平沙万里(へいさばんり)
→ 「平沙」は平らで広い砂原の意で、広大な砂漠のことをいう。
平沙万里という四字熟語は、唐時代の詩人・岑参(しんじん)の「磧中作」(せきちゅうのさく)という詩が出典となっている。
岑参は715年から770年にかけて生きた唐の詩人で、西域の節度使の幕僚として長く辺境地域に滞在した体験を持つ。
安西節度使高仙芝の掌書記として、シルクロードの要衝地帯を転戦し、当時の中国人が未だ見ぬ西域の砂漠地帯を実際に体験した数少ない知識人だった。
彼の代表作「走馬西来欲到天、辞家見月両回円、今夜不知何処宿、平沙万里絶人煙」は、「馬を走らせて西に来ると、地の果てを越えて天に至ったようだ。
家を出てからもう二回満月を見ることとなった。
今夜も、何処で泊まれるか分からない。
広大で平らな砂漠は、人が住んでいる痕跡の煙が見えないから」という意味で、砂漠の果てしない広がりと旅人の孤独感を見事に表現している。
この詩が生まれた1300年前、現代のような地図も衛星写真もない時代に、岑参は既に砂漠の途方もないスケールを「万里」という言葉で表現していた。
「万里」とは約4,000キロメートルに相当する距離で、実際にサハラ砂漠の東西幅5,600キロメートルや南北幅1,700キロメートルという現実的な数値と驚くほど近い。
古人の直感の正確さは、現代の測定技術が証明している。
鳥取砂丘と世界の砂漠の圧倒的スケール格差
日本人が「砂漠」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、間違いなく鳥取砂丘だろう。
鳥取砂丘は南北2.4km、東西16kmに広がり、砂地面積は約550ヘクタール(5.5平方km)で、観光可能な砂丘としては日本最大である。
東京ドーム117個分という表現もよく使われるが、これを日本の国土面積(約37万8,000平方km)と比較すると、実に0.0015%という微細な割合でしかない。
しかし、この鳥取砂丘の規模を世界の砂漠と比較すると、その差は想像を絶するものとなる。
世界最大のサハラ砂漠の面積は907万平方kmで、これは日本の国土面積の約24倍に相当する。
鳥取砂丘と比較すると、実に165万倍という途方もない差が存在する。
さらに衝撃的なのは、砂漠の定義を厳密に適用すると、世界最大の砂漠は南極の氷雪砂漠で、面積は1,420万平方km(日本の約37.5倍)だということだ。
砂漠とは「降雨が極端に少なく、年間降雨量が250ミリメートル以下の地域、または降雨量よりも蒸発量の方が多い地域」と定義されるため、南極も砂漠に分類される。これは鳥取砂丘の実に258万倍の面積である。
鳥取砂丘は砂漠ではなく砂丘であり、砂丘とは「日本のように湿潤気候の地域にあり、砂の表面温度が50度になる夏でも、砂のすぐ下の層は常に湿っていて、乾燥が植物の生育の致命的な制限要因にはならない土地」のことを指す。
年間降雨量が1,500ミリメートルを超える日本において、真の砂漠が存在しないのは当然と言える。
世界最大規模砂漠TOP10の圧倒的データ比較
世界の砂漠を面積順に並べると、その壮大さがより明確になる。
以下は最新の研究データに基づく世界最大砂漠ランキングと、日本の国土面積との比較である。
1位:南極砂漠(極地砂漠)
- 面積:1,420万平方km(日本の約37.5倍)
- 特徴:極寒による乾燥、年間降雪量が極めて少ない
2位:北極砂漠(極地砂漠)
- 面積:1,370万平方km(日本の約36.2倍)
- 特徴:永久凍土と極度の乾燥
3位:サハラ砂漠
- 面積:907万平方km(日本の約24倍)
- 東西約5,000km、南北約2,000km、世界の砂漠面積の3割近くを占める
- アフリカ大陸の3分の1近くを覆う
4位:オーストラリア砂漠
- 面積:337万平方km(日本の約8.9倍)
- オーストラリア大陸の中西部に位置し、グレートビクトリア砂漠(65万平方km、日本の約1.7倍)、グレートサンディ砂漠(40万平方km、日本の約1.1倍)、シンプソン砂漠(15万平方km)などを含む
5位:アラビア砂漠
- 面積:260万平方km(日本の約6.9倍)
- 砂丘が延々と連なり、砂混じりの風が吹き付ける不毛の大地
6位:ゴビ砂漠
- 面積:130万平方km(日本の約3.4倍)
- 「ゴビ」とはモンゴル語で「平坦な果てしない砂礫・岩石地」という意味で、砂はほとんどなく砂利や岩石が転がっている
7位:カラハリ砂漠
- 面積:90万平方km(日本の約2.4倍)
- ボツワナ南西部を中心として、北はオカバンゴ川、南は南アフリカ共和国北部まで広がる
- 年間200mm程度の雨が降るため、背の低い草が生えている
8位:グレートビクトリア砂漠
- 面積:67.4万平方km(日本の約1.8倍)
- 砂丘や草原が広がり、年間15回から20回の雷があると言われる
9位:グレートベースン砂漠
- 面積:49万平方km(日本の約1.3倍)
- アメリカ合衆国では最大で、ロッキー山脈とシエラネバダ山脈の間にある乾燥地帯
10位:タクラマカン砂漠
- 面積:33万平方km(日本の約0.9倍)
- 中国西部にある流砂砂漠、ウイグル語で「一度入ったら出られない」という意味
これらの比較により、鳥取砂丘(5.5平方km)がいかに微小な存在かが理解できる。
最小のタクラマカン砂漠でさえ、鳥取砂丘の6万倍の面積を持つ。
地球上の陸地に占める砂漠の面積は19億ha〜34億ha(約20%~25%)に及び、陸地の4分の1近くが砂漠なのである。
砂漠が地球を動かす驚異的メカニズムと極限生物たち
砂漠というと一様に「砂だらけの不毛の土地」というイメージを持ちがちだが、実際には地球システムの核心を担う重要な役割を果たしている。
その最も驚くべき例が、サハラ砂漠から年間20億から30億トンもの砂塵が舞い上がり、大西洋を越えて南米アマゾンの熱帯雨林に到達するという現象だ。
NASAの人工衛星CALIPSOが2007年から2013年にかけて観測したデータによると、サハラ砂漠から舞い上がる砂塵の量は年平均約1億8,200万トンで、そのうち2,700万トンがアマゾンに降り注いでいる。
これは4,800km以上の長距離を砂塵が移動するという、まさに平沙万里を体現する現象である。
アマゾンの熱帯雨林では、激しい降雨で年間2万2,000トンものリン(植物の必須栄養素)が流出してしまうが、サハラ砂漠から運ばれる砂塵に含まれるリンがその補給源となっている。
特にチャド共和国のボデレ低地と呼ばれる地域は、かつて古代湖が存在し、豊富な生物の死骸が堆積した場所で、この地域から巻き上げられた砂塵が貿易風に乗ってアマゾンに栄養を届けている。
砂漠の温度についても驚くべき記録がある。
世界最高気温は1913年7月10日にアメリカのデスバレーで記録された56.7℃で、これは100年以上経った現在でも破られていない世界記録だ。
デスバレーは「死の谷」と呼ばれ、四方を山々に囲まれた盆地で、海抜マイナス86メートルという西半球で最も低い地点に位置している。
この地形により、一度谷底に空気が沈むと熱が逃げない構造となっている。
しかし砂漠の真の驚異は、そこに住む生物たちの極限適応能力にある。
サハラ砂漠に生息するフェネックは、体重わずか1.5kgながら体長の3倍にもなる巨大な耳を持ち、この耳から熱を放散して体温調節を行う。
また、足裏には厚い毛が生えており、60℃を超える砂地を歩くことができる。
オーストラリアの砂漠に生息するモロクトカゲは、全身に張り巡らされた細い溝を通じて、わずかな雨や霧の水分を口元まで運ぶ驚異的な集水システムを持つ。
体重わずか100グラムの小さなトカゲが、年間降雨量50ミリメートル以下の極乾燥地帯で生存できるのは、この精巧な生体工学システムのおかげである。
アメリカ・メキシコ国境の砂漠に生息するカンガルーネズミは、一生の間一滴も水を飲まずに生きることができる。
体内の代謝プロセスで発生する水分だけで生存し、腎臓の水分再吸収機能は人間の4倍も効率的である。
まとめ
平沙万里という美しい言葉に込められた砂漠の壮大さは、単なる詩的表現を超えて、地球システムの精妙さと複雑性を示している。
鳥取砂丘の165万倍もの面積を持つサハラ砂漠、さらにその1.5倍の面積を持つ南極砂漠の存在は、私たちの想像力を遥かに超えた規模の自然現象であることを証明している。
サハラ砂漠からアマゾンへの年間2,700万トンもの栄養供給という地球規模の循環システム、デスバレーの56.7℃という世界記録、フェネックやモロクトカゲといった極限環境に適応した生物たちの存在は、砂漠が単なる「不毛の地」ではなく、地球の生命維持システムの重要な構成要素であることを物語っている。
特に注目すべきは、砂漠の種類の多様性である。
一般的にイメージされる砂砂漠は実は少数派で、岩石砂漠、礫砂漠、塩砂漠、極地砂漠など、様々な形態が存在する。
ゴビ砂漠のように「砂はほとんどなく、ただひたすらに果てしなく砂利や岩石が転がっている」砂漠の方が、面積的には多いのが現実だ。
現代においても、サハラ砂漠周辺では樹木の伐採や過放牧などの人為的な理由によって砂漠化が年々進行しているという深刻な問題が存在する。
2007年にアフリカ連合が開始した「グレート・グリーン・ウォール」プロジェクトは、サハラ砂漠の南に沿って全長8,000kmの植林を行う壮大な取り組みだが、2021年時点で完了率はわずか4%に留まっている。
しかし同時に、砂漠の緑化が必ずしも地球環境にとって良いことではないという複雑な現実も明らかになっている。
砂漠の表面は太陽光を反射しやすく地球の温度調節に貢献しているが、緑化すると大地が太陽光のエネルギーを保持しやすくなり、結果として気温を上昇させる可能性がある。
さらに、サハラ砂漠が緑化されると、アマゾンの熱帯雨林への栄養供給が断たれ、地球の反対側の生態系に深刻な影響を与える恐れもある。
岑参が1300年前に西域で体験した「平沙万里絶人煙」(平らな砂漠が万里に広がり、人の気配が絶える)という感動は、現代の科学技術によってその真の意味が明らかになった。
砂漠は孤立した不毛の土地ではなく、地球全体の生態系を支える巨大なネットワークの重要な結節点なのである。
日本という湿潤な島国に住む私たちにとって、砂漠は遠い異世界の存在に思えるかもしれない。
しかし、中国から飛来する黄砂や、地球温暖化による気候変動を通じて、砂漠は私たちの日常生活とも密接に関わっている。
平沙万里という言葉に込められた古人の感動は、現代のテクノロジー時代においても色褪せることはない。
むしろ、正確なデータと科学的知見を持つ現代だからこそ、その真の価値と重要性を理解できるのである。
砂漠の存在は、私たちに地球システムの精妙さと、人間の活動が地球環境に与える影響の大きさを教えてくれる貴重な教師である。
鳥取砂丘の美しさを愛でながらも、世界には想像を絶する規模の自然現象が存在することを知ることで、私たちの視野は大きく広がり、地球という惑星への理解も深まっていくのである。
<参考:データ出典>
- 日本国土面積:国土地理院「令和4年全国都道府県市区町村別面積調」(377,973.48平方km)
- サハラ砂漠年間砂塵量:NASA CALIPSO衛星観測データ(Hongbin Yu et al. 2015)
- 世界砂漠面積ランキング:地球科学研究機関統計およびWikipediaデータ
- デスバレー最高気温:世界気象機関(WMO)公式記録
- アマゾン・サハラ間栄養循環:学術論文”The Fertilizing Role of African Dust in the Amazon Rainforest”
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