獅子奮迅(ししふんじん)
→ ライオンが奮い立って勇猛に動きまわるように、事に対する意気込みや勢いが凄まじいこと。
このブログで言いたいことを先に書いておこう。
至ってシンプルなのだが、それは勢いが重要だということだ。
勢いは熱狂を生み出し、推進力を高める。
せっかくなので、このことについては、今一度アツく語っておこうと思う。
空気を読むことでは生まれない空気感
誰しもが心地いい空気や空気が悪いと感じたことがあるだろう。
いわゆる、空気感というもので、とどのつまり雰囲気のことだ。
例えば、会議室に入ったときに空気が重いと感じたり、パーティ会場に入ったときに場が明るいと感じたりといった経験をしたことがあるだろう。
そんな空気感を感じる理由は、人間の感覚器官が周囲の環境を感じ取るからだといわれている。
私たち人間は、目で見たり、耳で聞いたり、鼻でかぎたり、皮膚で触ったり、舌で味わったりすることによって、周囲の状況を把握している。
また、人間は社会的な動物であり、他の人たちとの交流やコミュニケーションが不可欠だ。
空気感は、その場にいる人々の気持ちや状況が反映されたものであり、人々の表情や話し方、仕草などから読み取ることができるのである。
そして、空気感を感じることは、自分自身の感覚や知覚が正しいかどうかを確認するためにも役立つ。
また、他の人たちとのコミュニケーションを円滑にするためにも、空気感を感じることは重要とされている。
ここまで書いてきて勘のいい人は感じたかもしれないが、空気を読むという言葉ある。
説明するまでもないが、空気を読むという言葉は日本語独特な表現であり、主に集団の中で相手の気持ちや状況を察して、その場の雰囲気やムードに合わせた適切な行動や発言をすることだ。
相手がなにを望んでいるかを読み取り、それに合わせた行動を取ることができるスキルのことというポジティブなニュアンスが含まれている。
人間関係を円滑に保つためには非常に重要なスキルであり、ビジネスの場でも会話の中でのニュアンスや雰囲気を理解し、相手に不快感を与えないようにするために必要な能力だというわけだ。
また、異文化コミュニケーションにおいても、相手の文化背景や状況に合わせたコミュニケーションが求められるため、空気を読むスキルは大切だと位置づけられている。
ただ、空気を読むことが全ての場合において適切であるわけではない。
自分自身の考えや意見を述べることが必要な場合や、正しい行動を取るためには空気を読むことでは不十分な場合もあるというネガティブな側面もある。
つまり、空気を読むスキルとともに、自分自身の判断力も養うことが重要だというわけだ。
でも、私はこの空気を読むことでは、そんな人が多い環境では、良い空気感は生まれないと確信している。
勢いが生む熱狂
その場にいるときは往々にしてわからないというか、気がついていないというか、意識していないというか、勢いがある環境には熱狂がある。
一言で言い切るのであれば、アツいのである。
それも、押しつけるような違和感を覚えるアツさではなく、その場の全体からなんとなく醸し出されているアツさだ。
自然と一丸となって高みを目指しているときの空気感は味わったことがある人にしかわからないと思う。
そして、同じ環境にいても、自分自身が高みを目指そうという意識がなければ、熱狂を感じることはないはずだ。
クールという感覚を勘違いしている人も多いように思っていて、それは現実的とか冷静というものではなく、ただただ無意味に冷めているだけだ。
なにが言いたいのかというと、自分自身が熱狂が生まれている場所に近づいていかなければいけないということだ。
そして、その場がどこにあるのかというと、実は世の中にアツいあ場所は溢れていると思っている。
どんなジャンルのところであっても、熱量を持って仕事に取り組んでいる人はいる。
この人は他の人と違うなと感じることがあれば、できるだけその人の近くにいることだ。
もしかすると、近づいたときに思っていたのと違うといったこともあるかもしれないが、そうなったらまた違う熱量を持っている人の近くに行けばいいのである。
それをくり返しているうちに、自然とそういう場所にいるようになることができる。
確実に言えることは、勢いがあるところに熱狂はある。
勢いが生む推進力
もう1つ大切なことがある。
勢いが重要だという主張の続きになるが、その理由は勢いは推進力を生むからだ。
なにかをやろうと思っても、なかなか動かない、つまり行動を起こさせないというか起こさない人が世の中の大半だ。
けれども、勢いがあるところでは、誰かが自然と動くという作用が勝手に働いている。
となると、推進力が生まれて物事が進んでいくという好循環が生まれるのだ。
ゼロからイチを生み出すときに、1つずつ小さなところにこだわっていては、推進力は生まれにくい。
ある意味でエイヤで割り切って進めていかなければいけないし、そこにさらに勢いが生まれて推進力が加速していくのである。
これも、そういった場所で経験したことがある人にしか理解できない感覚だと思うが、ありがたいことに私はそれを幾度か経験させてもらえた。
だからこそ、そういった勢いを生み出すことを大切にしている。
推進力が多方面に拡がっていけば、仮にどこかの方向への推進力が弱まったとしてもピボットできる。
そういう意味でも、勢いを生む場所というか、きっかけをつくって一気に推進力を纏うイメージだ。
勢いを感じることができるリアル
テクノロジーが発達して、メタバースが注目されている。
細分化していけばいろいろとあるのだが、ここではザックリとVRやARも同じ世界だとあえて書かせてもらう。
メタバースは仮想空間と表現されることも多く、すでにゲームの世界では当たり前になっている。
そんな世界に興味があるし、今後さらに拡がりを見せていくことは否定しない。
けれども、現時点で圧倒的に足りていないものは、リアルで感じる勢いとの差分だと思っている。
現実社会のいいところは、やはり勢いを肌で感じることができると言い換えれば、なんとなく言いたいことを理解してくれるだろうか。
くり返すが、私はテクノロジーに対してはかなり肯定的というか、自分自身がどんどん新しいものに触れていたいタイプなので、世界が拡がっていくことにはワクワクしかない。
けれども、そのときには常にこの概念が入るようになった。
それは生涯、ずっと過渡期だということだ。
その意味についても、何度か書いてきているが、生涯なにかしらの過渡期の渦中にいるということだ。
それこそ今現在はChatGPTが話題になっているが、汎用人工知能を目指すチャットボットが、具体的にどんな形のサービスとなって人々の生活に入ってくるのかという過渡期だ。
その過渡期がすぎると、同じようなサービスが出てきて、その中から激戦を勝ち残ったサービスがインフラとなっていく。
そこに達するまでにも過渡期があるだろう。
なにもそれはチャットボットの世界のみならず、あらゆる世界で同時にスパンもバラバラで過渡期の連続が起きていることを主張している。
となると、本当にリアルとバーチャルが融合するとなるまでは、リアルの場面で感じることのできる勢いに従った方がいいというオススメをしておこう。
まとめ
勢いだけだとバカにされることがある。
そんなときは、笑い返せばいい。
勢いすらない人が世の中の大半であって、勢いがあることはエネルギーが集まってくるきっかけになる最初の第一歩で、勢いだけでなんとかなることも世の中には多々ある。
逆に言うと、勢いがない人のところに熱量はない。
となると、熱狂も起きないし、強烈な推進力も生まれることがないということだ。
いやいや、勢いだけで十分じゃないか。
勢いだけでやり切った人は、また別の場面でも新たな勢いを生み出せるパイオニアになれる。
このブログを書いていて、私も生涯、エネルギッシュでバイタリティあふれる人でいようと改めて思った次第である。
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