるため、周囲の人々との関係が悪化することもある。
そのため、完璧主義に陥っている場合は、自分自身の健康と幸福のために、自分自身や他人に対して、適切な基準を設けることが重要だ。
くり返しになるが、かつての私は完璧主義者だったといっていいだろう。
とにかく完璧にできなければ嫌だという気持ちが強く、実際にそういった言動を取っていた。
ただ、とあるときからその価値観を完全に捨て去った。
完璧主義者からの脱却
上述したとおり、完璧主義というのは、決して悪いことではない。
全てに対して完璧な状態を求めるわけで、悪いどころか良い側面も多々あることは理解してもらえるだろう。
ただ、やはり弊害が多いのも事実だ。
これもくり返しになるが、自分自身が完璧主義を貫くことは問題なくても、自然と周りを巻き込んでしまっている可能性が高い。
ましてや、そういった人がリーダー的ポジションにいたとすると、人間関係は著しく悪くなる。
なぜそんなことが言い切れるのかというと、かつての私がまさにそうだったからである。
自分の言ったことに対して10割で返ってこなければ納得がいかなかった。
なぜそれが理解できないのか、憤慨していたしあからさまな態度に出ていた時代がある。
そんな生き方はやはり苦しかったのは自分でもわかっていた。
そんな私を救ってくれたというか、考え方を変えてくれたのは、1人の後輩だった。
とある会食の場で、ふとしたときに、自分は組織の人たちに6割くらい戻ってくれば良しとしているという発言だった。
自分でも自分が言ったことに対して10割で返すのは難しいのに、他人にそれを求めても仕方がないことに気づいたという内容だった。
それに、過度に期待しても意味ないから、まあ6割くらい言ったことをやってもらえたらラッキーだと思っているというのだ。
この発想は私には全くなかったので、かなりの衝撃だった。
思い返せば確かにそうだと感じる場面はいくらでもあった。
10割返ってこなければ納得しないでは、どの局面でも基本的には無理だ。
となると、自分自身にストレスがかかり、それが仕事のパフォーマンスを下げているのは明確だった。
そこから私のスタンスも大きく変わった。
完璧を求めることの弊害
勘違いしてもらいたいくないのだが、ベースには完璧を求めることはなければならない。
なにもかもいい加減にやればいいというのは論外だ。
重要なのは、完璧を求めるというよりも上述した理想の追求をするというイメージだ。
完璧を求めすぎると、結局完璧はないので、いつまで経っても建設的に物事が進まなくなる。
そして、そこでピリピリするくらいなら、エイヤで進めていった方が案外サクッといってしまうということもあるということだ。
こういう書き方をすると、また語弊を生んでしまうが、完璧を求めることはしなくても、細かいことをしなくていいというのはまたレイヤーが異なる。
仕事はできるだけ細かい方がいい。
でも、それは完璧を求めることではない。
このあたりの理解がある人が私と仕事をする上では重要というか、馬が合うように思っている。
もちろん、私の考え方が全てではないし、それが最上などと言うつもりはないが、細かくしつこくやり続ける人が私の理想とする成功を収めている人だということは理解してもらいたい。
何度もくり返すが、細かいところまでできるだけ見えた方がいい。
なぜなら、細かいところが見えると自然と大局が見えるようになるからだ。
そして、細かいところが見えると的確な指示が出せるようになる。
完璧と細かさの違い
とても重要なことなので、改めて完璧と細かさの違いをまとめておく。
例えば、仕事の依頼をしたときに、アポイントの日付を間違えていたり、会食の時間を間違えてメールやチャットツールで連絡をしてきた人がいたとしたらどうだろう。
私の場合には、この人は仕事に対して細かいところまで配慮ができない人だという判断をしてしまう。
もちろん、人間なのでミスは当然あるが、最低限のところの細かさが欠ける人に仕事を任せようと思うだろうか。
ましてや、こういった細かいところの配慮が欠けるだけで、チャンスを失う場面が少なからずある。
事前に防げるものであれば、極力防げた方がいい。
なぜ、こんなことを主張するのかというと、やはり私がstak, Inc. というスタートアップのCEOだからだというところも大きいだろう。
stak, Inc. のメイン事業はstakという機能拡張モジュール型IoTデバイスの企画、開発、運営を行っているところだ。
スマートライトがベースになったIoTデバイスは、様々な拡張機能を持っている。
また、stak, Inc. では他にもサイト制作をしたり、システム開発の依頼を仕事として受ける場合もある。
動画制作をしたり、デザイン関連の仕事をすることもあるし、最近ではWebマーケティングやSNSのブランディングやマーケティングを手伝うことも多い。
これらの仕事に共通していえることは、クリエイティブな仕事だということである。
とどのつまり、クリエイティブな仕事をする人に細かさが欠けていては仕事にならないというわけだ。
まとめ
完璧を求めること、完璧主義者であることは、決して悪いことではない。
むしろ、そこを理想とすることで成長や変化が起きることも十分にあるので、目指すことに対してはポジティブに考えている。
けれども、完璧をあまりにも求めすぎると弊害を生むことの方が大きくなる。
それを避けるためには、6割くらいできたタイミングで進めていく方が案外上手くいくということだ。
ただ、それはいい加減さを入れたり、細かさを捨てるということとは全く異なる考え方だ。
細かいところにこだわり、いい加減な対応をせず、理想を完璧に置く。
こういった考え方を備えている人が、クリエイティブな世界では活躍しているのはある意味で当然のことだと思っている。
そして、私もそちら側の人間であり続けたい。
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