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2023年1月8日 投稿:swing16o

小学生高学年の授業で味わった強烈なトラウマ

三者鼎談(さんしゃていだん)
→ 3人が向かい合って話し合うこと。

3人が向かい合って話し合うと聞くと、三者面談を想い出す。

先生と親と私の3人で進路について話し合うという面談だ。

何度か紹介しているが、私は教員家系の環境で育った。

父親、母親、母親側の祖父や祖母と教育機関に携わっている家庭がデフォルトだったので、周りにいる大人に先生という立場の人も多かった。

その影響もあり、比較的幼い頃から先生の裏側も見えていた。

結果、先生という職業に関しては、トータルするとリスペクトよりも圧倒的に批判的な立場に立ってしまうことが多い。

小学校高学年の音楽の授業でのトラウマ体験

今でもその瞬間は鮮明に覚えているのだが、私には大きなトラウマがある。

それがきっかけで、先生という職業に関しては批判的な立場から入ることが多いといっても過言ではない。

それは、小学校の5年生か6年生の高学年のときのとある音楽の授業だった。

想い出してもらいたいのだが、小学校の授業は基本的には1人の担任の先生が授業を行っていくスタンスだ。

ただ、音楽と家庭科には専任の先生がいた。

そんな音楽の授業で、その年に私たちのクラスの専任だった先生が体調不良かなにかで休みで代わりにもう1人の音楽の先生が担当となった特別な日のことだ。

名前を出すのは念のため控えるが、M先生としておこう。

そして、私の母親も小学校の先生を同地区でしており、専門が音楽だったことをお伝えしておきたい。

また、私の母親と特別授業で担当になったM先生は、どうやら相性が悪くギクシャクしていたことも、子どもながらになんとなく知っていた。

思い返せば、私は勘の鋭い子どもだったと思う。

小学校の低学年のときには、家に母親の仲の良い先生や教え子たちが来るといった光景も何度かあった。

その中で、俯瞰で見ていた私が感じたことは、結局、先生や生徒たちにも人間関係に好き嫌いがあって、先生という職業は決して聖職者などと呼ばれる崇高なものではないということだ。

結局、当たり前といえば当たり前なのだが、誰かの悪口をいうときが盛り上がるんだなという印象だ。

音楽の授業でいきなりの指名

話を戻そう。

小学校高学年のある日の音楽の授業で、臨時でM先生が担当になった。

その日は初めてアルトリコーダーに触れてみるといった授業だった。

ソプラノリコーダーは吹いたことがあっても、アルトリコーダーを触ることも初めてだ。

小学生からすると、アルトリコーダーはかなり大きいというインパクトのある楽器だ。

それを各々が置いてある場所に取りに行って組み立てて、2列か3列に並ぶ。

全員が揃ってほどなくすると、M先生が一言発した。

「じゃあ、植田くん、吹いてみて」

私は一瞬ときが止まった気がしたのを今でもハッキリと覚えている。

当然、初めて触るアルトリコーダーで、吹き方や指の位置は基本的にソプラノリコーダーと同様だ。

とはいえ、指の幅の感覚や吹くという感覚もどのくらいなのかは全くわからない。

M先生の痛いくらいジッと見つめてくる眼鏡の奥からの視線も今でも忘れられない。

私は吹くという選択肢しかなく、おそるおそるなんとなく吹いてみた。

案の定、上手くなど吹けるはずもなく、思い切り外した音が教室内に響いたかと思うと、その後は大きな笑い声に包まれた。

「あんたのお母さんは音楽の先生なのに、アルトリコーダーも吹けんのじゃ」

クラスメートの笑い声が鳴り止まない中、M先生は私にそう言った。

小学生という無力な立ち位置

私は本当になにが起こったのか状況を把握するのに少しの時間を要した。

頭の中が真っ白になるというよりも、初体験すぎて脳がついていかなかったという感覚だ。

そして、少し時間が経ってから、あぁ〜、私はM先生という人にイジメられたんだなということを把握した。

上述したが、私の母親とM先生がなんとなくいい関係ではなかったことは、小学生という立場でも理解していた。

それをこういう場面であからさまに子どもである私にもぶつけてくるんだというM先生の言動に対して、悔しさや淋しさよりも、コイツは小さい人間だと蔑んだ気持ちが勝っていた。

ただ、私のようは少々ひねくれたタイプではなく、気の弱い自己主張もしづらい内気なタイプの小学生であれば、結構なダメージを受けたはずだ。

場合によっては最悪のところまでいってしまってもおかしくないはずだ。

まあ、この話はずっと誰にもできなくて、私もかなり大人になってからとあるタイミングで母親にもしたことがある。

確か、大学生のときに実家のある広島に戻っていたタイミングだったと思うが、そんなことがあったんだと母親は言葉数少なめだったように記憶している。

小学生高学年の当時、なんとなくだが、このことは黙っていた方がいいと私は感じたのだろう。

実際に当時こんな話を誰かにしたところでなにもならなかったと思うし、返って母親とM先生の間をこじらせても誰も得しない。

であれば、私がこういうクズのような大人もいるんだということを、それこそ大人しく受け入れればいいと判断したように思う。

先生や教師に対する想い

こういった経験があったからということを盾にするつもりは毛頭ないが、基本的に教育者という立場にいる人に対してのリスペクトがない。

事実、恩師などと呼べるような人に出会ったこともないし、日本の教育者と呼ばれれる人たちは狭い世界でしか生きていないので世の中を知らない。

よく教師は代われる職業がないなどといわれるが、まさにそのとおりだと思う。

おそらく、どこかの企業に入ったりしてもなにをしていいかわからないだろうし、起業するなどという発想にすらならないだろう。

そもそも、教育機関の環境を抜本的に変えていかなければ、ドラマや映画の主人公になるような教師が生まれるはずがないのである。

大学で教員免許を取ってそのまま先生になる。

世の中を全く知らないままに先生という立場になって、どうやって教育をしていくのだろうか。

その人の感覚に頼るしかなく、そんな教育ほど危険なものはない。

私は教育者という立場になる前に、社会人経験を積ませるべきだと考えている。

そして、完全成果報酬型とはいわないまでも、一律の給与体制などにすることをやめ、報酬面で他の職業よりも圧倒できるようなインセンティブを準備すべきだ。

それほど、教育というものは重要で、頭のいい人を育てること、教養のある人を世の中に生み出していくことは責務だ。

想い返して欲しいのだが、面白かった授業という記憶を持っている人が世の中にどれほどいるだろうか。

苦手な人が多い、数学、物理、化学といった授業も先生次第でいくらでも楽しくなるはずなのである。

もっというと、経済、経営、つまりお金にまつわる授業などできる先生はまずいないといっていいだろう。

そんな教育現場からどうやって優秀な人が生まれていくのだろうか。

教えるという立場は先生でなくてもいい

年を重ねていくと、当たり前だが自分よりも年下の人たちが増えていく。

そういった人たちに自然と教えることが多くなる立場になっていく。

そんなとき、私、植田 振一郎という1人の人間と接したときに学べることが多いと感じてもらえることが、私自身の価値の1つである。

実際、私はいわゆる一般的な学校の教育者と呼ばれる人たちよりも、圧倒的に面白いと思ってもらえる授業ができる自信がある。

それは、それなりに必死になってやってきたことがあるし、それを拡げることができるスキルがあるからである。

学生時代という時間はどんどん無駄な時間になっているように思う。

義務教育は仕方ないとしても、それ以上の学生時代をどのように過ごすかでスタートダッシュが全然変わってくるように思うのである。

そして、義務教育をどこで学ばせるか、ここも非常に重要だと考えている。

少しでも質の高い、優秀な人が多い環境にいた方がいいという結論だ。

まとめ

年が明け、受験勉強に励んでいる人もいるだろう。

新年に初詣に行った際にも絵馬には志望校に受かるという目標を掲げている人たちがたくさんいた。

そんな絵馬たちを見て、申し訳ないが、なんて小さな夢や目標なんだろうと思ってしまった。

人生はそこがゴールではない。

受験をすると決めた人は全力でやればいい。

受験をしないと決めた人はそれはそれで選択した人生を突き進めばいい。

なによりも伝えたいのは、受験に対しての違和感があったり、失敗してもがいているという人は、是非、stak, Inc. を訪れて欲しい。

私が教えることができるものは余すところなく全てを教えていこうと思う。

そして、その教えはどんな学校に通うよりも価値のあるものだということを保証しよう。

 

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