歳月不待(さいげつふたい)
→ 月日は人の都合にかかわらず過ぎて行ってしまい、待ってはくれない。
過去、現在、未来について考えよう。
過去を変えることはできない。
未来にはなにが起きるかわからない。
だから、現在、つまり今を必死に生きることがなによりも重要だ。
以上。
ということで本日のブログは終わりでもいいのだが、流石にそれだけでは弱いので、もう少し私の考え方を書いていこう。
時間という最も価値のあるもの
私がシコシコ続けているこのブログもなんとなく読んでくれているファンがいる。
そんな人からはまたかと言われると思うが、私が世の中で最も価値があるものは時間だ。
何度も何度もくり返し述べているが、これが理解できていないという人が多いということもセットで主張することが多い。
時間はなにがあっても取り戻せることのないものだ。
当然、お金で買うこともできないし、先に進むこともできない。
タイムマシンという概念がある。
光よりも速く進むことができれば実現可能というものだが、過去から来た人や未来から来た人に出会ったことがあるという人は皆無だ。
ということは、未来の世界でもまだできていないのが今ということになるのではないか。
こんな話をすると、ややこしいヤツだと思われてしまうので、ほどほどにしておくが、とにかく時間は貴重だ。
一度しかない人生の中で、いつ途絶えるかわからない、最も価値のあるものが時間なのである。
こんな話も毎年出るが、それは今年もあと2ヶ月を切ったといった話題だ。
毎年毎年、当たり前のように同じ話を聞くわけだが、この先は何度もあると思う。
今回のテーマのように、時間に関する四字熟語やことわざが多く残っているのは、やはり時間に対する重みを知っている人が多いからだろう。
時は金なりといったりするが、とんでもない。
時間はお金なんかよりも圧倒的に価値の高いものなのである。
人生の終わり頃にそのことに気がついても意味がないのである。
時間と保険の関係
そして、日本人は特に好きだと思っているのだが、保険についても時間との因果関係があると思っている。
保険とは、そもそもが不安や心配に対する保障という位置づけだ。
つまり、なにかあったらどうしようという人間の心理を証券化したものが保険だ。
保険が成り立つ条件としては、実際に保険が適用される場面が少なくならなければならない。
なにが言いたいのかというと、保険に加入した人がどんどん保険適用になってしまうと逆ザヤになってしまうので、保険会社は儲からなくなってしまう。
となると商売としては成立しないので、絶妙な不安に対する商品を作らなければいけない。
そんな保険作っても誰も加入しないだろうと思われる保険を作っても仕方がないのである。
ただ、肝心なことは、なぜ保険に入るのかということだ。
保険といっても様々なものがあるので、ここでは生命保険系の保険について書いていこう。
くり返しになるが、保険に入るとうことは不安や心配に対する保障が欲しいからである。
病気になって働けなくなったらどうしようといった不安が根本にあり、万が一に備えて保険に入っておこうというのが、保険に入る人の心理というわけだ。
でも、そもそも考えて欲しい。
病気になってからでは遅いという判断ができなければ、いくら保険が出ても病院内での保障なわけだ。
ベッドに寝たきりだけど、お金はかからないという保障が本当に幸せなことなのだろうか。
少なくとも私はそれが幸せだとは思えないから、保険を買うのではなく時間を買うのである。
時間を買うことの意味
時間は買うことができないと冒頭に書いたのに、ここからは時間を買うことについて書くというのは矛盾が生じていると思われるかもしれない。
けれども、時間を買うことはできるのである。
例えば、上述した保険を買うのではなく時間を買うといったことは、どういうことなのか。
健康を維持するために、パーソナルトレーナーをつけて時間を買って予防するとか、ジャンクフードのような身体によくないものを食べることは極力避けるために質の高い食事を取るといったことだ。
時間を有意義に過ごすために買える時間があるということも知っておいた方がいい。
貴重な時間を確保するためには、迷わず高速道路を使うようになった方がいいし、電車やバスを使うよりもタクシーを使った方がいい。
余計な移動のストレスを抱えないために、飛行機ではエコノミーではなくプレミアムシートに乗ったり、新幹線ではグリーン車に乗るということもある意味で時間を買っているのである。
それを贅沢だとまとめて否定する人は、往々にして心が不健康な人が多い。
こういった時間を買うことで人生を豊かに過ごすことができるようになることを知らないからである。
なによりも、これくらいのコストが捻出できないようであれば、豊かな人生だとはいえないだろう。
同じことを書くが、過去に戻ることや未来に行くといった時間を買うことはできなくても、自分自身の将来が少しでも豊かになるために時間を買うことはできる。
このことは本当によく覚えておいた方がいい。
コンテンツが溢れている現代社会
可処分時間の奪い合いというワードを耳にしたことがある人も少なからずいるだろう。
YouTubeやNetflixといった動画配信サービスがすっかり定着し、漫画が電子書籍で見ている人を見かける機会も増えた。
そう、現代社会はたくさんのコンテンツで溢れている。
YouTubeを見ていたら、オススメの動画をついついたくさん見てしまい、気づけば最初に見ていたカテゴリの動画と全く違うものを見ていたなんて経験をしたことがある人も多いだろう。
どのサービスにおいても、一生見続けても見終わらないくらいのコンテンツが溢れているのである。
そんな中で、自分たちのことに興味を持ってもらおうとすることは、とてもハードルが高いことだということを改めて認識した方がいい。
そして、この状況はまだまだ進む。
つまり、可処分時間の奪い合いは、まだまだ激化する。
そうなったときにどの場所で勝負するのかをしっかり見極めていかなければならない。
となると、王道のなんでもありますといったコンテンツにはファンがつきにくくなる。
ニッチなんだけれども、そこにはコアファンがついているといった方が影響力が大きくなるという時代が既にきている。
さらにこの傾向は進むと思っているし、どのコンテンツが最適解なのかは、その人がやりたいことによって大きく異なる。
たくさんのサービスが登場しており、自分のやりたいことに合ったプラットフォームの選別が鍵になるのである。
となると、全てを網羅することは難しくなる。
では、どうすればいいのか。
各プラットフォームにおいて、それぞれ強者を生み出したり、強者と呼ばれるポジションにいる人と協業すればいいのだ。
最強なのは、自分自身が強烈なプラットフォームになることなのだが、それはなかなか難しい。
個人的には狙ってできるものでもないので、チャンスがあればプラットフォームを作ってみるくらいの気概でいいと思っている。
なぜなら、既に世の中には資金力が豊富なIT企業が寡占しているからである。
そんな巨人たちと真っ向から勝負しても勝てないし、勝つ意味がない。
巨人たちを上手く利用して、自分や自分たちが勝てる場所を生み出していく方が賢明な時代なのである。
まとめ
私は2022年に41歳という歳を迎えた。
日本人男性の平均寿命を考えたときにちょうど折り返したくらいのタイミングだ。
となると、10代や20代の1日や1年と私の1日や1年の重みは全く異なるものになるということを理解してもらいたい。
だから、私は私の時間を不用意に奪おうとする人を毛嫌いする。
というか、人の時間を平気で奪っていることに気がついていない人は極力、遠ざけるようにしている。
あなたの周りに意識の高い人がいなかったり、仕事ができると思える人がいない場合には、もしかするとあなた自身が不用意に時間を奪っている側の人間なのかもしれないと思って欲しい。
それだけ、時間というものに対してのリスペクトがない人が世の中には多くいることが本当に残念だ。
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