舐痔得車(しじとくしゃ)
→ 利益を得るためには、自分を卑しめることさえ厭わないということ。
利益を得るためには、自分を卑しめることさえ厭わないと聞くと、とんでもないという人が多いように思う。
そんな人に会う度に、私はなにを言っているんだろうと不思議に思うわけだ。
利益を得るために、自分の小さなプライドなんか守ってどうするのだろうという考え方だ。
何度も何度もくり返し主張していることだが、これができない人が本当に世の中には多い。
本当に追い込まれたときに人が取る行動
結論から言うと、プライドが高い人は損をする。
これは明確に言い切ることができる。
なぜなら、最終的に誰も助けてくれなくなるからだ。
そもそも困っていることに気づかれることも難しいだろうし、だったら自分でやればいいよと見放されてしまう。
もっと言うと、そういう人は本当に追い込まれたことがないのだと私は思っている。
なにが言いたいのかというと、本当に追い込まれたときには意地もプライドもへったくれもないからだ。
極限まで追い込まれたときには、なりふり構わずに行動を取るものだ。
なんとかしてでも上手くいかせるような言動を取ってしまうというのが究極の追い込まれたときの姿であって、私はその姿を決して醜いとは思わない。
むしろ、わかりやすく親近感すら覚えるし、本当に大切な人であればどんな手を使っても助けたいと思う。
プライドが高い人は、ここにたどり着けないから、結局損をするということを言っている。
頭を下げることが恥ずかしいとか、屈辱的だとか言っている時点で終わってるなとすら思う。
核を突いて申し訳ないが、だから上手くいかなかったんだとすら感じてしまう。
さらに、本当に追い込まれるまで必死になってとった言動ではないんだろうなという印象を受ける。
くり返し言うが、人が本当に追い込まれたときは、なりふり構わずになんでもするというのが当たり前というか自然な姿であって、それができない人は損をする。
プライドが高い人が生まれる理由
なぜ、これほどまでにプライドが高い人が世の中には多いのだろうか。
それは、周りの人に関心がなかったり、中途半端に生きているという人が大半だったりと様々な要因があって、変数も多すぎるのだが、根本には教育があると思っている。
単純に、すみませんとかごめんなさいという言葉がスッと出ない人はプライドが高い。
なにも自分が悪いと思ったときの謝罪の言葉を指しているわけではなく、些細な日常であってもいい。
例えば、道や列を譲ってくれた相手に対してとか、エレベーターを先に降りるときとか、ついでにゴミを捨ててもらったときなど、自分のためになにかやってくれた場合だ。
あなたは、そんなときにありがとうの感謝の気持ちか、すみませんとかごめんなさいというへりくだった感謝の気持ちを瞬発的に言えるだろうか。
ここで理解してもらえたと思うが、へりくだった表現がサラッとできるということは、感謝の気持ちとイコールになる場合があるということだ。
発する言葉や表現の違いはあれど、こういった場面で咄嗟になにも出ない人は習慣がない、つまり教育されてきていないということになる。
どちらもできないという人かスッとこういった言動ができる人のどちらと付き合っていきたいだろうか。
答えを書く必要すらないだろう。
意識することで捨て去れるプライド
とまあ、偉そうにツラツラと書いてきているが、かつての私はよくプライドが高そうと言われてきた。
そのことに関しては特段なにも感じてはいなかったが、これは良くない印象を与えていると思うようになったのが20代後半のあたりだろうか。
自分自身はプライドが高いなどと思ってもいなかったのだが、プライドが高い人は損をするというということをよく聞くようになってから意識するようになった。
というのも、別に私自身のプライドが高いと指摘されたわけではないが、プライドが高い側の人間だったのだろうと思える経験がある。
それは、とある取引の場面で、これでもかというくらい頭を下げる場面があって、私自身は正直カッコ悪いなと思ったときだった。
そんなに露骨にこっちの事情を話して、そこまで媚びへつらってまで上手くいかせたいのかと感じた自分がいた。
でも、その人の肩には何百人という人たちの生活がかかっているということが私には全く見えていなかった。
もちろん、自分自身の利益のためということもあるだろうが、それよりも大局を見たときには、なりふり構わず頭を下げることで上手くいくのであれば、それは戦略であって勝ち筋なのだ。
実際にその交渉の後はビックリするくらいの急成長の場面を味わうことができた。
そう、私はただただ隣りにいただけで当事者意識もなく、なにも考えていない側の人間だったということが明らかだったのだ。
そこから私の考え方は一変した。
私が持っていたものこそがプライドで、そんなプライドは生きていく上で全く必要がないと悟ったのである。
プライドの中でも一番厄介なもの
そんなプライドの中で、最も厄介なのが小さなプライドだ。
わかりやすいプライドは、ある意味で個性なのでそのままにしておいてもいいかもしれない。
けれども、小さなプライドがその人の人生の邪魔をする。
そして、それに気がついていないことが多いのが、小さなプライドのたちが悪いところなのだ。
どんなことでもいいが、共通して言えることは、素直になれないという状況は全て小さなプライドが働いていると思えばいい。
カッコ悪いんじゃないだろうか、恥ずかしいといったような感情は、常に小さなプライドのカテゴリに位置している。
そんなことを考える暇もなく、スッと行動を起こせる人、言語化できる人とどれほど差が開いていくのか、しっかりと自分自身を見つめ直した方がいいだろう。
小さなプライドを捨て去ることで、周りとのコミュニケーションが円滑になることは間違いない。
これもよく言うことなのだが、なにか上手くいかないことが多いという人は、あなた自身の小さなプライドが邪魔をしている可能性が高い。
わかりやすい利益とわかりにくい利益
なによりも理解できないのが、なぜ利益を追求することを悪だとする一定数の人たちがいるのだろうか。
そういった人に限って、自分1人で生きているように振る舞っていても、実は多くのものに支えられていたりするものだ。
そして、これは完全に言い切れるが、利益を生むことができなければ、誰も幸せにはならない。
こういう書き方をすると、お金が大好きで金の亡者だと思う人が出てくるのだが、お金はあくまで道具の1つだ。
私が主張しているのは、なにかを始めようと思ったときには必ずお金がかかる。
人を雇用したとき、オフィスを借りたとき、広告を出したとき、モノをつくるとき、サービスを改善するときなどなど、どんな場面でもお金はかかる。
そこで満足なお金の支払いができなければ、ビジネスは成り立つことはない。
ビジネスを成り立たせるためには、どうすればいいのか。
利益を出すこと、こんなシンプルなロジックが、なぜ理解できない人たちがいるのか不思議で仕方ないわけだ。
自分の中の優先順位がわかる心理テスト
とまあ、嘆きや憂いを綴ってきたが、気分転換に心理テストを紹介しよう。
もしかすると、以前にも紹介したかもしれないが、唯一といっていいほど記憶にある心理テストがある。
あなたは旅に出ることになりました。
その旅には、5種類の動物と一緒に行くことになっています。
ただし、旅の途中で、1頭ずつ別れていかないといけません。
その動物たちは下記のとおりです。
- ライオン
- 牛
- 馬
- 羊
- 猿
あなたが別れていく順番を教えてください。
この別れていく順番で、あなたが人間関係でどこに重きを置いているのかがわかるというのだ。
まとめ
上述した心理テストは、書いているうちに以前にも紹介したことがあることを思い出した。
その記憶をたどっていくと、やはり書いているブログがあった。
もちろん、この中に心理テストの回答も書いてあるので、是非読んでもらいたい。
時間がないという人もいると思うので、ヒントを出しておくと、ライオンとどのタイミングで別れるのか、それが今回のテーマとリンクしている。
ちなみに私は、4種類の動物については多少迷ったが、真っ先に別れると決めた動物が1種類だけいた。
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