こんにちは、さこです!
今回は「AIコンテンツの発展と『本物のリアリティ』が輝く時代へ」というテーマでブログを書いてみました。
YouTubeで巻き起こったバズ
かつてYouTubeで爆発的に流行した「〇〇作ってみた(やってみた)」系の動画を覚えていますか?
たとえば、「巨大プリンを作ってみた」「スライム風呂に入ってみた」「24時間耐久チャレンジ」など、不可能と思えることに挑む姿が多くの人を惹きつけました。
なぜなら、それは「自分にはできないこと」を誰かが「現実にやってみせる」という、紛れもないリアリティがあったからです。
無謀な挑戦、失敗、予想外のトラブル、そして成功。すべてがリアルだからこそ、多くの人の心を惹きつけたのだと思います。
しかし、AI技術が目覚ましい進化を遂げた今、この「リアリティ」に変化が訪れています。
AIが不可能を可能に見せる時代
今、急速にフォロワー数を伸ばしているYouTubeチャンネル「Tokyo Ninja」をご存知でしょうか?
「大阪城を作ってみた」「琵琶湖の水を全部飲んでみた」といった、一目で現実には無理とわかるテーマ。しかし、それを可能に見せてしまう映像がバズを起こしています。
驚くべきは、それらすべてがAIによって生成された映像であるという点です。
AIはもはや、現実には絶対に不可能なことを、まるで現実のように映し出すことができます。
あたかも本当にその出来事が起きたかのような臨場感があり、最初は私も「えっ、これどうやって撮ったの?」と本気で驚いてしまいました。
まるで夢のような視覚体験が、手のひらの中にあるスマートフォンで簡単に見られる時代になったのです。
コンテンツが飽和した世界で「感動」はどこへ行くのか?
もし世界中が、AIによるリアル風の映像で埋め尽くされたとしたら、私たちの感性は、どう変わっていくのでしょうか?
まず間違いなく、「驚き」は消耗するでしょう。
かつて、映画「アバター」の映像美に息を呑んだ私たちも、今ではAIが描く幻想的な景色に慣れきってしまいました。
人は、新しさには敏感ですが、飽きるのも早い。
感動は繰り返されれば背景音になってしまうのです。
そしてさらに深刻なのは、「本物」と「偽物」の境界線が曖昧になっていくことです。
AIが生成する映像はあまりにリアルです。
結果、私たちは無意識のうちに、すべての映像に「これは本当なのか?」という疑念を抱くようになるかもしれません。
フェイクニュースやAIによる加工投稿。さらには著名人が語ってもいないスピーチ動画が本物らしく拡散されるディープフェイク。
すでにその脅威は現実になっています。
「疑いようのないリアル」にこそ価値が集まる時代へ
AIによるコンテンツが飽和状態になった時、私たちが強く求めるようになるのは、誰もが疑いようのない「本物のリアリティ」ではないでしょうか。
その最たる例がスポーツです。
スポーツの試合で繰り広げられるドラマティックな展開は、AIには決して生成できません。
格下チームが強豪に勝利する「ジャイアントキリング」や、終了間際のアディショナルタイムで決まる劇的なゴール。
2022年のカタールW杯で日本代表がドイツやスペインを破った試合は、その瞬間にスタジアムやテレビの前で観戦していた私たちの心を強烈に揺さぶりました。
予測不能な緊張感、手に汗握る駆け引き、そして結果がもたらす興奮と感動は、どれほど精巧なAIがシミュレートしても、現実でおきた本物のリアリティとは比べ物になりません。
選手たちの長年の努力、瞬間の判断、肉体的な限界への挑戦、そして予期せぬアクシデントや奇跡的な逆転劇。
AIの発展は、私たちにコンテンツの未来を問いかけると同時に、「人間だからこそ生み出せる価値」、スポーツが持つ「疑いようのないリアリティ」の輝きを、より一層際立たせてくれる存在となるのではないでしょうか。
AIが照らし出す人間の価値
AI技術の進化は、コンテンツのあり方を劇的に変え、私たちに無限の可能性をもたらしました。
AIが作り出す壮大なコンテンツは、それ自体が新たなエンターテイメントとして、私たちの生活を豊かにしてくれるでしょう。
VR(仮想現実)やAR(拡張現実)といった技術の進展も、AIと結びつくことで、より没入感のある体験ができるようになりました。
ゲームの世界では、AIキャラクターとの対話がより自然になり、バーチャル空間での冒険がさらにリアルに感じられるようになるかもしれません。
しかし、その一方で、私たちは「人間だからこそ生み出せる価値」を改めて認識し、これまで以上にそれを尊ぶようになるはずです。
AIの進化は、私たちにコンテンツの未来を問いかけると同時に、「人間らしさ」とは何か、そして「本物の価値」とは何かを再定義する機会を与えてくれています。
これからのコンテンツ消費は、AIによる「仮想の豊かさ」と、人間が紡ぎ出す「本物のリアリティ」という二つの軸が、より明確に分かれ、それぞれが独自の価値を持って輝く時代になるでしょう。
私たちはその中で、何を「見る」のか、何を「体験する」のか、そして何に「心震わせる」のかを、より意識的に選択していくことになるはずです。