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2022年12月11日 投稿:ueda

結論ありきの相談にならないための心構え

沙中偶語(さちゅうのぐうご)
→ 臣下が謀反の相談をすること。

私に相談をしてくる人もいれば、当然私が相談をすることもあるのだが、相談というものについて考えてみよう。

と言いながらも、私の中で相談というものの大半は結論ありきになっているという見解がある。

つまり、相談をする時点で自分の中である程度の結論は出ていて、それに同意してもらいたいという思考が強く出ているものが相談というものだということだ。

人間は弱い生き物なので、自分の決断や判断に不安がつきまとうことはしばしばある。

なので、自分の決断や判断が間違っていないよという後押しをしてもらいたいという前提があっての相談というものが大半だということを主張している。

相談の延長線上にある会議や打合せ

なぜ、相談という行為について自分なりに分析をしていこうかと思ったのかというと、相談の延長線上に会議や打合せがあると思っているからである。

相談というのは、ビジネスの場面というよりはプライベートに近い部分にあることがほとんどだと思う。

友人のこと、恋人のこと、家族のこと、仕事のことといった具合いに、自分のコアな部分についての悩みが相談に繋がっているはずだ。

そして、相談する相手は誰でもいいというわけではなく、必ず身近にいる人で信用できる人、信頼がある人にするはずだ。

それが、相談の典型的な形になるわけだが、その範囲が拡がっていけば、プライベートからビジネスに変遷していくと感じている。

そもそも、個人的にはプライベートとビジネスを分ける必要も全くないと思っているのだが、きっちり分けたいという人の方が多いのが現状だろう。

なので、相談と会議と打合せを分けて考えていこうと思うが、根っこの部分は繋がっているという主張をしている。

なにが言いたいのかというと、同意ありきの相談に慣れてしまっていると、無駄な会議や打合せが増えることにも繋がるということだ。

とりわけ、自分が上の立場にいこうとしたり、すでに上の立場にいる場合には、イエスマンしか周りにいなくなる可能性が高くなると思っている。

スムーズに物事が進むことはいいことには変わりないが、自分の味方しかいないという状況は危険も生まれてくる。

神でもない以上は、ずっと自分が正解を出し続けることなどできないわけで、そうなると議論する場が重要になるというわけだ。

相談をするときの心構え

となると、相談するときにあえて自分が求めている答えにならないように相談を持ちかけてみるというのもいいのではないだろうか。

本来は自分は逆になることを望んでいるのにそうではないように話しかけるというわけだ。

例えば、本当は恋人と別れたくないのに別れたいという方向で相談してみたときに相手の反応を見て冷静になるといった具合いだ。

そもそも、所詮、他人は自分のことなどそこまで真剣に考えていないということがあるのだが、それ以上に冷静になれることが重要だと思っている。

自分の味方というか、やりやすい環境をつくることも重要なのだが、真逆の意見をあえて取り入れることでブレーキを踏む機会を設けることもときには必要だということだ。

なにかをやろうとしているとき、イケイケのときにはアクセル全開でいこうとするのだが、ブレーキ役がいなければ取り返しのつかない判断ミスを起こす場合がある。

俯瞰で見ることがなかなかできなくなるのは良くない。

となると、答えありきの相談することにも変化を入れることで多様性を受け入れる訓練を日々しておいた方がいいというのが私の主張だ。

くり返しになるが、自分の求めている答えに同意してもらう相談だけではなく、あえて逆側の話をしてみたらどうなるかという世界を知ろうとしてみてもいいだろう。

結論はいつも仮説という心構え

私が個人的にもっと大切にしていることを書いておこうと思う。

それは、相談、会議、打合せをして、そこで出た結論はあくまで仮説だということである。

自分の希望が根底にある相談、会議、打合せの結論は、そうではない方向、つまり否定的な方向に転がってしまったときにリカバリーがきかない可能性が高い。

常にとまではいかなくても、自分や自分たちが出した結論はあくまで仮説で思っていた方向ではない答えが導かれれることもあるという心構えでいたい。

そうすることによって、期待していなかった方向にいったとしても、そこからピボットできる。

一方で、結論が正だということが基本になっていると、いざというときにアドリブがきかなくなる。

これが染みついた状況だと、いざというときに動けなくなってしまうので、仮説だという意識を持っておくことをオススメしているというわけだ。

それから、人間の心理というものは移ろいやすいもので、一旦出した結論が変化することなどザラにあると思った方がいい。

また、上述したとおり、身近にいる人で信用できる人、信頼がある人にした相談であったとしても、残念ながらその人たちは他人だ。

一見、親身になって相談に乗ってくれているかもしれないが、まあいい加減だと思った方がいいだろう。

所詮、他人のことなので相談に乗っているのは事実であっても、その結論については無責任だと思った方がいい。

勘違いしてもらいたくないのだが、なにも人間関係を崩させたいわけではなく、それくらいの心構えでいた方が、自分の思い描いていた結論と乖離があっても立て直せるということを伝えたい。

決断するときの心構え

ここで冒頭の主張に戻るが、自分がなにか相談をするときには、すでに答えを持っているという場合がほどんどで心理的に同意を求めていることが多いということを認識すべきだ。

さらに、自分の求めている結論に近い考えを持っている人、同意してくれている人を友人というカテゴリに入れやすい。

つまり、身近な人にする人は居心地がいい人の方がいいので、相談に同意してくれる人が必然的に多くなるということだ。

メンタル的にもそういった人たちと一緒にいることが楽しいと感じることを否定するつもりはないが、やはり対極にいる人の意見も知っておくということは必要だと思っている。

もちろん、そういった人たちと仲良くする必要はないと思うし、受け入れようとすることも必要ない。

私が言いたいのは、自分が求めている結論とズレることがあるということ、そしてそういった意見を持っている人もいるということを知っておくということだ。

その耐性があれば、なにかあったときに強いということで、メンタルが弱い人の特徴は自分とは違う意見や結論に対しての対応がなかなかできないところにあると思っている。

決断するときは思い切ってすればいいのだが、あなたがしようとしている決断、してしまった決断に対しては対極にいる人も少なからずいるということを知っておこう。

人の大切な能力の1つが考えるということだが、自分にとっては当たり前の考えが他人にとっては全く刺さらないということは往々にしてあり得るのである。

まとめ

今一度、人に意見を求めるとき、とどのつまり相談するときをイメージしてもらいたい。

そのときのあなたの心情は訴えかけているものが大半だろうし、同意してもらえた場合にはその人に純粋に好意を抱くだろう。

一方で、切羽詰まっているときほど、自分の思いどおりにいかない返答がきた場合には嫌悪感すら抱いてしまうこともあるだろう。

そう、結局は自分勝手だし、相手も自分のことに対してどこかいい加減である場合も多々あるのである。

となると、あなたが導き出した結論はあくまで仮説で、その仮説が自分の思いどおりにならなかったとしてもあまり気にしなければいいのだ。

それよりも、自分の考え方や意見が1つに固まってしないように、多様性を少しでも取り入れるためには、自分や仲の良い周りの人たちとは真逆にいる人たちの考えや意見も知ることを心がけよう。

そうすることで生まれるコミュニケーションだってきっとあるはずだ。

 

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植田 振一郎 Twitter

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