自由闊達(じゆうかったつ)
→ のびのびとして心が広く、物事にこだわらないこと。
淡々と日々を過ごしていると、あまり気づくことはないかもしれないが、自分自身の特性というのは、できるだけ知っておいた方がいい。
私は自分を自分で俯瞰で見ることをオススメしている。
というのも、自分の価値を磨いていくためには、まずは己の特性を知らなければどうにもならないからである。
簡単に言うと、長所と短所を切り分けるということなのだが、案外それができていない人が多い。
教育の中のズレ
日本の教育、とりわけ義務教育に関してはいろいろと苦言を呈している立場ではあるが、もちろん全てが悪いと主張しているわけではない。
例えば、長所と短所を挙げるという場面に出くわしたことがある人は多いと思う。
家族、友人の長所と短所を挙げるという場面だ。
これについては、挙げられる対象となった人も普段は周りにどういう風に見えているのかを知るという意味でも非常に貴重な機会だと思っている。
まあ、中には短所を挙げられることで本気で気分を害するような人も現れるわけだが、そういう人はそういうのも込みで分析すればいいだけの話だ。
ここで指摘を入れたいのは、なぜ指摘する対象を自分にしないのかということだ。
まずは、自分自身の長所と短所をしっかりと挙げることから始めなければいけないのに、その対象は他人に重きを置いている風潮があるように感じている。
これでは、極論、ただただ他人を指摘するというだけのクレーマーを増殖するのとあまり変わらない気がするのである。
ましてや、日本人は忖度が文化の1つとなっているといっても過言ではない。
となると、本来やるべき分析にならず、うわべだけの指摘になる可能性が高い。
そこでやるべきなのは、まずは自己分析だという主張をしている。
単純に、自分自身が思っている良いところと悪いところをとにかく列挙するのである。
少々うぬぼれが入っていてもいい。
それと、他人が指摘した長所と短所が一致した部分が、その人の根本を形成する部分だということになるわけだ。
自己分析の重要性
自己分析については本当に重要だと思っているので、もう少し深堀りして書いていこうと思う。
そもそも、自己分析とは、自分自身を客観的に見つめ直し、自分の性格や価値観、強みや弱み、興味や関心などを明確にすることをいう。
そして、なぜ自己分析をした方がいいのかについての理由は下記のとおりだ。
1)自分自身を客観的に見つめ直すことができる
自己分析は、自分自身を客観的に見つめ直すことができるため、自分自身の意識や思考の癖を知ることができる。
それによって、自分自身の問題点や課題を明確にし、改善するための方針を見出すことができるようになる。
2)自信を持って行動できるようになる
自己分析を行うことで、自分自身の強みや価値を理解することができる。
それによって、自信を持って自分自身をアピールすることができるようになる。
また、自己分析を行うことで、自分自身の目的や目標を明確にし、それに向けて行動することができるようになる。
3)人間関係の改善に繋がる
自己分析を行うことで、自分自身の性格や意識、思考の癖などを客観的に知ることができる。
それによって、自分自身のコミュニケーションスタイルや相手に求めることを明確にすることができるようになる。
それが、人間関係の改善につながることもある。
4)キャリア選択の方向性を見出すことができる
自己分析を行うことで、自分自身の性格や能力、興味や関心を明確にすることができる。
それによって、自分に合った仕事やキャリアの方向性を見出すことができる。
また、自分の強みや弱みを把握することで、今後のスキルアップやキャリアアップの方向性を見つけることもできるようになる。
自己分析の方法
それでは、具体的にどういう方法で自己分析をしていけばいいのか、オススメの方法も列挙していこう。
1)SWOT分析法
SWOT分析法とは、自分自身の強み、弱み、機会、脅威を分析する手法をいう。
自分自身の強みや弱みを分析することで、自分自身の性格やスキル、価値観などを明確にすることができる。
また、機会や脅威を分析することで、自分自身の環境や業界動向を把握することができる。
2)自己アセスメント
自己アセスメントとは、自分自身の性格、価値観、興味・関心、能力などを評価する手法をいう。
自己アセスメントには、様々な質問紙やテストがあるので試してみるといいだろう。
自己アセスメントをすることで、自分自身の特性を客観的に知ることができる。
3)自己観察
自己観察とは、自分自身を客観的に見つめる手法をいう。
自己観察には、日記をつけることや、自分自身を録画すること、自分自身に対してフィードバックをすることなどがある。
自己観察をすることで、自分自身の問題点や改善点を発見することができる。
4)第三者からのフィードバック
第三者からのフィードバックとは、自分自身の行動や性格について、周りの人から意見をもらう手法をいう。
フィードバックをもらうことで、自分自身の問題点や改善点を知ることができる。
ただし、フィードバックをもらう場合は、相手の意見を受け入れることが重要だという点は留意したい。
自己分析後に意識してもらいたいところ
自己分析の重要性および自己分析の方法については、なんとなく理解してもらえたと思う。
大切なことはその先で、こだわりとプライドの違いについてだ。
自分の価値を出すときには自分自身をプレゼンしなければならないというのは理解してもらえるだろう。
となると、自分の価値を最大限見せつけなければいけないので、自分にしかないこだわりが入るのは必然だ。
ここについては、私自身も完全に同意なのだが、問題はこだわりとプライドの垣根についてだ。
ここは似て非なる概念だということを最期に強く主張しておきたい。
まず、概念的な違いを明確にしておこう。
こだわり
まず、こだわりは、ある物事に対して、特別な注意や注意深さを払うことを意味する。
これは、個人的な嗜好や興味によって決定されることが多く、個人の趣味や嗜好に関係することが多い。
例えば、食事にこだわりを持つ人は、食材の品質や調理方法に非常に注意を払い、自分が食べるものに厳しい基準を設けることがある。
プライド
一方、プライドは、個人的な自尊心や尊厳感を表す概念であり、自分自身や自分が所属するグループに対する尊敬や自信を表す。
プライドは、個人が自分自身や自分の成果に自信を持っていることを示すことが多く、自分自身や自分の所属するグループを尊重し、自分自身を高く評価することがある。
つまり、こだわりとプライドの違いは、こだわりは物事に関する注意深さを示すのに対して、プライドは自己評価や尊敬に関係することを表す点にある。
改めてまとめると、こだわりは主に個人の嗜好や趣味に関係することが多く、プライドは個人の自己評価や所属するグループに関係することが多い。
これでは、まだ抽象的なので、よりわかりやすくまとめておこう。
こだわりとプライドの違い
こだわりとプライドはいずれも、1つのことに固執するという点は共通している部分だ。
ただし、決定的な違いは、こだわりはベクトルが相手に向いているのに対して、プライドはベクトルが自分自身に向いているという点だ。
この点を上手く理解していない人が、小さなプライドを引きずってくすぶっている場合が多い。
私の考え方は、いくらでもこだわりを持てばいいと思う一方で、プライドはいの一番に捨てるべきだというものだ。
相手に自分のこだわりを見せつけることは価値を生み出すが、自分のプライドを守ることは道を閉ざす。
このことをよく覚えておいてもらいたいのだが、プライドは決してこだわりではないということだ。
このプライドの無意味さに気がついていなくて、自分の殻を破れていない人をたくさん見てきたような気がする。
自己分析をした際に、プライドが高いというワードが自分自身、あるいは第三者から出てきた人は要注意だと思ってもらいたい。
そのプライドからの開放が、あなたが高みに行くための最短ルートだからだ。
まとめ
この言葉も私はよく使う。
それは、小さなプライド、あるいは小さいプライドという言葉だ。
そして、これを持っているうちは小粒で終わってしまうということも常に指摘している。
なぜ、ここまで言い切れるのか。
それは、私自身がずっと小さなプライドを抱えて生きてきた人間で、その小さなプライドからの開放で救われた人間だからだ。
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