私利私欲(しりしよく)
→ 自分の利益や欲望だけで行動すること。
自分の利益や欲望だけで行動することは悪いことなのだろうか。
一般的には、自己中心的で自分のことだけしか考えていないような印象を受けるのだろうが、正直、私はなにが悪いのだろうと思ってしまう。
ただ、唯一このニュアンスで引っかかるところは、自分の利益や欲望だけでという部分だ。
それのみで構成されているというのは、少々引っかかるが、まあそれも許容範囲内だという見解だ。
というのも、誰もが最初のスタートは自分の利益を求めること、自分の欲望に従って動き出すのは当然のことだからだ。
キレイ事を並べる人たち
私は、20代中盤から人を採用するという立場にある。
そんな中で多くの人たちに出会ってきたわけだが、出した結論がある。
それは、自分の利益や欲望に忠実である人、それをさらけ出せる人は素直で仕事も一緒にしやすいというものだ。
これもよくわからない文化なのだが、面接をするときに持参する履歴書というものがある。
その履歴書に自分の評価が下がるようなことを書く人はいるだろうか。
自分を売り込まないといけないのに、わざわざマイナスのことを書く人は、まあいないだろう。
中には、奇をてらってそんな履歴書を書く人もいるかもしれないが、なかなかそんな履歴書を受け入れてくれる人は少ないというのが現状だろう。
となると、ここは無難に自分の価値を最大化できるように準備するはずだ。
実際に面接をする際にも同様のことが言える。
面接の目的は、仕事に就くことだ。
そのためにやるべきことは、自分を売り込むことなので、個性を見せようとすることはあっても、それは自分の評価が下がるような言動ではないだろう。
となると、辛辣な言い方になるかもしれないが、皆がキレイ事を並べるわけだ。
だから、私はできるだけ、その人がどんな利益を求めているのか、その人の欲望はなんなのかを判断するようにしている。
そして、初対面にも関わらず、自分の利益を正直に語り、自分の欲望に忠実に生きていると思わせてくれる人は、そうでない人よりも信用できると感じてしまう。
つまり、この自分をさらけ出せるということは、小さなプライドを持っていないことにも繋がる。
小さなプライドを持つよりも私利私欲
小さなプライドについては再三触れていることなのだが、改めて小さなプライドについて語っておこう。
端的に言うと、小さなプライドは要らない見栄だ。
小さなプライドは、その人にとっては重要視していることなのかもしれないが、返ってその小さなプライドが邪魔をして物事が前に進まなくなりがちだ。
そして、小さなプライドを持っている人たちは、自分が小さなプライドを持っていることに気がついていない。
だからこそ、たちが悪いとも言えるのだが、そんな小さなプライドを持った人だらけの集団と、私利私欲にまみれた人たちの集団があったとしたら、どちらか遠くまで行けるだろうか。
私は100%後者だと言い切れる。
ただ、勘違いしてもらいたくないのだが、どちらも長所と短所があるということだ。
俯瞰で総合的に判断したときにどちらの集団が遠くに行けるかということを主張しており、決して私利私欲にまみれた人たちの集団が盤石だと言っているわけではない。
少なからず、私利私欲にまみれた人たちの方がわかりやすいということを言っている。
私利私欲にまみれた人たちとの付き合い方
それでは、私利私欲にまみれた人たちとどう接すれば良いのか。
その答えは単純で、透明性を保つことだ。
透明性とはなにか。
私の考える透明性とは、情報を全て開示し、なにも隠さないことである。
もちろん、ビジネスの現場ではある程度の戦略的な秘密を保つ必要はあるが、基本的には全てを共有し隠さないことを指している。
透明性を持つことで、私利私欲にまみれた人たちとは良好な関係を築くことができる。
自分の利益と欲望を明確に共有し、また相手のそれも理解しようとすることで、無理なくお互いの欲望を満たす道筋を見つけることができる。
この考え方は、誤解を招きやすいが、私は私利私欲にまみれた人々が無節操で人を騙すような存在だとは思っていない。
自分の利益を追求するだけで、その方法は正直であることもあれば、ときには策略を用いることもある。
その根底にあるのは自分の利益と欲望であり、それを理解し、それに対応できるかどうかが重要なのだ。
透明性が生む共鳴
私がこの透明性を推奨する理由はもう1つある。
それは、透明性が人と人との共鳴を生むからだ。
人間は本来、他人と共感し、共鳴することに喜びを感じる生き物だ。
自分の気持ちや考えを理解し、共有してくれる人がいると、その人と深い絆を感じるものだ。
私利私欲にまみれた人たちもまた、透明性を通じて自分の欲望や利益を理解してもらえると、共鳴を感じる。
そして、その共鳴は相手への信頼を生む。
この信頼があるからこそ、私利私欲にまみれた人たちと良好な関係を築くことができるのだ。
私利私欲は自分自身をさらけ出すことで、他人との共感を生むことが可能となり、それがコミュニケーションの質を高め、組織のパフォーマンスを向上させることにも繋がると思っている。
私利私欲と共生する組織このように私利私欲に対する透明性と共鳴は、組織にとっても非常に重要な要素であると言ってもいい。
その一方で、組織の中には利益や欲望が交錯する複数の個人が存在する。
それぞれの個人が自身の利益を最優先に考えて行動すると、組織全体としての利益が損なわれることもある。
ここで重要となるのは、組織として共有する価値観やビジョンの存在だ。
私利私欲にまみれた人たちが共に働く場合、その目指す方向や組織としての目標が明確でなければならない。
個々の欲望や利益が組織全体の目標に向かって一致するとき、そのエネルギーは計り知れないものとなる。
私利私欲と組織の目標を一致させるためには、リーダーシップが求められる。
リーダーは組織全体の目標を明確に伝え、その目標に向けた達成策を設定し、それに対する報酬や評価を明確にする。
そして、個々の欲望や利益が組織の目標に対して逆行する場合は、その透明性を活用し問題解決に取り組む。
私利私欲を抑えることは難しい。
でも、それを否定するのではなく、理解し、受け入れ、それを組織の利益に転換することができる組織が、今後のビジネスの世界で成功を収めると考えている。
私利私欲から始まる目標設定は、自己中心的とみなされるかもしれない。
けれども、その私利私欲を透明にし、それを全員が理解し、共有することで生まれる共鳴は、強固な組織を作り上げる原動力となる。
結局のところ、私たちは自分の欲望と利益に忠実に生きる生き物だ。
それを否定するのではなく、透明性と共鳴を通じて理解し、共有し、尊重する。
それが、私利私欲から始まる目標設定の本質であり、高みを目指すための道筋なのだ。
まとめ
これまで私は数々の経験を経て、私利私欲を持つ人々と上手く働くための秘訣を学んできたつもりだ。
ただ、これは私だけの経験として持っておくことはもったいない。
これからのビジネスを牽引するであろう若きリーダーたちにも、こういった考え方もあると参考にしてもらいたい。
私利私欲は一見、貶めるように使われることが多い。
でも、それは人間の本質的な部分であり、個々の人間が動く力そのものである。
私利私欲を理解し、それを全員で共有し、共感し合うことで生まれる絆が、組織をより強く、より成功に近づける。
そのためには、まず自己の私利私欲を認識し、それを恐れずに語ることが重要だ。
その上で、他人の私利私欲も受け入れ、それを理解し、共感することが求められる。
このプロセスを経て、初めて私利私欲を活用した目標設定が可能となるのだ。
リーダーとして、あなた自身が率先して私利私欲を語り、それを通じて組織の目標を達成することが、組織全体のパフォーマンスを向上させる。
私がstak, Inc. のCEOとして行ってきた目標設定は、少なからずこの考え方に基づいている部分がある。
それは自己中心的な行動ではなく、全員が理解し共感できる目標設定だ。
そして、私はこれからも私利私欲から始まる目標設定を1つの指標とするだろう。
それが私が選んだ道であり、それが私たちが信じる成功への道だと思っているし、そういった人を信頼しているということは、信頼されやすいとも考えているからだ。
私利私欲から始まる目標設定を恐れず、透明性と共鳴を通じて組織全体をリードする力を持つという思考も悪くないのではと思ってくれた人がいれば嬉しい限りだ。
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