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2022年12月10日 投稿:swing16o

無駄な時間を減らすための時間術

蹉跎歳月(さたさいげつ)
→ 時間を無駄にして、むなしく過ごすこと。

私はとても合理的な人間だと思う。

そんな人間だから、常日頃から時間に関する発言も多く、そのほとんどが時間というものが世の中で最も価値のあるものだというものだという自負がある。

そして、テーマにしている四字熟語やことわざにも時間に関するものは多く、時間という概念は時を超えて人生の重要な課題になっていることを改めて思うのである。

今回もまた同様に時間の大切さを説くテーマである。

時間の重要性を知るための最善策

偉そうに時間が最重要プライオリティだと発言している以上、どうやったらそれがより周りの人たちにも伝わるかを考えるときがある。

もちろん、世の中全ての人に私自身の考え方を強要したり共感してもらう必要はない。

けれども、少なからず私と一緒にビジネスを展開しよとしているメンバーたちには、共通認識は重要になる。

ということで、時間の重要性はどうすればわかりやすくなるのかということについてだが、最近わかったことがある。

それは、世代が異なる人たちと少しでも多く接することだという結論だ。

そんなこと当たり前じゃないかと思うかも知れないし、それくらいやっていると思う人もいるかもしれない。

ただ、私の言うところの世代の異なるというのは、それこそ0歳〜100歳を超えるくらいの人たちで、レンジをとにかく広く持つということだ。

というのも、以前までの私は自分より若い人たちと接することを推していたし、実際にそうしていた。

未だにこの思考も重要で、最低限やることとしては変わらないという考え方だが、自分より下の世代の人たちだけではダメだということについて書いていこうと思う。

幅広い世代と接することで見えること

まずは、上述した私が若者たちと接する機会をできるだけ多く持つようにするようにした理由から話をしていこう。

私は41歳の世間からすると完全なるオジサンのポジションだ。

当然、10代、20代、30代と過ごしてきたわけだが、40代に入って思うことが、ちょうど中間層にいるということだ。

年齢的にあたり前のことではあるのだが、改めてそう思うのが、ジェネレーションギャップの部分がより顕著になっているからである。

例えば、私が高校生や大学生だったころのことは、四半世紀前とかのことなので、なかなかの時間的距離がある。

ちょっとした言い回しが通じなかったり、二度目の流行を目の当たりにする機会も出てきている。

ここまでは若者に向けた目線なのだが、年配の人に向けた目線になるとまた違った感覚になる。

相変わらず、思考停止している傾向が強いというのが年配の人にありがちなのだが、一昔前に比べると変化が起きているように思う。

それは、若者というか自分たちよりも年下の人たちに寄り添おうとしている意識のある人が増えたということだ。

頑なに新しいものに手を出さないというか、わからないものや知らないものに対しては否定的になるのが年配の人には多い。

けれども、少しずつではあるが、テクノロジーを受け入れている人も増えている印象だ。

なぜそうなったのかというと、インターネットとスマホの普及がその要因だと考えている。

今やガラケーしか持っていないという人はマイノリティで、スマホを持っている人がほとんどだ。

そして、そんなスマホは日本全国どこにいっても繋がるという、圧倒的に安定した通信インフラがある。

となると、コンテンツに接する機会も増えることから、コミュニケーションの取り方に少しずつ変化が起きているのも頷けるだろう。

無理に若者に寄り添おうとする人たちは往々にして若者に拒絶されるのも事実だが、それでも変化を受け入れられない人よりは、かなりマシだろう。

中間層にいると、この両方がよく見えるというわけだ。

全体から自分の場所を見つける

木を見て森を見ずという言葉がある。

小さいことに心を奪われて全体を見通さないことを意味するのだが、視野を広く持たなければいけないということだ。

井の中の蛙大海を知らずという言葉を聞いたことがある人も多いだろう。

同様に狭い場所にいることで、外の世界を知らないことを意味しているわけだが、これは人間関係にも当てはまると最近気づいたのである。

年配の人は思考停止している人が多いから若者と付き合えばいいというのが、かつての私の考え方の基本にあった。

それが、必ずしもそうではないと思うようになったのは、歴史を知っているということは結構な価値があることだと気付かされたのである。

というのも、私も少しずつ着実に年配の人と呼ばれるカテゴリに入っているわけで、通ってきた道は同世代からすると当たり前なのだが、興味津々に聞かれることが増えた。

経験していることはどういうことなのか誰でも簡単に説明できると思うが、見たことも触ったこともないものを説明することは難しいだろう。

インターネットの普及でどういったものなのか情報を得ることはできてもリアリティがないのである。

このギャップは価値になるということだ。

つまり、それぞれの世代にそれぞれの価値があり、それが紡がれていくのが歴史というわけだ。

その中で、自分の価値がどこにあるのか、つまり自分の力が活かせるポジションを見つけていけばいいのだ。

となると、同世代の人たちとばかり仲良くしていてはダメで、若者たちとばかりいてもダメで、年配の人たちばかりと一緒にいることもダメなのだ。

できるだけ、レンジを広く、世代を飛び越えて情報と経験を手に入れることで自分の場所が見つかるというわけだ。

無駄な時間を減らすための時間術

これがなぜ、タイトルにした無駄な時間を減らすための時間術に繋がるのか。

それは、取捨選択できるからである。

この情報や経験はこの人から取ればいいということができるようになるのだ。

経験は重要な価値だし、その人の財産になっていくのだが、経験を積むということは同時に時間も要する。

となると、合理的に効率よく行きていくためには、その時間を無駄に割かないようにしなければならない。

そこで重要なのが人材から情報を得るという手法だ。

自分の知らないことは調べることでおおよそのことは情報としてインプットされる。

けれども、経験に基づいたものでなければ、アウトプットが弱いのだ。

アウトプットができなければ、その情報を自分のものにしたとは言い難い。

誰かに説明ができて初めて自分のものにしたということは理解できると思うが、そうなると経験に基づくものはないのだ。

説明ができるということは、相手の頭の中にイメージを湧かせないといけないわけで、それには経験や体験させることが最短距離だということだ。

けれども、人生においてなにもかも経験や体験をして、それを相手にもさせるということはかなりハードルが高いことくらい理解できるだろう。

となると、経験を持ってきてくれる人は無駄な時間を減らすために重要になるというわけだ。

自分よりも若い世代の人たちに自分の経験や体験を伝えることは可能だが、自分が経験や体験をしたことがないものについては、自分より年上の人からインプットすればいいという理論だ。

まとめ

時間の概念について、再度強調しておきたいが、私にとっては最重要プライオリティのものだ。

とにかく、限られた人生という時間の中で無駄な時間は1秒たりとも使いたくないという気持ちだ。

そういう思考でいると、当然合理的に効率よく日々を過ごすためにはどうすればいいのかということに注目してしまいがちだ。

自分1人の時間は1日24時間、1年で365日と限られてしまうので、その中で生み出せる経験や体験には限界がある。

となると、自分以外の人の時間を少しでも自分のものにするためにはどうすればいいのかという発想になるわけだ。

であれば、年配の人のほとんどは思考停止しているという否定的な部分だけで捉えるのではなく、なぜそうなっているのかといった部分の分析やとはいえの部分を見つけようとするようになった。

とどのつまり、0歳〜100歳以上までの多くの人とできるだけ多く触れ合う機会を持つようにするという心構えでいた方がいいという結論を出したのである。

ただ、誰も彼もというのでは本末転倒になってしまうので、その中でも価値のある人たちだけと引き続き付き合っていこうと思っている次第である。

 

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植田 振一郎 Twitter

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