麻姑掻痒(まこそうよう)
→ 物事が自分の思いどおりになること。
現代のビジネス界で成功を収めたリーダーたちが、しばしば「思い通りにならない現実」に直面している。
スタートアップ界隈を見回せば、一時は華々しくメディアを賑わせた経営者が、突如として失脚する事例が後を絶たない。
stak, Inc.も、モジュール型スマートライト「stak」の開発を通じて、「思い通りにいかない現実」と向き合い続けている。
IoTという最先端テクノロジーの分野で事業を展開していると、技術的な可能性と市場の現実のギャップに何度も直面する。
そんな中で、古来中国から伝わる「麻姑掻痒(まこそうよう)」という概念について深く考えるようになった。
本稿では、麻姑掻痒の本来の意味から始まり、それが「物事が思い通りになること」として解釈された場合の危険性について、歴史上の具体的な失脚事例を通じて検証していく。
そして現代のテクノロジー企業経営者が陥りがちな「天狗」の罠について考察を深めたい。
麻姑掻痒という概念の歴史的背景
麻姑掻痒の語源は、後漢時代(25年-220年)の桓帝(かんてい、在位146年-168年)の時代に遡る。
『神仙伝』に記載された故事によれば、神仙の王遠が平民である蔡経の家に降臨し、麻姑という仙女を呼び寄せた際の出来事が起源となっている。
麻姑は鳥のように長い爪を持つ美しい仙女として描かれていた。
蔡経は麻姑の爪を見て、心中「この爪で背中を掻いてもらえたら気持ちが良いだろう」と考えた。
この不敬な心を見抜いた王遠は蔡経を厳しく叱責したという。
この故事から「麻姑掻痒」は、本来「痒いところに手が届く」「細やかな配慮で満足できる結果を得る」という意味で使われるようになった。
しかし現代では、これが転じて「物事が思い通りになること」という解釈で用いられることが多くなっている。
興味深いことに、この故事が生まれた後漢桓帝の時代は、中国史上でも特に政治的混乱が激しい時期だった。
桓帝は外戚と宦官の権力争いに翻弄され、166年には第一次党錮の禁が発生している。
皇帝自身が思い通りに政治を行えない状況で、「思い通りになること」を象徴する麻姑掣痒の故事が生まれたのは、歴史の皮肉と言えるだろう。
桓帝の治世は、後の黄巾の乱(184年)や後漢滅亡(220年)への序章となった。
権力者が短期的な思惑で政治を動かそうとした結果、王朝全体が崩壊への道を歩むことになったのである。
「思い通りになること」の危険性
現代のビジネス界における「思い通り」の危険性を、まず数値で確認してみよう。
フォーチュン500企業のCEO在任期間を分析すると、1995年には平均10年だったものが、2020年には4.9年まで短縮している。
さらに、創業から10年以内に消滅するスタートアップの割合は約90%に上る。
特に注目すべきは、IPO直後の企業における創業者CEOの交代率だ。
上場から5年以内に創業者が経営から退く企業は全体の約60%に達している。
これらの数字は、初期の成功によって「思い通り」の感覚を得た経営者が、その後の困難な局面で適切な判断を下せなくなる傾向を示唆している。
私自身、2014年の起業から10年以上経た中で、この変化を肌で感じている。
当初のスタートアップ環境と比べ、現在は確かにリスクが低くなった面もある。
副業制度の普及、クラウドファンディングの発達、オープンソースソフトウェアの充実などにより、起業のハードルは大幅に下がった。
しかし同時に、参入障壁の低下は競争の激化も意味する。
一時的な成功で「思い通りにいっている」と感じた瞬間に、より機敏なライバルに追い抜かれるケースが頻発している。
stakの開発過程でも、「100人がいいねと言ってくれて1人がようやく試してくれる」という現実を何度も経験した。
「天狗になる」という日本の表現は、まさに麻姑掻痒の危険な側面を表している。
成功体験により自信過剰になり、現実を正しく認識できなくなる状態だ。
現代のテクノロジー企業でよく見られる兆候として以下が挙げられる。
- 短期的な成功指標への過度な依存:アプリのダウンロード数やSNSのフォロワー数などの表面的な数字に一喜一憂する
- フィードバックループの遮断:批判的な意見を排除し、賞賛のみを受け入れるようになる
- 技術至上主義の暴走:市場ニーズよりも技術的な可能性を優先させる
- 拡張速度の過度な加速:実力以上の急拡大を目指して基盤を不安定にする
歴史に見る失脚の構造
フランス絶対王政の崩壊 – ルイ16世とマリー・アントワネット
18世紀末のフランスで起きた君主制の崩壊は、「思い通りになること」の危険性を如実に示している。
ルイ16世(在位1774-1792年)とマリー・アントワネットの失脚は、単なる個人的な失政ではなく、システム全体の構造的な問題を露呈していた。
財政データで見る王室の現実認識の欠如
フランス王室の年間支出は、1780年代において国家予算の約40%を占めていた。
特にヴェルサイユ宮殿の維持費だけで年間200万リーブル(現在の価値で約20億円相当)が必要だった。
一方、当時のパリ市民の年収は平均300-400リーブル程度だった。
この約5,000倍の格差は、王室が民衆の生活実態を理解できない状況を作り出していた。
マリー・アントワネットの「パンがなければケーキを食べればいい」という発言(実際には記録にないとされるが)が象徴するように、「思い通り」の宮廷生活が現実感覚を麻痺させていたのである。
政治判断における致命的な誤算
ルイ16世は財政改革の必要性を理解していながら、既得権益層の反発を恐れて本格的な改革を先送りし続けた。
1787年の名士会議、1789年の三部会召集は、いずれも「自分たちの意向通りに」事態を収束させようとする試みだったが、結果的に革命の引き金となった。
特に1791年6月のヴァレンヌ逃亡事件は、王室が最後まで「オーストリアの助けを得て権力を回復する」という「思い通り」のシナリオに固執していたことを示している。
現実的な妥協案を模索する代わりに、一か八かの賭けに出た結果、1793年の処刑という破滅的な結末を迎えることになった。
始皇帝の統一事業と秦朝の急速な崩壊
紀元前221年に中国初の皇帝となった始皇帝(在位前221-前210年)の事例は、圧倒的な権力を手に入れた指導者が陥る「思い通り」の罠を典型的に示している。
データで見る始皇帝の業績と代償
始皇帝の統一事業は確かに人類史上類を見ない規模だった。
秦の支配下に置かれた人口は約2,000万人、統一後の道路建設は総延長約7,500km、万里の長城の建設・修築は総延長約5,000kmに及んだ。
しかし、これらの事業に投入された労働力は膨大だった。
万里の長城建設だけで100万人以上が動員され、そのうち約40万人が過酷な労働で命を落としたと記録されている。
始皇帝陵の建設には70万人が従事し、完成後は機密保持のため全員が生き埋めにされたという記録もある。
「思い通り」の政治運営とその限界
始皇帝は法家思想に基づく厳格な中央集権体制を敷き、「皇帝の意志が即座に全土に行き渡る」システムを構築した。
文字、貨幣、度量衡の統一、焚書坑儒による思想統制など、すべては皇帝の「思い通り」に社会を改造する試みだった。
しかし、この極端な中央集権は同時に極度の社会不安を生み出した。
重税と重労働により民衆の不満は頂点に達し、始皇帝の死後わずか4年で秦朝は崩壊している。
陳勝・呉広の乱(前209年)から項羽と劉邦の楚漢戦争まで、始皇帝が「思い通り」に作り上げた体制は完全に瓦解した。
現代への教訓
始皇帝の失敗は、短期的な「思い通り」の実現が長期的な持続可能性を損なう典型例である。
現代のテクノロジー企業でも、急速な成長を求めるあまり従業員を酷使し、結果的に優秀な人材の流出や組織の不安定化を招くケースが後を絶たない。
水戸藩天狗党の権力闘争と自滅
江戸時代後期の水戸藩で起きた天狗党の乱(1864年)は、「天狗」という言葉の由来とも深く関連する事例だ。
この事件は、政治的な「思い通り」を追求した結果の自滅を示している。
天狗党の形成過程
水戸藩では1829年から藩主継承問題が発生し、改革派が権力を握ると「鼻を高くして偉ぶっている」として「天狗党」と呼ばれるようになった。
彼らは尊王攘夷の思想を掲げ、自分たちの政治的理念を「思い通り」に実現しようとした。
天狗党は一時的に藩内の主導権を握り、軍制改革や人事刷新を「思い通り」に進めた。
しかし、その急進的な改革は藩内の保守派や他の政治勢力との激しい対立を生み出した。
自滅への道程
1864年の挙兵時、天狗党は約1,000名の勢力を擁していたが、実際の民衆の支持基盤は脆弱だった。
彼らの「思い通り」の政治理念は、現実の経済状況や社会情勢と乖離していたためである。
天狗党の西上作戦は、「京都で一橋慶喜を通じて朝廷に直訴すれば事態が好転する」という楽観的な見通しに基づいていた。
しかし現実には、各地で地元勢力との衝突が続き、最終的に越前藩に投降する形で壊滅的な敗北を喫している。
組織運営の教訓
天狗党の失敗は、理念的な正しさと現実的な実行可能性のギャップを示している。
現代のスタートアップでも、創業者のビジョンが「思い通り」に実現できると信じ込み、市場の実態や顧客ニーズを軽視した結果、事業が頓挫するケースが頻発している。
特に注目すべきは、天狗党内部でも筑波勢、潮来勢などの派閥対立があり、「思い通り」を追求する過程で内部分裂が進行していた点だ。
これは現代の企業でも、急成長期において創業メンバー間の意見対立が表面化し、組織が不安定化する現象と類似している。
別の視点から見る危険性
私たちテクノロジー業界には、他の業界にはない特殊な「思い通り」の罠が存在する。
それは技術的な可能性と市場の現実の間に存在するギャップだ。
Clayton Christensenが提唱したイノベーションのジレンマは、成功企業が既存顧客の要求に「思い通り」に応えようとするあまり、破壊的イノベーションを見落とすという現象を説明している。
具体的なデータを見てみよう。2000年以降、フォーチュン500に名を連ねていた企業のうち、約52%が買収、合併、破綻により消滅している。
特にテクノロジー関連企業では、この比率は約65%まで上昇する。
Kodak、Blackberry、Nokiaなど、一時代を築いた企業の多くが、自社技術の「思い通り」の延長線上でしか未来を描けず、パラダイムシフトに対応できなかった。
私たちstakの経験を通じても、この問題は身近に感じられる。
IoTやAIという言葉の知名度は非常に高いが、実際の市場浸透率は期待値を大きく下回っている。
日本のスマートホーム市場を例にとると、2023年の市場規模は約8,000億円と推計されているが、これは当初の2020年予測値の約60%にとどまっている。
一般消費者のIoT機器採用率は、アメリカの約35%に対し、日本では約15%という低水準だ。
技術者やエンジニアは、「技術的に可能なことは必ず普及する」という前提で物事を考えがちだが、実際の市場では利便性、価格、習慣の変更コストなど、技術以外の要素が大きく影響する。
「高機能であれば売れる」という技術者特有の思考は、しばしば商品の複雑化を招く。
stakの開発初期においても、技術的に実装可能な機能をできるだけ多く盛り込もうとして、ユーザビリティを軽視した時期があった。
実際に市場調査を行うと、消費者が求めているのは「多機能性」ではなく「シンプルな操作で確実に動作すること」だった。
これは技術者の「思い通り」の発想と市場ニーズの根本的な乖離を示している。
グローバル化時代の文化的盲点
現代の企業経営者が陥りがちな「思い通り」の罠として、文化的な多様性への認識不足がある。
多くの日本のスタートアップ経営者が「シリコンバレーのような成功」を夢見るが、文化的背景の違いを軽視している。
アメリカでは失敗に対する寛容性が高く、転職やキャリアチェンジが一般的だが、日本では依然として終身雇用的な価値観が根強い。
実際のデータを見ると、日本のスタートアップ転職率は年間約8%なのに対し、シリコンバレーでは約20%に達している。
この差は、経営戦略の立案において重要な要素となる。
Netflix、Uber、Amazon など、グローバル展開に成功した企業に共通するのは、各市場の文化的特性を深く理解し、「思い通り」のグローバル戦略を現地の実情に合わせて修正し続けていることだ。
例えばNetflixは、日本市場参入時にアニメコンテンツへの投資を大幅に増額し、ローカルなクリエイターとの連携を強化した。
これは本国アメリカでの成功パターンを「思い通り」に適用するのではなく、市場の実態に合わせた戦略転換の好例だ。
現代の経営者は大量のデータにアクセスできるが、それが新たな「思い通り」の罠を生み出している。
「データに基づいた意思決定」は確かに重要だが、データの解釈を自分の期待に合わせて歪めてしまう危険性がある。
特にA/Bテストや機械学習の結果を、期待する結論を支持するように都合よく解釈するケースが増えている。
GoogleやFacebookなど、データサイエンスの先駆企業でさえ、アルゴリズムバイアスや予期しない結果に悩まされている。
2016年のアメリカ大統領選挙におけるSNSの影響や、採用アルゴリズムにおける性別・人種差別の問題などは、「データが示す通り」という思い込みの危険性を示している。
データから導く持続可能な経営論
前述した事例から導き出される最も重要な教訓は、「謙虚さ」が持続可能な経営における最重要資源であるということだ。
測定可能な謙虚さの指標
研究機関のデータによると、CEO の謙虚さスコア(部下による360度評価で測定)と企業の長期パフォーマンスには明確な正の相関がある。
謙虚さスコアが上位25%のCEOが率いる企業の10年間の株価パフォーマンスは、下位25%の企業を平均で約40%上回っている。
具体的な行動指標として以下が挙げられる。
- 決定プロセスにおける多様な意見の積極的な聴取
- 失敗や間違いを認めることへの躊躇のなさ
- 部下への権限委譲と成果の帰属
- 継続的な学習と自己改善への投資
Antifragility(反脆弱性)の概念
Nassim Nicholas Talebが提唱したAntifragilityの概念は、不確実性や失敗から学び、より強くなる組織能力を表している。
「思い通り」にいかない状況を前提として組織を設計することで、予期しない変化に適応できる体制を構築できる。
具体的な施策として以下が有効だ。
- 小規模な失敗を許容し、早期に学習する文化の醸成
- 多様なバックグラウンドを持つメンバーによる意思決定プロセス
- 定期的な戦略見直しとピボットの機会の創出
- 外部からのフィードバックを積極的に取り入れる仕組み
レジリエンス指標の設定
企業のレジリエンス(回復力)を測定する指標として、以下のようなKPIを設定することが重要だ。
- 新規施策の失敗率と学習速度
- 意思決定プロセスにおける多様性指数
- 外部環境変化への適応期間
- 従業員のエンゲージメントスコア
技術的負債と経営判断
テクノロジー企業では、短期的な「思い通り」の実現を優先するあまり、技術的負債を蓄積しがちだ。
しかし、長期的な競争力維持のためには、技術的負債の管理が不可欠である。
実際のデータを見ると、技術的負債の解消に年間売上の10-20%を投資している企業の方が、それを怠っている企業よりも長期的な成長率が高い傾向にある。
イノベーションと安定性のバランス
革新性と安定性のバランスを取るため、私たちは「70-20-10ルール」を参考にしている。
これはGoogleが採用していた考え方で、資源の70%を既存事業に、20%を既存事業の拡張に、10%を全く新しい取り組みに配分するものだ。
すべてを「思い通り」の新規事業に投入するのではなく、安定的な収益基盤を維持しながら、計算されたリスクを取る姿勢が重要だ。
まとめ
麻姑掻痒の本来の意味は「痒いところに手が届く」という細やかな配慮だった。
しかし現代では「思い通りになること」として解釈されることが多い。この解釈の変化自体が、私たちの思考の変化を反映している。
古代中国では、他者への思いやりや配慮が重視されていたが、現代では自己実現や自己満足が優先される傾向がある。
しかし、持続可能な事業経営のためには、原点に立ち返る必要がある。
真の「麻姑掻痒」とは、顧客の潜在的なニーズに気づき、それに応える商品やサービスを提供することだ。
それは決して経営者の「思い通り」ではなく、市場や社会の要請に応える姿勢でなければならない。
私たちstak, Inc.も、この原点を忘れずに、テクノロジーを通じて人々の生活をより豊かにする「作品」を創り続けていきたい。
それこそが、古来から伝わる麻姑掣痒の精神を現代のテクノロジー企業が受け継ぐ道だと確信している。
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