孤論難持(ころんなんじ)
→ 議論の場で孤立し賛同者がいない意見は保つのが難しく通らないということ。
根回し。
この重要さを理解していない人が多すぎる。
会議や打合せの場で重要な決定事項は決まるのではなく、その前に決まっているなんていうことはザラにある。
これをヤラセだという人たちもいるが、確かにそう見えることもあるだろう。
ただ、全てをヤラセだと捉えているようでは、あなたのやりたいことはいつまで経っても達成することはできないはずだ。
勘違いして欲しくないが、私はヤラセを推奨しているわけではなく、事前準備が重要だということを説いている。
会議や打合せの意義
社会人になると会議や打合せの機会が増える。
そんな大人の集まりの場に参加するときに、あなたはどんなマインドで望んでいるかを今一度、振り返ってみて欲しい。
私は立場上、会議や打合せの機会は一般的な人たちよりも多い方だと思う。
そんなときにしばしばあるのが、なぜこの人はこの場にいるのだろうと思う人に出会うことだ。
結論からいうと、会議や打合せで一言も発することがない人は必要ない人だ。
これは本当によくあることなので、改めて主張しておきたいが、会議や打合せをすることが目的になっているというパターンがしばしば見られるということだ。
私は本当に会議や打合せをダラダラすることが嫌いだ。
なにも決定されず、前に進まない集まりなど、ただただ貴重な時間を費やすだけの意味のないものだからだ。
ではなぜ、そういった会議や打合せが横行してしまうのだろうか。
その理由は明確で、事前準備ができていないからである。
アジェンダの意義
社会人になると、アジェンダという言葉を聞いたことが少なからずあると思う。
直訳すると、プランとか計画という意味なのだが、ビジネスの場面では会議や打合せの議題というニュアンスで使われることが一般的だろう。
私はこのアジェンダの準備されていない会議や打合せが本当に嫌いだ。
なんのための集まりなのか事前に知っておくことで、その場で話すことの準備をしてくることができる。
あるいは、そもそも自分自身が参加した方がいいのか、参加しなくてもいいのかの判断ができるので合理的だ。
もちろん、細部まで記載したアジェンダでなくてもいい。
ザックリした内容がわかれば、それ相応の準備をすることができるし、議論や意思決定が即座にできることだってある。
もっというと、会議や打合せすらしなくてもいい場面だって生まれてくる。
そして、このアジェンダが準備できない人は、そもそもその会議や打合せに必要のない人だということができる。
なぜなら、なんのためにその会議や打合せが行われるのかを理解していないからで、そんな人がいる意味があるだろうか。
私は、stak, Inc. にいるメンバーや近くで一緒に働いてもらっている人に対しては、会議や打合せの前に必ずアジェンダを出すように求める。
また、私自身が会議や打合せを要求したときには、その内容をザックリと共有するように心がけている。
これはお互いの時間を無意味に奪わないようにするための最低限のマナーだということをよく覚えておいて欲しい。
社内、社外の会議や打合せに関わらず、事前に最低限の準備をせず、議論や意思決定が進むはずがないのである。
会議や打合せを実際に行う前に既に決せられていることがあるということを理解していない人が多すぎるのだ。
議事録の意義
私は会議や打合せのときに必ず議事録を取らせるようにする。
議事録を取ることができる人がいない場合には、私が取ることもよくある。
というのも議事録を見れば、大体その人の能力がわかるからである。
議事録とは、その名のとおり、会議や打合せの内容を書記することだ。
これだけ書くと、とても簡単なことのように思えるが、実はそう単純なものでもない。
インプットとアウトプットの力が瞬時に求められる、非常に重要なものだ。
私が議事録を書くときに留意するように伝えることは、下記のとおりだ。
- 議題のタイトル
- 全く内容を知らない第三者が見ても理解できる内容であること
- シンプルな表現になっていること
- タスクや納期を切ること
- 意訳した内容を追記すること
1)議題のタイトル
私はなにかをまとめるときには、必ず日時を記載するようにしている。
例えば、本日のブログをタイトル化するとしたら、【221109】_植田 振一郎の毎日ブログといった具合いだ。
勘のいい人はわかると思うが、22の部分が2022年、11の部分が11月、09の部分が9日という意味だ。
これがあることで、瞬時にいつのものなのかがわかる。
そして、タイトルもよりシンプルでわかりやすいものをつけるようにすることで、そもそもなんの議事録なのかを明確にするのである。
社外の人たちとの会議や打合せの場合には、ここに参加者や役職を加えることもある。
この入口の最低限のことすらできていない人が案外多い。
2)第三者が読んで理解できること
当然だが、会議や打合せは場面で人が増えたり減ったりすることが頻繁にある。
引き継ぎが行われることだって珍しくなく、そういうときに初めて見た人がある程度の内容が把握できなければ、その議事録に価値はないということだ。
こう説明をすると、詳細まで書くことが正解だと思う人がいるのだが、そんな単純ではない。
もちろん、ある程度わかるように記録を残していくことは重要だが、足し算ではなくむしろ引き算だ。
余計な必要のない内容はできるだけ削ぐことを意識している人が案外少ないのである。
なぜこういったことが横行するのかを私なりに考えたのだが、それは自分がやってきた仕事に対して価値を見せたいという意思からきているのだと思う。
こんなことを私はやってきたということを認めてもらいたい、ある意味で自己承認欲求を満たしたいというエゴがそこには加わっているからだということだ。
その意思も十分に理解はできるのだが、私情は挟むべきではない。
それが議事録だ。
3)シンプルな表現になっていること
これもなかなかできていない人が多い。
読点が多かったり、接続詞をやたら繋げて一文が長い人がいる。
シンプルな一文でまとめることが非常に重要で、人が話をしている内容をそのまま記載するような議事録を書く人にはそれができない。
その人が話し終わった瞬間に要約すること、その人の意図を自分なりに解釈することが求められるのが議事録だ。
4)タスクや納期を切ること
会議や打合せでは、誰が責任をもってその議題解決を行うのかを決定することが多々ある。
そうなったときに瞬時に誰のタスクなのかを判断できなければいけないし、納期を切るということを徹底しなければいけない。
誰のタスクなのか明確なタスクが発生した瞬間に、その人にいつまでにそのタスクを終えるのかを議事録を書いている人は聞かなければいけない。
もっというと、その納期が守られていないときにはリマインドをしっかり送るというところまでやる必要がある。
そうしなければ、その会議や打合せは全く意味のないものになってしまうことは理解できるだろう。
5)意訳した内容を追記すること
上述した中にも少々書いたが、ただただ誰かが話をしている内容を記載するだけでは議事録の意味がない。
その人が話をしているときにひたすら文章を書いているようなタイプの人の議事録は往々にして価値のない議事録だということだ。
重要なのは、その人が話終わった瞬間に意訳してスピード重視で内容をシンプルに記載していくということなのである。
そのときに全体の内容を把握していなければ、なぜその人がそういった発言をしたのか理解などできないだろう。
なので、議事録を取る人は全体の内容を把握しておく必要がある。
それは、過去の議事録に頼ることもあるだろうし、アジェンダから準備することもあるというわけだ。
共有の意義
アジェンダや議事録の重要性を説いてきたが、もう1つ重要なことは共有するということだ。
これもなかなかできない人が多く、共有の仕方も問題がある人が多いのが現状だ。
1人で動くことの弱さを知っている人ほど、しっかりと共有する癖がついているものだ。
複数の人数で動くこと、つまりは組織として動いた方が個で動くよりも何倍も何十倍も拡がりがあることを知っている人は、ちゃんと共有をする。
中には共有することで自分の価値が下がると考えている人すらいるので、そういった思考の人は本当に要注意だ。
自分の情報は全て嘘偽りなくさらけ出すくらいの共有ができない人は仕事ができる人とはいえないことを知っておくべきだろう。
まとめ
賛同者を得たいのであれば、その場しのぎの会議や打合せを行っても意味がない。
その場にたどり着くまでに勝負は決まっていて、事前準備と共有がされていかなければ、あなたの味方など増えるはずがないのだ。
どういう人になら協力したいか、逆の立場で考えてみればイメージしやすいはずだ。
相手のことを調べたり、どうすれば自分の意図したとおりに物事が動いていくのかを真剣に事前に考えないような人に協力したいと思うだろうか。
あなたがもし孤独を感じているような人だとしたら、そういった事前準備が全くできていない人である可能性が高いということだ。
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