News

お知らせ

2023年2月25日 投稿:swing16o

良い思い込みと悪い思い込み

至上命令(しじょうめいれい)
→ 絶対に従わなければならない命令。

絶対に従わなければならない命令など世の中に存在するのか、疑問しかない。

というか、そんなものは幻想であって思い込みでしかないということは明確だ。

けれども、人間社会においては、この思い込みという意識が、結構重要な位置づけにある。

ということで、思い込みということについて書いていこう。

日常の積み重ねが思い込みに繋がる理由

思い込みのほとんどは、意識しているときには生まれない。

なにも意識せずに日々を過ごしている中で、勝手に思い込みは刷り込まれていく。

それは良し悪しを問わず、誰にでも起き得る現象で、回避することはできないと思った方がいい。

つまり、当たり前だと思う感覚が人それぞれであるのと同様に思い込みも人それぞれだということだ。

そして、当たり前だと思う感覚が人それぞれ異なるのと同様に思い込みも人それぞれ異なるということだ。

となると、それはポジティブにもネガティブにもなるということは理解してもらえるのではないだろうか。

例えば、食事に誘いたいと思った場合を想定してみよう。

晴れて食事の場が設定できると仮定して、好みや場所などどこまで聞いていいのかが難しいという人がいる。

あまりしつこく聞くことが失礼に当たるというのが、その人の主張なのだが、私からすると完全に思い込みだ。

むしろ、そのあたりはしっかりと聞いて欲しいとすら思う。

いずれにせよ、これくらいの些細なコミュニケーションでも、ズレが生じる可能性があるということを認識した方がいい。

おそらく、自分にはない当たり前や思い込みを持っている人は、それが発動する場面でなにかしらのトラウマに似た経験をしているのだろう。

全然気にしなくていいのにという場で、ついネガティブに働いてしまいがちなのが、思い込みの悪い部分だ。

思い込みをポジティブに変える方法

とはいえ、私は思い込みはした方がいいと思っている側の人間だ。

というのも、思い込みはポジティブに働いたときに絶大な推進力を生み出すものだという確信があるからである。

そこにはエビデンスはなく、ただただ私の感覚でしかないのだが、思い込むことで上手くいくことは案外ある。

予め主張しておくが、私は精神論や根拠のないロジックについては全く興味がないし、超絶否定的な考え方の人間だ。

けれども、思い込みを武器にできる人は強いということを言いたい。

簡単に言うと、自分はできるという思い込みはどんな場面においてもポジティブに働くのである。

行動が起こせない人のほとんどは、できないというネガティブな思い込みが先に働くことで、結局ジッとしている。

一方で、自分はできるという思い込みを持っている人は、ノリでサクッと前に進んで行く場合が多い。

これは人生においてとても重要な部分だと思っているのである。

とどのつまり、チャンスを逃す人のほとんどが、できないという思い込みによるものだということだ。

自信がなくてもいいし、上手くいかないかもしれないという気持ちが多少あってもいい。

それでも、自分はできるという思い込みがあれば、なんとかなる。

いや、なんとかする方向に持っていくことができるという確信がある。

なぜなら、私、植田 振一郎がそうやってきた人間だからである。

チャンスを逃す人の特徴

私が本格的にというか、起業してから経営者という立場になって10年目を迎えた。

それだけ事業を続けていると、当然いろいろな人と出会うことがある。

そして、最近も多々そういう人に出会うのだが、チャンスを確実に逃したなということがわかるようになってきた。

今やるべきことをやらないから先がなくなるのは当たり前で、そのことに気がついていない。

なぜそんなことになるのか。

そこにも思い込みが働いていると感じている。

チャンスを見極めることができないのは、その人がなぜそういうことを言っているのかを理解しようとしないからである。

自分の思い込みが激しくて、せっかくその人や企業のためになるように動いてくれている人たちに対して断りを入れているのである。

そのことに気が付いていないからたちが悪いのだが、往々にしてそういう人はチャンスを逃している。

裏側で多くの人が考えてくれていたことに気が付いていないので、そこから先が上手くいくはずがない。

ネガティブな思い込みが生まれる理由

それでは、なぜそういうネガティブな思い込みを持つ人が生まれてしまうのか。

その答えは簡単で、自分自身を俯瞰で見ることができていないからだ。

自分の得意分野、苦手分野がしっかりと把握できておらず、なんでもかんでも自分でやろうとしている人はネガティブな思い込みを持っている人が多い。

そして、それが小さなプライドと相まって、チャンスを逃してしまうのである。

それが連鎖していくともはや取り返しがつかなくなるのだが、そういう人は振り返ってなんとかしようとすることもない。

つまり、ずっとネガティブな思い込みを生み続けてチャンスを失う側に回ってしまうのである。

チャンスは誰にでも平等にある

もう1つ重要なことを書いておきたい。

それは、自分より成功している人に対してどのように感じるのかというところである。

悲しいかな、日本人の多くはそれを妬み嫉みに繋げてしまう。

ただ、たまたま成功したという人も中にはいるだろうが、ほとんどの成功者と呼ばれる人たちは努力をしている。

私が出会ってきてリスペクトのある成功者たちは、誰よりもしつこくやり続けるし、やり切るということを信念にしている。

なによりも彼らは努力とあえて書いたが、自分がやり遂げようとしていることに対してやり切ることを努力だと思っていない。

その過程を楽しんでいるようにすら見えて、その先に周りの人からすると成功と呼ばれる形があるのだと私は解釈している。

私の中での成功者と呼ばれる人たちは、自分が成功者だと思っておらず、当たり前のことを当たり前にやってきただけだという人が多い。

もちろん、欠落している部分もたくさんあると思うし、そういった部分で人間味があるところがまた魅力だったりするのだが、とにかくどこか楽しんでいる。

そして、そんな人たちが言うのは、チャンスは誰にでも平等にあるということだ。

ただ、多くの人はチャンスをチャンスだと気が付いていないというのである。

あるいは、チャンスだと思ったとしても手を出すスピードが圧倒的に遅い。

だから、チャンスは逃げたり、他の人に取られてしまうということだ。

チャンスを掴もうと思ったときに大切なことは、なにも考えずに瞬発的にそれを捕まえに行こうとすることなのだ。

でも、ちょっとしたネガティブな思い込みがある人は、手を伸ばそうとすることはないだろう。

この差が人生においてはかなり大きくなるということを改めて主張しておく。

今日もまた、チャンスを逃したと思える人に出会ってしまった。

チャンスは誰にでも平等にあるけれども、何度も何度も無限に降り注いでくるものではない。

そこは勘違いしてはいけないところだ。

まとめ

厳しさとはなんなのかと考える機会が増えたように思う。

私も一丁前に教えるという立場に完全になったのだと実感するのと同時に、まだまだ力量が足りないと思う人たちと仕事をする機会が増えた。

そういったチームづくりというか組織編成へと完全にピボットしたので当然といえば当然なのだが、そんな中で遠慮することの無駄を感じるのである。

そんなときに私が思うのは、私が学んできたことをそのまま出すことの重要性だ。

最近の若者はとかいう言葉を使っていたオジサンたちが大嫌いだったけれども、そんな中でも学べることがあったもの事実だ。

純粋に取り入れることができる場面、反面教師にした場面と様々な場面があったけれども、今の私がこうして偉そうに毎日ブログを書けるのも経験によるものだと言い切れる。

ということで、なぜできないのかを1つずつ因数分解することは、本人に任せることにした。

私がその人のことを分析したところで、その人は変わらない。

結局、変わろうと思って行動を起こすのは本人次第なわけで、どうなるかわからないことに私の貴重な時間を割く必要はないという結論だ。

だったら、なにをすることが教育になるのだろうか。

それは、ヒントを出すことだ。

こうしてみてはどうだろうというヒントを出すことだ。

もちろん、私の出すヒントが正解へ繋がっているかどうかは全く別の話だ。

けれども、圧倒的に私の方が仕事ができると感じている場面では、私がヒントを出し続けることこそ、厳しさであり教育なのだと思っている。

私がヒントを出し続けることで、自分はできるという思い込みを自分の強い武器にしてもらいたい。

 

【Twitterのフォローをお願いします】

植田 振一郎 Twitter

stakの最新情報を受け取ろう

stakはブログやSNSを通じて、製品やイベント情報など随時配信しています。
メールアドレスだけで簡単に登録できます。