News

お知らせ

2022年9月2日 投稿:ueda

41歳の誕生日を迎えた今想うこと

口尚乳臭(こうしょうにゅうしゅう)
→ まだ年が若く経験の足りないこと。

毎年1回誰にも必ず訪れる日がある。

いずれはなくなるものなのだが、今年も無事にといっていいのか、この日を迎えた。

先に言っておこう。

どうもありがとう。

41歳の誕生日を迎えた今想うこと

9月2日と聞いても、ほとんどの人がなにも感じないだろうが、私にとっては一応特別な日なのだろう。

それは誕生日だからである。

歳を重ねて、41歳を迎えた。

なんと中途半端な歳なのだろうか。

そんな41歳の初老となった今まさに想っていることを記録用という意味でも素直に書いてみよう。

まず、自分自身が41歳という認識があまりないかもしれない。

これは同世代の人ならわかってもらえると思うが、そんなに歳を重ねている意識がないということだ。

例えば、ニュースを見ていて、東京都足立区在住の34歳の容疑者みたいな表現をされることがある。

これを聞いたときやテキストで見たときに、いい歳をして本当にしょうもないなと思うのだが、その後に自分よりも圧倒的に年下なんだと思い直したりするといった具合だ。

スポーツ選手の年齢もほぼほぼ年下になっているし、そういうところからもオジサンになっていることは実感するけれども、意識はない。

また、あまり多くはないけれども、たまに自分の年齢を書く機会がある。

そんなときは歳を取ったんだなと感じる。

現代の日本人男性の平均寿命は80歳くらいなので、ちょうど折り返し地点だと思えば初老なのである。

上がるしかない時間の価値

時間という概念が私の中ではプライオリティが最も高いということは、何度も書いている。

41歳を迎えると、余計にその意識は強くなる。

上述したが、80歳まで生きられたとした場合、春夏秋冬はあと39回しかない。

朝ごはんは基本食べないので、1日2回の食事をするとして年間で730回になる。

この39年分だと28,470回しかないと考えると、質の高い食事を取りたいという私の願望が強いということも理解してもらえるだろう。

ましてや、80歳に近くなったときに今と同じような食事ができる保証などないことを考えるとなおさらだ。

ということで、同級生諸君に向けて警鐘を鳴らしておこう。

80歳まで生きられるとして、我々に残された時間は下記のとおりだ。

1981年生まれの余命

  • 39年
  • 14,235日
  • 341,640時間
  • 20,498,400分
  • 1,229,904,000秒

正確には、うるう年もあるので10日前後はプラスになるが、誤差みたいなものなので割愛する。

こうやって見たときに、残された時間があまりにも少ないことを痛感するのである。

40代に突入するまで、本当にあっという間だったことを考えると、これから先は加速度的に体感速度が上がっていくだろう。

そう、もはや私の中での時間の価値は上がるしかないのである。

同世代について想うこと

40代おじさんのカテゴリに入れられて1年が過ぎた。

同世代の40代おじさんについて考えてみよう。

41歳を迎えても、私はまだ嫁入り前の状態だ。

まあ、この歳になればそれなりに結婚に関してはいろいろとあった。

いずれにせよ、嫁入り前の状況であることは改めて書いておこう。

そして、今後もおそらくその状態が続くであろうことも宣言しておく。

41歳まで独身というと、私自身に問題があるとされがちだ。

あながち間違ってはいないと思うが、結婚をしているからといって幸せかというと、そうでもない家庭の方が圧倒的に多い印象だ。

もちろん、夫婦円満でという家庭もあるだろうし、私が知らないだけなのかもしれないが、激レアなことに変わりないと思う。

子どもがいることを引き合いに出す人も多いが、子どもがいることは大きなデメリットになることもある。

とはいえ、40代おじさんの典型は結婚して子どももいて持ち家もあってといったところだろうか。

頭髪が薄くなったり、中年太りしている40代おじさんもたくさんいる。

私は今、stak, Inc. という会社のCEOをやっていて、その拠点が広島にあるので、広島しか知らない40代おじさんたちに遭遇することもしばしばある。

そんな中、イケてると思える40代おじさんに会うことは皆無だといっていい。

なに様のつもりだと怒られそうだが、広島は本当にイケてる40代おじさんがいない街だ。

いやいや、植田 振一郎よ、お前なんかより俺の方が圧倒的にイケているという40代おじさんがいたら、是非お会いしたい。

好きなものをご馳走するので、いつでもTwitterのDMをいただきたい。

嫌いな質問

40代おじさんになってから、しばしばされる質問がある。

サブタイトに結論を書いてしまったので、嫌いだということは伝わったと思うが、その質問はこれだ。

戻れるとしたらいつに戻りたいか?

愚問中の愚問だと思う理由は2つある。

まず、大前提としてこういう可能性が限りなくゼロに近い質問をしてくる人のレベルが低いことに対する嘆きだ。

考える意味がない質問をしてくる人は相手の時間を奪っていることに気づいていない。

行けるなら未来と過去のどちらに行きたいかという定番の愚問と同じカテゴリである。

もう1つ、なぜ過去に戻ることが前提なのだろうか。

ここには、質問者が現状に満足していないという含みがある。

つまり、自分が過去のなにかしら輝いていただろうとされる時代に戻りたいというエゴをこちらにも押し付けているわけだ。

はっきり言おう。

私は別に過去に戻れたとしても戻りたいとは思わない。

なんなら先に進みたいという気持ちの方が強い。

学生時代に戻りたいという声を聞くことも多いが、そんな人は例え学生時代に戻れたとしても、きっと満足できない人生をくり返すだけだ。

仮にそこに今の知識があったとしてもだと言い切っていいい。

人生を楽しんでいる人は過去を振り返ることが極端に少なく、常に先の楽しみを考えている人が多い。

50代おじさん、60代おじさん、70代おじいちゃんになったとしても、そういう人たちのマインドは変わらないと思う。

ということは、私もそのときどきをしっかり楽しめる人になっているだろうし、そうなっていなければいけない。

過去は変えることはできないし、未来はなにが起こるかわからない。

となると、今を精一杯生きることがなによりも大切なのである。

45歳という境界線

いつからか明確に覚えてはいないが、私の中で45歳までと決めていることがある。

それは最前線に立ち続ける限界地点だということだ。

40代を過ぎた頃から初老だ。

つまり、老害と呼ばれる領域に入ったということで、いつでも自分がその場からいなくなれる準備を始めておかなければいけない。

若いつもりでいても、体力的なものや感覚がどうしてもズレてしまう部分は出てくる。

だからといって必要なくなるというわけではなく、それ相応のポジションをしっかり確立すべきだということだ。

45歳を過ぎてもやりたくもない仕事にしがみついていたり、生きがいを感じることができないような人生を送りたくない。

というよりは、やりたいことがありすぎて、1つのことに集中する時間がもったいない。

まとめ

日が変わった瞬間にお祝いのメッセージをくれる人が未だにいてくれることには、やはり感謝しかない。

最後に会ったのがいつだったか思い出せないような人から機械的に毎年お祝いのメッセージがきたりもする。

こちらから返信することがないパターンもあるが、やはり伝えておくべきだろう。

どうもありがとう。

余談だが、2022年の5月から私、植田 振一郎は無双状態に入っていくらしい。

予めいっておくが、私は占いとかスピリチュアル的なことには一切の興味がない。

けれども、とある人の推薦で広島で算命学で有名な人がいて、その人に一度見てもらったことがある。

半分以上見下すくらいの気持ちでで会いに行ったのだが、私の過去を一切知らないのに、転機のあったタイミングを言い当てることには少々驚いた。

事実を述べているだけだという占いのようなカテゴリのものとは全く違う算命学も面白いと思った。

もう1人、東京にいる有名な人に勝手に私のことを見てもらったという人がいて、その人も私に対して同じことを言っていたという。

ということで、スターマリオ状態になっている、植田 振一郎に引き続き注目と応援をしていただきたい。

 

【Twitterのフォローをお願いします】

植田 振一郎 Twitter

stakの最新情報を受け取ろう

stakはブログやSNSを通じて、製品やイベント情報など随時配信しています。
メールアドレスだけで簡単に登録できます。