孤苦零丁(こくれいてい)
→ 孤独で生活に困窮すること。
孤独で生活に困窮する不安から、家族を持つことを推奨してくる人にしばしば出会う。
本当に大きなお世話なのだが、どうして家庭を持たないのかという心配を41歳の独身男性へしてくるわけだ。
まあ、その人なりの気遣いなのだろうが、家庭を持つことをプラスだと強要してくる人の感覚が本当に理解できない。
なぜ、家庭があることが将来の孤独に繋がらないと断言でき、生活に困窮しないということに行きつくのだろうか。
ここは本当に永遠の課題というか、なかなか議論にならない分野なので、改めて私の主張を書いておこう。
孤独の押しつけをする人たち
家族がいない人は孤独だという主張をする人たちが、なぜそういう思考になるのか考えてみると、根本的な部分でのズレがあることに行き着いた。
それは、家族は裏切らないという性善説だ。
どこまでを家族とするのかはさておき、一般的には2〜3親等くらいだと思うので、そこを家族の定義と仮定しよう。
家族は系譜なので、そのままにしておくとどこかで途絶えてしまう。
なので、家族をつくっていくということをくり返していくわけだ。
そもそも、なぜ系譜を重視するというか、当たり前のように継続していくのかというと、実はそこには大した思考はないというのが私の主張だ。
単純に周りがそうしているからとか、家族をつくることが当然だと刷り込まれているからである。
そして、家族をつくっていない人は、孤独だと勝手に決めつけるわけだが、そこにもなんの思考も根拠もないというのが現実だ。
ということで、よく考えて欲しい1つの儀式がある。
結婚という儀式
結婚という契約の儀式がある。
こういう書き方をした瞬間に、私が結婚に対して否定的な立場であるということは理解してもらえるだろう。
といっても、それは第三者に対しての結婚に対してはとやかく言うつもりもないので、そこは誤解なきように先に書いておこう。
否定的なのは、私が未婚だということで、結婚を推奨してくる人だ。
なにを根拠に結婚して家族を持った方がいいと発言するのか本当に理解ができないのだが、なぜかを考えてみたときに1つの結論が出ている。
確かに、結婚して家族をつくって心から幸せだと誰の前でも言えるという人は一定層はいる。
けれども、それは本当に一握りで、ほとんどの人は結婚や家族を持ったことが、そうではない人からするとマイナスに映る。
それはなぜかというと、本当に心から幸せだと誰の前でも言えるという人は、そうではない人に結婚を推奨するようなことはしないからである。
なぜなら、幸せというものがなんなのかを理解しているからである。
その人にとっての幸せは結婚して家族と共に過ごすことであっても、それが私にとってはそうではないことを理解しているからである。
つまり、そういうマインドがある人が幸せという概念を掴めるということで、なんの根拠もないのに薄っぺらい幸せを押し付けるような人にはなんの説得力もないということだ。
わかりやすくいうと、なぜ結婚したのかと聞いたときに、女性が30歳を迎える前にという回答をする人は薄っぺらい幸せを押し付ける人の典型だということだ。
孤独は常につきまとうものという理解
はっきりと私の主張をしておこう。
結婚しようが家族をつくろうが、生きている以上は孤独は常につきまとう。
そして、孤独から貧困に繋がるというロジックは確かに高確率で密接していることも事実だ。
なにが言いたいかというと、孤独、つまり1人では生きていけないので、1人の期間が長ければ長いほどに貧困に繋がる可能性が高くなる。
誰かの力を借りて生きていることに早々に気づいて、小さなプライドを捨てていかなければ、孤独と常に付き合うことになる。
結局は自分自身が決断することが人生においては何度も起きるわけで、誰かが救ってくれることなどないとうことを理解しなければいけない。
というか、人に期待をし過ぎず、自分をしっかり持つことで孤独と貧困は遠ざけることができる。
こういう書き方をすると、世の中はそんなに強い人ばかりで成り立っていないという主張があるが、そもそもそういう考え方が強い人だと定義づけていることが間違っているのである。
なにも考えず、ただただ1日1日を過ごしている人には孤独も貧困も背中合わせになるということで、そこから脱却するには自分のやりたいことを本気でやり続けるしかない。
自分のやりたいことを本気でやり続けるということは、相当のエネルギーを使う。
要するに、毎日が充実して余計なことを考える暇なんかなくなるわけだ。
人間は余計な時間が生まれると、無駄なことを考えるようになり、そういうときにはポジティブなことよりもネガティブなことを考えてしまうという思考が根本的にある。
毎日が充実していて日々慌ただしくしていると、次々にやらないといけないことが出てくるので落ち込んでいる時間もないということである。
孤独や貧困との距離を測る方法
あなたが孤独や貧困とどれくらいの距離感にいるのか、つまり毎日が充実しているかを知るには、1つの簡単な問いかけを自分自身にしてみればいい。
いつの時代の自分が輝いているか?
ここで過去の自分を出してしまう人は、残念ながら孤独や貧困の近くにいる傾向が強い。
人間なので生きている以上、良かった時期というのは少なからずある一方で、コンプレックスがあったりトラブルに遭遇することだって当たり前のようにある。
ただ、良かったと思える時期が過去にしかないという人は思考停止している可能性が高いし、新しいことにチャレンジをしていない人だろう。
成功体験が過去で止まっているし、そのままの状態だと動いていないので、当然成功体験がアップデートされることはない。
それでは、孤独や貧困から離れた距離にいるという人はどういう人なのだろうか。
対極にいる人を想像するだけなので簡単な答えかもしれないが、それは今が一番楽しいと断言できる人だ。
選択をすることで生まれる孤独
行動を起こす人が世の中には圧倒的に少ないということも、私は何度もくり返し主張している。
すぐにできることをなにかしらの言い訳をして行動に移さない、移すことができないという人が大半だ。
たちが悪いのは、アドバイスを求めてきて回答したにも関わらず、なにもしない人が本当に多いし、誰かのせいにしてそれが動かない理由とするという人も多い。
実際に動き出した人は、どうなるかというと孤独と向き合う場面が増える。
それは、達成したい目標や目的に向けて自分が選択をしていかなければいけないので、1人になることも増えるからである。
そこには単純に淋しさや虚無感のようなものもあって、そこで耐えられない人は後戻りしたり止まったりする。
勘違いしてもらいたくないのだが、私はそこに関しては全く否定的な立場ではない。
まずは自分で動いてみて、選択をすることで生まれる孤独を味わうことが第一歩だと思っている。
そこで、自分はこういうところが向いていないとか、実は向いていたとか判断する材料にして、次に繋がるように活かせる場をつくらないといけないということを言っている。
まあ、その人の生き方なのでどう生きようが勝手なのだが、やはり一度しかない人生においては目標や目的を持って過ごした方が終わりを迎えるときに充実していたと言い切れた方がいいと思っているわけだ。
まとめ
私の周りには経営者という立場の人が多い。
中には個人事業主として活躍している人もいるが、そういう人たちも経営者であることに変わりはない。
例え1人であっても、自分自身をマネジメントしていかなければいけないわけで、そうなると孤独を感じる場面が増えるという悩みが生まれる人も多い。
収入が安定しないと不安になったり、クリエイティブなことを1人でしている時間が長ければ、誰とも話をしていなくて単純に淋しくなるというわけだ。
けれども、そういった人たちが少しでも多く集まると、そういった場面が減っていく。
私はそういった人たちと囲まれて生涯を終えたいと決めているので、これからもそちらの立場で突き進んでいく。
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