山紫水明(さんしすいめい)
→ 山は紫にかすみ、川は澄み切っていること。景色の美しいこと。
私にとっての故郷は広島という地だ。
世の中には故郷がないという人も少なからずいて、そういう人たちからすると、故郷があることだけで羨ましがられることもある。
ただ、故郷がある人からすると、そんな意識などなく日々を過ごしているのが現状だろう。
かくいう私も、広島という故郷があることを日々意識していることはないが、広島というワードが出るとつい反応してしまうところがあるかもしれない。
故郷を離れた方がいい理由
とまあ、フワッと故郷の話から入ったが、いきなり強く主張をしたいのが、故郷を一度は離れた方がいいということだ。
歳を重ねれば重ねるほどにその考えは強くなっている気がする。
私が生まれ育った広島市という地は川が多くて、山もあって、瀬戸内海という独特な海に面していることから、景色がキレイな場所はたくさんある。
人口も120万人程度いるので、それなりに潤っている都市ではあるので、広島市で生まれてそのまま一生を過ごしてもそれなりに楽しい人生は送れると思う。
でも、景色のキレイさも人口の多さや経済が潤っていることも、比較対象があって初めて気付けることなのである。
なにも故郷が広島の人たちだけに言いたいことではなく、故郷がある人は一度は故郷を離れた方がいい。
そこで初めて故郷の良さに気付くことができると同時に感謝の気持ちも芽生え、もしかすると、ビジネスチャンスも生まれるかもしれない。
故郷の離れ方に変化が起きている理由
ただ、故郷の離れ方は私が広島を離れたときと同じ方法でなくてもいい時代だと思っている。
私が広島を離れたのは、19歳を迎える年だった。
中学、高校時代に仲の良かった友人たちがこぞって東京を目指したこともあり、私も必然的に東京に行くことを決めた。
というのも、広島という地は1人介せば誰かと繋がるという狭い街なのが心底嫌だった。
そして、東京までは、新幹線で片道4時間、飛行機の飛行時間は1時間30分もないけれども空港までの移動時間を考えれば3時間はかかる物理的な距離も影響していたと思う。
時間だけでなく、新幹線や飛行機を簡単に利用できるほどの経済力もない。
なにが言いたいのかというと、東京に1時間とか2時間で比較的安価に行ける距離にいたとしたら、東京への憧れはそこまで強くなかったと思うのである。
なかなか行くことができない場所だからこそ、希少価値が高く憧れに変わっていく、そんな未知で聖地のような場所が東京だった。
そんな東京に憧れて片道切符を手に入れたのは、20年以上も前のことだ。
上述したとおり、故郷に留まるという選択肢は極力避けた方がいいという考え方は変わらないが、その方法は多様性が増しているということである。
私が東京に行くために必要だったのは、大学という言い訳だった。
東京の大学に入学さえすれば、4年間という時間が必然的に手に入ることができる。
私以外の同級生も同様に大学を目指した者もいれば、専門学校で上京した者もいる。
この手法はもはや古いということを述べていこうと思う。
都会で得ることができるもの
大学や専門学校、いやもはや高校すら不要になっている時代だと言い切れる。
もちろん、明確な夢や目標があってそのために大学や専門学校を目指すという人に対して、それを止めるつもりもなければそんな資格もない。
ただ、私と同様にやりたいこともないから、ただただ時間を買うために進学するという選択をしている人の方が圧倒的に多いと思っている。
そういう人たちに向けて言いたいことは、進学という選択肢が時間とお金の無駄になる可能性が高いということである。
それならば、情報を取りに都会へ行くべきで、馴れ合うために都会へ行くべきではないということだ。
ハッキリいって、大学に行けばやりたいことが見つかるなどと甘い夢は見ない方がいい。
やりたいことがあるから大学に行くというのが本来の進学の意義であって、逆であれば行ってはいけないのである。
なぜなら、くり返しになるが、時間もお金も無駄になる可能性が高いからである。
それは私自身が証明できる。
都会にはそんな私と同じように馴れ合うために集まった人たちがたくさんいる。
一方で、都会には多くの人が集まっているので優秀な人、刺激を与えてくれる人、面白い人といった具合いに地方にはいない人たちがたくさんいるのも事実だ。
言葉を選ばずに言うなれば、地方には田舎者が多いということだ。
つまり、都会で得ることができるものは情報だ。
情報の取り方の変化と活用方法
そんな情報を手に入れるためには、かつては直接会うという必要があった。
それがインターネットの発達により、誰でも簡単に情報にアクセスできるようになった。
そして、直接会うという必要も減ってきたし、直接会わなくてもいいという選択肢が比較的幅広い世代のデフォルトになった。
手が届くことのない超優秀な人は相変わらず一定数いるが、情報が少しずつ平等になった影響から優秀な人も増えていると思う。
考えてみれば当然で、1人の先生や教科別の先生を集結させたとしてもせいぜい15〜20人程度が学校生活における教えられる側の立場だろう。
それが、インターネットに触れた瞬間に無限になる。
インターネット上に転がっている情報は全て教科書になりうる可能性がある。
ただし、その情報の活用方法は一筋縄ではいかなくなっているという現状にも目を向ける必要がある。
情報はあくまで指標の塊であって、その情報をどう処理していくのかは、その情報を手に入れた本人に依存する。
それでは、どのように情報を活用すればいいのかを考えてみよう。
自分の勝てる場所で戦い続けること
結論から言おう。
誰もが簡単に情報にアクセスできるようになった現代で人と同じことをせずに勝つためには、自分が勝てる場所へ移動するということだ。
都会へ出ていくことは否定しないし、むしろどんどん都会へは出ていくべきだということは書いてきたとおりだ。
そして、都会で得ることのできる最大の資産は情報である。
そんな最大の資産である情報を活用していくためには、自分の勝てる場所へその情報を持って行くことで、その情報の価値を最大化させるということである。
具体的に私の場合を紹介するのがわかりやすいだろう。
私が月の半分以上を東京で過ごしているということは、何度も書いてきていることなのだが、知らない人もいるので改めて書いておこう。
もう半分は広島にいたり、他の場所へ出張していることもしばしばある。
となると、その場所場所で得る情報に格差があることに気付くようになる。
簡単にいうと、東京で流行っている商品やサービスの大半は遅れて広島にやってくる。
そのタイミングは商品やサービスによって一概にはいえないが、1年半程度のタイムラグがある印象だ。
それから、都会では田舎者を演じることで得ることができる情報がある。
これは東京にずっといる人には理解できない感覚だという自負がある。
この情報収集能力が私の価値の大きな部分であると言い切れるというわけだ。
だから私は広島という地を巧みに利用している。
まとめ
2023年を迎え、世界から広島へ人を呼ぼうと考えている。
なにもそれは突然思い付いたわけではなく、割と昔から考えていたことで、その実現に向けて粛々と動いてきたことが花開き始めているから宣言をしている。
そのフックになるのは、やはり観光の部分で、広島という地はまだまだポテンシャルのあるエリアだと捉えている。
そして、それは私の故郷である広島を盛り上げたいといった心理的なモチベーションではないこともしっかりと宣言しておきたい。
私が動くときは必ずビジネスが伴う場面だということも、しっかりと伝えておきたい。
それができなければ、誰も幸せにできないことを知っているからである。
ということで、何度も声を大にして宣言しておこう。
世界から広島へ人を集めて、再び広島から世界へ人を送り出していく、そんなエコシステムを観光を軸に、stak, Inc. の強みと掛け合わせた2023年のスタートだ。
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