人心一新(じんしんいっしん)
→ 人々の気持ちをすっかり新しくすること。
人生には転機というものがある。
ターニングポイントという言葉がまさに当てはまると思うが、当然私にもターニングポイントがある。
気持ちを新たに進んでいくわけだが、せっかくなので改めての自己紹介がてら、私自身のターニングポイントについて語ってみよう。
ただ、なにものでもない、stak, Inc. のCEOである植田 振一郎に全く興味のない人にとっては時間の無駄なので、読み飛ばしてもらって構わないことは予め書いておく。
人生最大のターニングポイント
ということで、まだ私の人生は志半ばすぎるのだが、振り返ったときの最大のターニングポイントは大学生から社会人になるタイミングだという自負がある。
私の学生生活は大学まで続いたわけだが、大学に行った理由も大したものではない。
広島という小さな街で生まれ育った。
そんな広島では1人介せば誰かと繋がるという生活だった。
それがとにかく若かりし頃の私にとってはウンザリだった。
とにかく、東京という大都会に憧れて、高校を卒業したら東京に行こうと決めた。
こんな理由で上京を目指したのだから、大学なんてどこでも良かった。
行きたい大学なんてなくて、少しでも名前が知れている大学に入ることを目標とした。
そうして決めた大学なので、あっという間に4年間という月日が経つのだが、その間にも自分のやりたいことなど見つからなかった。
日本の大学に行ったことがある人はわかると思うが、大学3年生になると就職活動というものが始まる。
大学の構内にはどこからともなく現れた人たちが袋に詰め込まれた就職活動の資料を配布する。
また、大学では企業説明会のようなイベントが行われ、企業の採用担当者が大学に来る機会も訪れる。
ほとんどの人が大学内にあるキャリアセンターに行っては就職活動の相談をするといったようなスタイルが就職活動の一般的だろう。
ただ、私は就職活動というものをしたことがないので、細かいところは想像でしかないことは書いておいた方がいいだろう。
就職活動で感じた違和感
それでは、なぜ就職活動をしなかったのか。
そこには明確な理由がある。
それは、なにをしたいかもわからないのに就職活動をしても意味がないということだ。
とりあえず就職するというスタンスの人も多い中、私は自分のやりたいことを仕事にしなければ意味がないということを漠然と思っていたわけだ。
そして、その方向を決定づけた1つの出来事がある。
就職活動を全くしない私の姿を見て、大学の同級生の数人が私のことを心配してくれた。
言い方は悪いかもしれないが、私からすると全くもって大きなお世話だといったところなのだが、まあ彼らも親切心からそうしてくれているわけだから無下にはできない。
彼らが言うには、上述した企業説明会が大学構内で行われるから、1回は参加した方がいいというのだ。
断りたい私がいたのも事実だが、親切心からの言動だということは理解していたので彼らに付き合うことにした。
某日、企業説明会が開催されるわけだが、彼らの思惑は真逆の結果となった。
企業説明会には違和感しかなかったのである。
大ホールに集まった学生たち
その違和感について書いていこう。
私が卒業した大学はそれなりに学生の多い大学だったこともあり、学部も多かった。
1,000人は入ろうかという大ホールで企業説明会が行われていたのだが、中央部に10社くらいの企業の採用担当者がいただろうか。
その採用担当者が自社のことについて説明をしている。
一通り、企業の説明が終わると質疑応答の場面になった。
そこがまさに違和感だらけの場だったのだが、こんな感じだった。
「経済学部3年の◯◯(名前)です!御社に入った際には、どのような福利厚生がありますか?」
1,000人近くいた学生のほとんどが手を挙げると、当てられた学生が大きな声で直立不動で質問を投げかけていく。
そんな質問に対して、採用担当者は淡々と回答をしていく。
学生のほとんどはこの光景が当たり前だと思っているのか、質問できた学生は満足そうな顔をしてさえいる。
私は、4つ目か5つ目くらいの質問が飛び交ったくらいだっただろうか。
その大ホールを後にした。
とてもじゃないけれども、こんな状況下での就職活動など私にはできないと感じた。
言い方は悪いかもしれないが、品定めされている家畜のように見えたのである。
学生から社会人へ
その後、私がとった行動は弁理士という資格を取るというものだった。
今では士業についても全く考え方が異なっているのだが、当時は特許という独占権に魅了された。
他にも実用新案、意匠、商標、著作権といった権利というものに非常に興味が湧いていたのが、大学3年生から大学を卒業するくらいまでの私だ。
弁理士になろうということで、法学部でもない私は専門学校に通っていた。
そこで学ぶのだが、当時の弁理士試験の合格率は約6%という狭き門だ。
付け焼き刃の勉強で叶うはずもなく、2年間受験をしたが惨敗に終わった。
そして、その間に大学も卒業していて、流石にこれ以上20代前半という貴重な時間を弁理士試験に費やすことはできないなと思っていた。
そんなときにターニングポイントとなったのが、お世話になっていたとある社長との会話だ。
私が2回目の弁理士試験合格を目指して黙々と勉強をしていたころ、同時に卒業も挟んでいたのは上述したとおりだ。
大学も卒業しているが勉強もしなければいけないのでアルバイトをしていた。
ただ、勉強を優先させるとなるとなかなか都合のいいアルバイト先はない。
そんな中、とあるベンチャー企業の求人を紹介してもらい、そこに決めた。
というのも、働きたいときに来て働いてくれればいいよというスタンスで、当時の私にとっては願ったり叶ったりの環境だったからだ。
そこの社長がまた面白い人で、そんな私にもいつも優しく気遣ってくれた。
その社長との会話がこちらだ。
「植田くんが頑張っていたからあんまり言わなかったけど、なんで弁理士になりたいの?」
こう聞かれて、私は特許という独占権やそれ以外の権利について、それらを取り扱う仕事をしてみたいと素直な気持ちを述べた。
そんな私の言い分をしっかりと聞いてくれた後に、こう言われた。
「でも、もし植田くんが弁理士になれたとしても、一生その仕事をやらないといけないんだよ?」
この一言に対してはそこまで響くものもなかったのだが、次の一言が私には衝撃だった。
「俺らのような経営者は弁理士さんもそうだけど、弁護士さんや税理士さんといった士業の人たちと一緒に仕事をしているのは分かるよね?」
私はただただ頷くだけだ。
「そういった人たちを仲間にする側にいこうとは思わないの?」
立て続けに言われたこの一言が、まさに金槌で頭を殴られたような衝撃だった。
「植田くんは本当に自分がやりたいことを見つけて、そこに共感してくれる人を集めてビジネスをしていく醍醐味を知った方がいいと思うんだよね!」
そこまで長い付き合いでもなかった社長なのだが、私の本質を見てくれていたのだろう。
私は弁理士になることを目標にしていたのは事実だが、絶対にこれしかないというわけではなく、どこか弁理士資格を取ることだけにフォーカスしているのを見抜かれていたのだろう。
そこから、私は経営者になる道を選んだ。
いや、正確に言うとただただ形だけの経営者になるのは誰でもできる。
自分が本当にやりたいことを見つけて、夢中になれる人生を送ろうと決めた。
社会人のスタート
こうして、弁理士資格を手中に収めることはキッパリと諦めて、私もベンチャー企業で働く道を選んだ。
いきなり自分でやりたいこともなかったので、社会人経験もない私が急成長するためには、なんでもやらせてくれるベンチャー企業しかないと思ったからである。
弁理士資格の勉強をしていた頃にお世話になっていた社長には、そのままウチで働けばいいじゃないかと誘ってくれたのだが、そこは若気の至りとでもいうのだろうか。
いや、自分の力でやり切ってみせますといきがりながらも次へ向かうことにした。
こうして出会ったのが、株式会社TKP(ティーケーピー)という貸会議室事業を展開している会社だ。
そこから私の社会人生活がスタートして、今の私の礎となっている。
まとめ
stak, Inc. も10期目を迎えている。
起業当初は社名も違っていたが、おかげさまで少しずつ仲間も増えて、士業の先生たちとも仲良くさせてもらっている。
多くの弁理士の先生とも出会うことができ、stakで特許の取得もできた。
人生は選択の連続であり、その選択の結果が私たちの人生をつくり上げていく。
私たちは自分の人生を自分で選び、自分の未来を自分で創り出すことができる。
ターニングポイントは事後的にわかるような気がするが、挑戦することの重要性は欠かせない。
それが自分の人生をより良くするための最初の一歩だと信じている。
挑戦することで、自分の人生のターニングポイントを振り返る。
それがあなたの人生を一新し、新しい可能性を開くかもしれない。
そして、その一歩があなたをさらに未来へと導くだろう。
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