旧態依然(きゅうたいいぜん)
→ 昔ののままで、少しも進歩しないこと。
自分ではあまり意識をしていないのだが、年齢というものは気付けば重ねているものだ。
私も2022年9月に41歳という年齢になるわけだが、正直その意識があまりない。
10代や20代の頃に感じていた40代は完全にオジサンで、自分は今まさにそこにいるはずなのに気持ちは10代や20代とそんなに変わっていないようにすら感じている。
オヤジギャグと呼ばれるようなしょうもないギャグを飛ばすような人をどこか煙たがっていたが、つい自分も同じようなことを言ってしまっている場面も無きにしもあらずだ。
ニュースで事件の容疑者の年齢を見たときや、スポーツ選手の年齢を見たときに、どんどん年下が増えている事実から現実に戻されることも増えた。
また、一昔前は有名人の訃報を聞いてもピンとこなかったが、最近亡くなっていく有名人は少なからず名前は聞いたことがあったり、作品の1つは見たことがあるような人が増えた。
そういう意味では、確実に私もずっと若いつもりでいる、そこら中にいるオジサンの1人なのだろう。
老害という道を進む人たちの考え方
昔の方が良かったとか、最近の若い者はというワードはいつの時代にも使われる。
いくら世の中がテクノロジーによって便利になったとしても、その歴史は常にくり返す。
その根底にあることは、若いときには積極的に流行りを追いかけたり、バイタリティが溢れていた人たちであっても、時を経ていくとその活力が減退していくからではないだろうか。
興味を示さなくなったり、疲れたからという言葉で怠慢に近い形で離脱していく。
そうなると、知らない物事が増えるのに、変なプライドがあるから若者に素直に聞いたりすることができなくなる。
となると、よりわからないことが増えて、知らない物事に対しては否定的な入り方をする。
極端な言い方をすれば、ぬるま湯に浸かっているようなタイプは必ずといって、そう老害と呼ばれる道を自然と進んでいるように思うのである。
変わらないこととノスタルジアの違い
では、どんな人も刺激的な毎日を過ごすことを推奨しているのかといえば、そういうことでもない。
適当に生きる人生が本当に後悔しない生き方なのかを自問自答した方がいいという主張である。
自分の考えを変えないことを自慢するようにいう人がいるが、それを本心で語っているとしたら狭い世界でしか生きられないと思わないだろうか。
道を歩いていて、分かれ道があったとしよう。
どちらに進むかはあなたの自由だ。
右に行くか、左に行くかの選択をするわけだが、どちらに正解も不正解もないだろう。
右に行けは右の世界があるし、左に行けば左の世界があって、どちらか1つしか選べないと勝手に思っている人が多いように思う。
まずは右の世界に行ってみて楽しくないと思えば戻って左の世界に行けばいいし、逆もまた然りだ。
右の世界でしか生きられないと勝手に思い込むこと、変わらずにいることが大切だと決めつけることで世界を狭めることになんのメリットがあるのだろう。
毎日毎日同じことのくり返しで我慢して生きていくことで、本当に後悔しないかを考えた方がいい。
意地を張って変わらないことをスゴいこととするのではなく、柔軟性を持って生きよう。
ただし、変わらないこととノスタルジアを混同してはいけない。
ノスタルジーという形容詞にした方がピンとくるかもしれないが、懐かしさと表現するのがいいだろうか。
変わらないことと懐かしさという感情をひと括りにしてしまう人が多い。
人が懐かしさを求めることには、脳科学的な意味があるからである。
医療や介護でも応用されている懐かしさの持つ力
そもそも、20世紀の半ば頃まで心理学の世界において、ノスタルジアという用語は否定的に捉えられてきた。
故郷から遠く離れたときに感じる不安や悲嘆などの心理的な症状を表す言葉として使われていたからである。
ところが、世界的にノスタルジアの研究が進むにつれて、昔を振り返ることはけっして病的でネガティブな行為ではないという見解が一般的になってきた。
むしろ、精神的にも肉体的にもポジティブな効果がありそうだということがわかってきたのである。
そして、現在では高齢者を対象にして、ノスタルジアの感情を応用した治療が、医療や介護の現場でも応用されるようになっているという。
なぜ、懐かしさが健康な脳をつくるのか。
4つのポイントがあるとされている。
1)脳の健康を維持し認知症の進行を抑える
認知症の医療現場には、昔を懐かしむことを回想法として取り入れているところがある。
回想法とは昔を思い出させる写真、音楽、食べ物などを用い、それを見たり聞いたりした認知症の高齢者が回想をする。
と同時に、医師や看護師らがそれを受け入れることで、認知症の高齢者の心理的な安定や生きがいの創造をサポートする方法のことだ。
また、認知症を発症した人だけでなく、軽度認知症患者に行われたり、うつ病患者や終末期医療の現場などでも応用されている。
同年代の仲間たちが集まって昔のことを語ることで、脳を活性化して認知症のリスク低減に役立てるという試みもされている。
実際に、様々な研究から、昔を懐かしむことで脳の健康を維持し、認知症の進行を抑える効果があることがわかっている。
2)未来に向かって生きる力をつける
過去を振り返ることは、後ろ向きの行為どころか、むしろ未来の自分のプランニングに関連していることが、解剖学的にも明らかになっている。
というのも、過去を振り返るときに使われる脳内ネットワークと、未来のプランニングをしているときに使われる脳内ネットワークは、かなり重複しているというのである。
具体的には、過去の記憶を詳しく思い出そうとしているときには、脳の中でも前頭葉、側頭葉領域、後部帯状回などの領域がよく働く。
こうした領域は、未来に起きるであろう出来事や将来の自分の姿を想像するときに働く領域と共通しているのである。
3)ストレスを解消し気分転換を助ける
脳医学的にストレスがかかることで記憶をつかさどる脳の海馬の神経新生、神経細胞が分化して増えることが低下して、記憶力が落ちることが知られている。
要するに、ストレスがかかった状態のままでは、いくら勉強しても記憶力が低下して、覚えるべきことが頭に入ってこないのである。
そんなとき、懐かしさの感情を利用してストレスを下げることができれば、気分転換ができて物事が頭に入りやすくなるというわけだ。
ストレスがかかって海馬の機能が落ちると、記憶力が低下するだけではない。
海馬の前に位置して、私たちの感情をつかさどる重要な器官である扁桃体の機能も落ちてしまう。
となると、ストレスがたまると、記憶力が落ちるうえに感情が平坦化して、喜怒哀楽を表現する力が弱ってしまうことに繋がる。
特に高齢者にとって重大な問題であり、感情の起伏がなくなり認知症のリスクが高まってしまうので要注意だとなるわけだ。
4)幸福感が得られる
自分自身が幸せだと感じる状態を、主観的幸福感と呼ぶ。
美味しいものを食べたときや美しい風景を目にしたときに感じる幸福感だ。
心理学では、客観的幸福感と主観的幸福感という区別がある。
客観的幸福感というのは、脳波や神経の状態などの生理学的な指標によって幸福度を捉えることをいう。
それに対して、この主観的幸福感は、自分自身が私は幸せだと感じている状態を指している。
脳医学では、この主観的幸福感が高いほど、ストレスが解消されて脳が元気になるということを裏づける研究が数多く報告されているのである。
まとめ
変わらないこととノスタルジアの違いを理解していただけただろうか。
私は老害と影で揶揄されるような人物にはなりたくないと常に思っている側の人間である。
そんな人生の方が私は心から幸せだと思うからである。
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