無学文盲(むがくもんもう)
→ 学がなく、字も読めないこと。
無学文盲という言葉は、江戸時代から明治にかけての日本で広く使われた概念だ。
「無学」は学問を修めていないこと、「文盲」は文字の読み書きができないことを指す。
江戸時代の識字率は諸説あるが、武士階級ではほぼ100%、町人で約50〜70%、農民で約30〜40%程度だったとされる。
当時の日本は世界的に見ても識字率が高い国だったが、それでも階級や地域によって教育機会には大きな格差があった。
明治政府が1872年に学制を公布し、国民皆学を目指して以降、日本の識字率は飛躍的に向上した。
1900年には就学率が約90%に達し、第二次世界大戦後の1948年には義務教育が中学校まで延長され、現在の教育制度の基盤が確立された。
無学文盲という言葉が持つ重みは、単なる「読み書きができない」という技能的な問題だけではなく、社会参加の機会を奪われること、情報から疎外されること、そして経済的な自立が困難になることを意味していた。
日本の識字率99.9%という「奇跡」
文部科学省および総務省統計局の2020年国勢調査によると、日本の15歳以上人口における識字率は99.9%とされている。
この数字は、UNESCO(国際連合教育科学文化機関)が定義する「日常生活の簡単な文章を理解し、読み書きできる能力」を基準としたものだ。
世界の識字率ランキング──上位10カ国
UNESCOの2023年版データによると、識字率が高い国は以下の通りだ。
- フィンランド:100%
- ノルウェー:100%
- リトアニア:99.9%
- ラトビア:99.9%
- 日本:99.9%
- 韓国:99.9%
- エストニア:99.9%
- ポーランド:99.8%
- カナダ:99.7%
- イギリス:99.7%
これらの国々に共通するのは、義務教育制度が整備され、教育への公的投資が安定していること、そして社会全体で教育が重視される文化的背景がある点だ。
世界の識字率ランキング──下位10カ国
一方、識字率が低い国々のデータは教育格差の深刻さを物語っている。
- 南スーダン:34.5%
- ニジェール:37.3%
- チャド:40.2%
- マリ:35.5%
- 中央アフリカ共和国:37.5%
- ブルキナファソ:46.0%
- ギニア:45.3%
- アフガニスタン:43.0%
- ベナン:42.4%
- コートジボワール:47.2%
これらの国々の多くはサハラ以南のアフリカ地域に集中しており、内戦、貧困、インフラ未整備、ジェンダー格差など複合的な要因が教育機会を阻んでいる。
特に女性の識字率は男性より10〜20ポイント低い国も多く、教育格差が次世代に連鎖する構造が固定化している。
日本と南スーダンの識字率の差は65.4ポイント。
この数字は単なる統計ではなく、社会基盤、経済発展、民主主義の成熟度、そして個人の人生の選択肢という多層的な格差を意味している。
文字が読めても理解できない「境界知能」という見えない壁
ここで重要な問題提起をしたい。
日本の識字率99.9%という数字は、本当に「読み書きができる」ことを意味しているのだろうか。
境界知能とは何か?
境界知能とは、知能指数(IQ)が70〜85程度の範囲にある状態を指す。
IQ70未満は知的障害と診断されるが、IQ70〜85は診断基準に該当しないため「グレーゾーン」と呼ばれる。
厚生労働省の推計によると、日本の人口の約14%、およそ1,700万人が境界知能の範囲にあるとされる。
これは、約7人に1人という高い割合だ。
境界知能の人々は、文字を音として読むことはできる。
しかし、文章の意味を正確に把握したり、複数の情報を統合して判断したり、抽象的な概念を理解することが困難な場合が多い。
PISA調査が示す「読解力」の実態
OECD(経済協力開発機構)が実施するPISA(国際学習到達度調査)の2022年データを見ると、日本の15歳の読解力は加盟国中3位と高い位置にある。
平均得点は516点で、OECD平均の476点を大きく上回っている。
しかし同じPISA調査の中で、読解力レベル2未満(基礎的な読解力が不足)の生徒が日本でも10.2%存在することが明らかになっている。
レベル2未満とは、「明示的に書かれた情報を見つけることはできるが、推論や解釈を要する問いには答えられない」状態を指す。
さらに、国立青少年教育振興機構の2021年調査によると、日本の高校生の約30%が「長い文章を読むのが苦手」と回答し、約25%が「文章の要点をつかむのが難しい」と答えている。
識字率99.9%という数字と、実際の読解力の間には明確なギャップが存在する。
文字は読めるが、内容を理解し、判断し、活用する力は別の次元にあるのだ。
機能的非識字という現代の文盲
ここでもう一つの視点を導入したい。
「機能的非識字(Functional Illiteracy)」という概念だ。
機能的非識字とは?
機能的非識字とは、基本的な読み書きはできるものの、日常生活や仕事で必要とされる文書を理解し活用する能力が不足している状態を指す。
契約書を読めない、薬の説明書が理解できない、行政手続きの書類が書けない、といった具体的な困難として現れる。
OECD加盟国を対象とした国際成人力調査(PIAAC)の2013年データによると、日本の成人の読解力レベル1以下(最も低いレベル)は約4.9%存在する。
これは約600万人に相当する。
さらに注目すべきは、読解力レベル2以下は約28.7%という数字だ。
レベル2以下とは、「短く単純な文章の理解はできるが、やや複雑な文章や抽象的な内容の理解が困難」な状態を指す。
総務省の2023年「通信利用動向調査」によると、日本のインターネット利用率は83.5%に達している。
スマートフォンの保有率は20代で98.7%、30代で97.4%と非常に高い。
しかし、利用率の高さと「活用能力」は別問題だ。総務省の同調査では、インターネット利用者の約40%が「ネット上の情報の真偽を判断できない」と回答している。
文化庁の2022年「国語に関する世論調査」では、20代の約45%が「長文を読むのが苦手」と答え、約35%が「SNSやメッセージアプリの短文でのコミュニケーションが中心」と回答している。
スマートフォンによって情報へのアクセスは容易になった。
しかし同時に、長文を読む機会の減少、情報の断片化、思考の浅層化という新たな課題を生んでいる。
見えない教育格差:経済状況と学力の相関データ
教育格差は、世代を超えて再生産される構造を持っている。
文部科学省の2022年「全国学力・学習状況調査」と世帯収入のクロス分析によると、世帯年収400万円未満の家庭の児童の平均正答率は58.3%、一方で年収1,200万円以上の家庭では73.2%という明確な差が見られた。
差は14.9ポイントに及ぶ。
お茶の水女子大学の研究チームが2021年に発表した調査では、親の学歴が大卒以上の子どもの大学進学率は71.3%、高卒以下の親を持つ子どもは36.7%という結果が出ている。
さらに深刻なのは、生活保護世帯の子どもの高校卒業後の進路だ。
厚生労働省の2023年データによると、生活保護世帯の子どもの大学・短大進学率は37.3%で、全世帯平均の83.8%と比較して46.5ポイントもの差がある。
東京大学社会科学研究所の2022年調査によると、首都圏の大学進学率は58.7%、一方で地方圏は43.2%と15.5ポイントの開きがある。
この差の背景には、近隣に大学がない、下宿費用が負担できない、地元での就職を優先するという複合的な要因がある。
教育機会の地域差は、若者の流出を加速させ、地方の人材不足と都市への一極集中という構造的問題を深めている。
まとめ
ここまで見てきたデータを統合すると、一つの明確な構造が浮かび上がる。
日本の識字率99.9%という数字は、戦後の教育制度が達成した偉大な成果だ。
しかしその数字の内側には、「文字が読める」と「内容を理解できる」の間の断絶、「情報にアクセスできる」と「情報を活用できる」の間の断絶、「教育機会がある」と「教育成果を得られる」の間の断絶という、三層の見えない壁が存在している。
境界知能にある約1,700万人、機能的非識字状態にある約600万人、読解力に課題を抱える若者たち、経済的理由で教育機会を制限される子どもたち。
これらの人々は統計上「識字者」にカウントされているが、実際には社会参加や情報活用において大きなハンディキャップを抱えている。
世界と比較すれば、日本の教育制度は間違いなく高い水準にある。
しかし「平均」という数字に隠れた個別の困難、見えない格差にこそ、現代日本の教育課題の本質がある。
識字率という指標だけでは測れない、「理解する力」「判断する力」「活用する力」の格差。
これが無学文盲という言葉が現代に投げかける問いだ。
かつての無学文盲は「文字が読めない」という可視化された問題だった。
しかし現代の無学文盲は「文字は読めるが理解できない」という不可視化された問題として、より複雑で深刻な形で存在している。
この見えない断絶を可視化し、個々の困難に向き合い、誰もが情報を理解し活用できる社会をどう構築するか。
それが、識字率99.9%を達成した日本が次に向き合うべき課題だ。
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