残酷非道(ざんこくひどう)
→ 道理や人情を無視した行為。
年の瀬にとある人から言われて知ったことがあるのだが、2022年は私の歳の男性はどうやら厄年だったようだ。
しかも、1981年、つまり昭和56年生まれで数え年で42歳になる男性は本厄だったそうだ。
結果、どんな1年だったかと聞かれたとするならば、2022年は最高の年だったといえる。
そう、厄年など関係がないのである。
40代に突入して考え方に変化があった年
あまり年齢のことを気にしたことはないのだが、2022年の総括ということで振り返ったときに、なぜ2022年が最高の年だったといえるのかを考えると、40代に入ったことは大きいように思う。
というのも、私の人生は完全に折り返しを迎えていると勝手に考えている。
となると、何度も主張している私にとって最も価値の高い時間という概念が、さらに価値の高いものになっている。
人生を振り返ったときに後悔をしないように過ごすためには、どうすればいいのか。
それは、二度と取り返すことができない貴重な時間を1秒でも無駄に過ごさないようにすることだ。
残された時間がどれくらいあるのかは、誰にもわからない。
本厄が良くない年だとされているが、冒頭に書いたとおり全く関係がない。
未来を知らない人に勝手に決められるほどつまらないものはないだろう。
過去に戻ることはできないし、未来を予測することもできない、大切なのは今を全力で生きることだ。
ただ、重要なのは今まさに自分がどの地点にいるのかということである。
私の2022年は40歳〜41歳になる年で、今までと同じように過ごしていてはいけないことを改めて感じることが多くあった年だった。
理想を追い求めるだけの前半戦
生まれてから30代を終えるまでを大きくまとめると、理想をただただ追いかけていただけのような気がする。
人と同じことをするというか、なんとなく考え方が他の人とズレていることは、割と若いときから感じていたことだ。
とはいえ、それを全面に出してきたわけでもなく、自己主張を明確にするようになったのは、高校を卒業して大学で東京に出てからのように思う。
ただ、そこからは自分の理想をとにかく追い求めるだけで、成果が出ているかと問われると、未だになに1つやり遂げていない気がする。
もちろん、目標を設定してそれを達成してきたことはあるのだが、それが全て満足のいくものだったかというと、必ずしもそうではないということである。
瞬間風速的には自分自身の中で、かなりアツくなることもしばしばあるのだが、振り返ったときにできている道はハッキリとしていない。
恥ずかしながら、いろいろとやってきたとはいえ、絶対的なわかりやすい結果を表現することができないのが、私、植田 振一郎の人生の前半戦である。
2022年を迎えたときに決めたこと
2022年という年は、起業して9期目を迎えた年だった。
つまり、自分の力で勝負しようと決めてから、9年目のスタートだったわけだが、そうやって考えると30代のほとんどを過ごしたことになる。
起業した当初は、現在のstak, Inc. という社名ではなく、Needol(ニードル)という社名だった。
当時の私の考えはスタッフを多く抱えていくというのはナンセンスだというものが根底にあった。
できるだけ少ない人数で、超絶効率的にやりたいことをやっていくことが私の理想型だった。
少数精鋭という言葉があるが、まさにその言葉のとおりで、数人のできる人たちだけで大きい組織に真っ向勝負できる体制をつくるのイメージだ。
今でもその考え方が根本からなくなったわけではないが、少しずつその考え方には変化が起きている。
2022年に急に考えが変わったというわけではなく、徐々にという感じなのだが、大きなことをやり遂げるためには少数精鋭を最初から求めてはいけないという結論が出ている。
というのも、無名でなにも持っていない人間のもとに優秀な人が集まってくるわけがないからである。
たまたまということはあるかもしれないが、そんなことを期待しているようでは経営者として終わっているだろう。
自分がどういう人間で、どういう考え方を持っていて、どういうことがしたいのかを発信し続けなければ見つけてもらえるはずがないのだ。
ということで、2022年1月1日から毎日ブログを発信し続けることを決めた。
自分で情報を発信することで見えたこと
2022年1月1日から毎日ブログを発信し続けたように書いたが、毎日ブログを発信するようになったのは、2021年1月4日からである。
つまり、2022年1月1日の時点で約1年という期間、毎日情報を発信することは達成できていた。
けれども、2022年1月1日には改めて毎日情報を発信しようと決めた。
それは、2021年〜2022年に発信し続けた1年間は、まだまだ形が決まったという感じはしなかった。
2022年は自分からの発信の形を決めること、いろいろと試しながら発信をしていくことを課題にしたのである。
具体的には、植田 振一郎とはどういう人物でなにをしたいのかということの定期的な発信、stak, Inc. の目指すべき姿の発信、狙ってアクセスが多くなるような情報の発信といったところだろうか。
その結果、2022年は大きな収穫があった年だったといえる。
まず、個人の発信についてだが、TwitterやメッセンジャーのDMによくわからない人からの人生相談のようなものがくる機会が圧倒的に増えた。
まあ、ほとんどは無視するのだが、少なからず、植田 振一郎という人物が影響力を持ち始めたということのエビデンスだ。
そして、この個人の発信が、stak, Inc. にとっても少なからずいい影響を与えたことを感じている。
どんな会社なのかを知ってもらえる機会が増えたし、採用のところでも大いに役に立ったし、未だにこの影響は大きくなっている実感がある。
また、こういう情報をこのタイミングで書いておけば、このタイミングで見られるだろうなというブログをいくつかしかけてみたが、3〜4つは確実に当てることができた。
私自身、ただたた毎日情報を発信しているわけではなく、進化を求めながら続けているという自負があり、結果がちゃんと出ていることはモチベーション維持に繋がっている。
変えるべきことの決断と変えないべき軸
2022年を迎えるに当たって決断したことは、組織化をしていくということだ。
起業当初から人を増やすことに関してはネガティブに思っていたが、勝負ができると踏んだ1年だったので、一気に人も採用して大きくしていくことに舵を切った。
そこに毎日ブログが役に立ってくれたところが大いにあるということは上述したとおりだが、当然全てが上手くいったわけではない。
なにかを始めるということは残酷非道で、マイナスな部分もたくさん出てくる。
そんなことはスタートアップにしかいたことのない私にとっては当たり前なのだが、変えるべきことが明確に見えた2022年だった。
共に高みを目指す人の選定を行うことを2022年が半分過ぎたあたりから明確に考え始めた。
そして、それを2022年12月の年末に向けて確実に遂行した。
ここに妥協があってはいけないと自分自身に言い聞かせて、水面下で動く部分も増やし、来るタイミングに合わせて着実に自分の理想に近づけることにした。
そんな私の言動をとある視点からみると残酷非道に映るかもしれないが、そういう感覚を抱く人の方が実は残酷非道だったりする。
それだけ私自身は誰よりも常識人であるという自負があるし、それ以上に誰よりも気遣い、誰よりも細かく考え、誰よりも徹底して動いている自負があるからである。
まとめ
私がやろうとしていること、目指していることは、超絶イケているクリエイティブ集団をつくりあげることだ。
なにもそれは、そのトップが私、植田 振一郎である必要はない。
なにか革新的なことをやりたいと思ったとき、誰かのアイデアに乗っかりたいと思ったときに誰よりもはやく、誰よりも正確にゼロイチの挑戦を徹底してやり切ることをしたい。
そのために必要な人たちと共にイケている時間を共有し、圧倒的な成果を出したいというものだ。
その中の1つに、stakという機能拡張モジュール型のIoTデバイスがあることで達成できる理想型もある。
そして、そのための基礎中の基礎になる部分を固めることが2022年の課題の1つだった。
その課題が明確に見えた1年でもあったし、無事に解決できる光が見えた1年でもあった。
そういう意味で最高の1年だったと心の底から言い切れる1年となったことは改めて書いておこう。
【Twitterのフォローをお願いします】