自画自賛(じがじさん)
→ 自分で自分のことを褒めること。
褒められて伸びるタイプだという言葉は、割と使い古された表現だ。
そりゃ叱咤激励されるよりも褒められた方が気分がいいし、叱咤激励という行為そのものが時代遅れだという見解もあるだろう。
私も褒められるということで成長してきた人間だということは否定できないし、褒めるという行為も極力心がけている。
ただ、ここで気にしてもらいたいことがある。
それは、褒めるという行為が、身近な人や第三者によって行われるものだというベクトルになっているということだ。
もちろん、それも成長過程においては大切なことだということは理解しているのだが、褒めることに関してはもっと重要なことがある。
それが、今回のテーマである、自分を自分で褒めることができない人が、実は多いということである。
成長過程において重要なロジック
人が他の生物と大きく異るところの1つに、生きているうちに成長できるということがある。
身体的な部分もそうだが、それ以外の部分においてもあらゆる分野で成長できるのが人類の大きなアドバンテージだ。
とはいえ、生まれてすぐにできることは限られていて、生涯にかけて成長していくというのが人というものだ。
また、当然のことだが成長速度は人それぞれだし、成長できる分野があれば成長できない分野もある。
そうやって得意分野と不得意分野が人によって違うからこそ、世の中は成り立っているともいえる。
いずれにせよ、人は成長する生き物だ。
そして、その成長には褒めるという行為がとても重要になる。
その褒めるという行為は、他人に対してでもいいのだが、自分自身に向けて褒めるということを意識していない人が多いこと私は指摘している。
何度もくり返しになるが、他人から褒められることは嬉しいし、単純にモチベーションが上がる。
仮にそれが身近な人であっても第三者からであっても、嬉しくないという人は稀だろう。
でも、本当に大切なことは、自分自身を定期的に褒めるということだ。
どんなに小さなことでもいいから、達成できた自分をしっかりと賞賛することは必ずやるべきなのである。
その方法は、自分へのご褒美だということで、美味しいものを食べたり、少々高価なものを自分へプレゼントするという、わかりやすい形であっても問題ないと思っている。
とにかく、自分が達成したことに対して、しっかりと褒めることは定期的にやるべきだ。
なぜなら、その小さな成功体験が自信に繋がるからである。
自分自身を褒めることができない理由
それでは、なぜ自分自身を褒めることがなかなかできないのかということについて書いていこうと思う。
それは、やはり教育の部分が大きいと思っている。
というのも、日本の教育は苦手な分野を克服させようとするのが基本にある。
となると、どうしても褒められるという機会が減ってくる。
得意分野であれば率先してやっていくが、苦手分野になるとなかなか自分から進んでやることは少ない。
その結果、なんとかクリアするという結果になりがちだ。
そうなると、教える側から褒められるという機会も減るし、自分に自信がつくどころか、嫌になることの方が大きいだろう。
そんな状況で自分自身を褒めるということをしろという方が無理があるように思うのだ。
一方で、そうではなく、得意分野を伸ばすというのが基本にある教育だとしたらどうなるだろうか。
上述したとおり、得意なことはやっていて楽しいし、もっとスキルアップしようと務めるはずだ。
この流れから書いていく内容は想像に難くないと思うが、そのとおりで褒められる機会が増える。
褒められる機会が増えると自信がつくことで、自分自身も必然的に褒めるという機会が生まれるのではないだろうか。
そして、できるという思い込みもプラスに働くと考えている。
もちろん、中には勘違いして自惚れてしまうような人も一定数は現れると思うが、自信がないよりも自信があった方が世の中は円滑に進んでいくはずだ。
誰も褒めてくれないなら自分で褒める
周りが褒めてくれること、そして自分自身も褒めるという環境にいることが理想だ。
けれども、周りが褒めてくれることがないという環境も十分にあり得る。
そんなときは、せめて自分だけは自分を褒めようとすることも実はとても大切だと考えている。
ナルシストとか自惚れだと思われるかもしれないが、人生においては、多くの選択を迫られる。
そんなとき、いくら周りの人に相談したとしても、最後に決めるのは自分自身だということを忘れてはいけない。
そして、一度しかない人生で後悔することは極力避けたい。
そうなると、自分を好きでいることができなければ、卑屈になってしまう。
ベタな言い方にはなってしまうが、どんな人でも褒めることができる部分は必ずあるはずだ。
そのためには、自分自身を俯瞰で見ることができなければいけない。
それができれば、俺スゴいじゃん、私は素晴らしいという部分が見えてくるはずなのだ。
どうでもいいことかもしれないが、小さなことでもできたときは大声でやったと叫べばいい。
それから、次はもう少しできることを増やそうと進んでいけばいいのだ。
自分を好きになるには、自分を褒めるところを見つけることが最短ルートだということを主張している。
自分自身の強みをしっかりと言えることの大切さ
ここまで書いてきて十分伝わったかと思うが、自画自賛することは決して悪いことではない。
常に自画自賛しているのは論外だが、自画自賛することで自分自身の強みが見えてくる。
私はよく、あなたの価値はなんなのかということを意識して日々を過ごすようにという。
これも何度もくり返し書いてきているが、人には得意なことと苦手なことが当然ある。
そして、苦手なことは極力やらなくていいから、自分が得意なことを伸ばすことを徹底して欲しいと伝えている。
自分が苦手であっても、そこが得意な人というのがいるのが人間社会というものだ。
であれば、わざわざ苦手なところをやるのは生産性が悪いだけなので、それよりも圧倒的に得意だというところを磨いた方がいいという理論だ。
つまり、自分の強みをしっかりと言えるということで、そこで勝負していけばいいのである。
ちなみに、私の最大の強みはどんな状況であっても順応できるアドリブ力だという自負がある。
頭の回転がはやいことも加味して、瞬時に判断して動けるというのが私に備わった最大の武器だと思っている。
もちろん、他にもたくさん武器はあると思っているが、なによりも自信を持っていえるのがアドリブ力だ。
自分を俯瞰で見ているときのイメージ
この話を何度かしたことがあるのだが、未だに共感してもらえる人に出会ったことがない。
それは、打合せの場面でのことなのだが、打合せ中のふとした瞬間に自分自身が話をしているのを幽体離脱したように会場全体を見渡しているような感覚になることがあるということだ。
打合せの場面だけでなく、ピッチに出ているときにも似たような感覚を味わったことがある。
大きな会場の客席側から自分を見ているという時間帯が数分あるのである。
空間全体を見ているこの不思議な感覚をなんとか言語化したいと思っているのだが、本当に感覚で、なぜそうなるのか自分でもよくわからない。
定期的にそれが訪れるので不思議で仕方がない。
でも、自分を俯瞰で見るということは、まさにそういうことなのだと思っている。
まとめ
あなたが最期に自分で自分を褒めたのはいつだか覚えているだろうか。
そんな記憶が全くないという人は危険信号だと思った方がいい。
もっと自分を褒めることをした方がいい。
どんな人にも優れたところはあるし、その優れたところを伸ばしていくためにも自画自賛することが決して悪いことではないということを脳裏に焼き付かせた方がいい。
それができる人は、きっと他人の気持ちがよくわかるようになるし、なんだかんだいって褒めることが上手な人になれると思っている。
それが人としての優しさにも繋がるのではないだろうか。
さあ、自分自身をしっかり褒めて、他人のいいところを見つけてそこもしっかり褒めていこう。
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