狐仮虎威(こかこい)
→ 虎の威を借る狐のことで、他人の権力をかさに着ていばる者をいう。
虎の威を借る狐というように、なぜかキツネはネガティブなイメージに使われることが多い。
狐につままれる、狐に小豆飯、狐の嫁入りといった言葉たちは、いい意味で使われる言葉ではない。
キツネに出会うことなどほとんどないのに、なぜこうもキツネは悪いイメージが定着しているのだろうか。
ふと気になって調べてみると、そもそも日本ではキツネは神様として良いイメージだったにも関わらず、あることをきっかけにイメージが悪くなったという。
キツネのイメージが日本で悪くなった理由
古文書を読むと奈良時代から人を騙すキツネの話はあった。
読み解いていくと、本格化したのは江戸時代からだということがわかる。
そもそも、キツネについては、農民の間ではキツネやオオカミが土地に住むと、豊作になるという演技のいいものとして信じられていた。
その理由は、キツネやオオカミが米を食うネズミを食べてスズメを追っ払ってくれるので、米の収量が増えるという好循環があったからである。
そんな流れから、日本全国の至るところでキツネを信じる民間宗教が元々あった。
また、京都の稲荷信仰は現代にもカルチャーとしてあるが、キツネが神様のお使いという役割になっているという考え方だ。
つまり、日本では全国的にキツネは人気だったわけだ。
変化が生まれたのは、中国から仏教の修行を終えた修行僧が帰ってきたことだといわれている。
中国には玉藻前(九尾狐)という凶悪な妖怪の伝説があって、中国のキツネは悪者だった。
ここに宗教が絡んでくるのだが、宗教的に大人気のキツネより仏教の方がパワーがあることをアピールしたいという意向があった。
そこで、キツネは化けて人をだます妖怪で、村のイタズラ狐が旅の僧に屈服するという物語を開発して村人に吹き込んだ。
実際に、話を吹き込むだけでなく、ちゃっかり神社を自分の本拠地として乗っ取ったりもしたのである。
どこの地方にもある民話のルーツのほとんどがこれのパターンというわけだ。
ということで、キツネは神のお使いというイメージとズルい、化ける、騙すの二重のイメージが定着していったのである。
江戸時代までは神道と仏教が渾然一体だったため、そういう坊さん常駐の稲荷神社だらけになった。
特に稲荷神社は商売の神様として認められたため、江戸時代に商売繁盛を願う商人の大人気となった。
江戸時代は鎖国していたこともあり、平和だったために商業が発達したという背景も大きい。
その後、明治時代になると大政奉還があり、神社は神社ということで稲荷神社は神道に分類され、坊さんが形式上、追い出された。
形式上というのは、潔く去った僧もいたが、実は同じ人が坊さんから神主さんに職変えしただけみたいな例もいっぱいあるからだ。
こうして、坊さんは追い出されたにも関わらず、キツネは神社に残ったのである。
それから、昭和のはじめになると、新作童話に良いキツネとか可愛そうなキツネが登場するようになるのは、作家としては意外性を狙ったものだといわれている。
そんな作品の中で、受けが良いのは過去の反省の意味がある作品だといわれている。
ちなみに、中国語でキツネは狐狸と書く。
日本に来て狐と狸という二種類の動物に漢字が当てられて、ついでに狸は悪いイメージとともに化ける能力も狐からわけてもらったことに由来している。
民話のキツネと人間
そんなこんなでキツネは民話の中にも数多く登場する。
人間とキツネの付き合いは古くからあり、特別な霊力を持つ動物とされていることから、世界各国の民話や伝説にたくさん登場して いる。
中国ではずる賢い美女として登場したり、学徳豊かなおじいさんとして登場することがあったり、凶災福の象徴として登場することもある。
一方で、日本でのキツネのイメージは、こちらもくり返しになるが、稲荷神社のイメージが強いのではないだろうか。
その理由は、キツネが稲荷明神の使者として信仰されたからで、稲荷はキツネの異名にもなっているという背景がある。
そして、日本にも外国と同じく、キツネに関する民話は多くある。
日本で人間とキツネの関係の記述として残っている最初の書物は、659年の日本書紀だとされている。
また、伝承では、欽明天皇(540〜571年)の御代にキツネが女に化けて結婚して、子どもを作ったという話がある。
なぜ、こんなにもキツネは注目されるようになったのか、なぜこんなにもキツネに関する民話があるのか、もうすこし迫ってみようと思う。
最古のキツネの名称由来
日本霊異記に、キツネの名称由来についての最古の話がある。
その昔、欽明朝のころ、美濃国大野郡に住んでいた1人の男が野中で美しい女に出会った。
その女はこの男にさかんに秋波を送り、男もまた嫁を探している最中だったこともあり意気投合した。
その後、いい感じになって1人の男の子を授かる。
ところが、この家の飼い犬がいつもこの女に吠えかかるのだ。
女は夫である男に、この犬をはやく撃ち殺して欲しいと頼むのだが、男はなかなか承知しない。
そして、ある日のこと、この夫婦が穀物を精製する小屋である臼屋で作業をしていたところ、飼い犬が恐ろしい形相で夫婦を噛み殺す勢いで迫ってきた。
それを見た女は、本性を現して、キツネになって屋根の上に上がってしまった。
夫である男は驚きを隠せなかったが、子どもがいる家族となっているわけで、獣とはいえ忘れられるものではないと語りかけた。
いつでも、来て寝るがいいということから、「きつね」という名称が生まれたといわれている。
狐女房の話
キツネが人間に化けて、人間の男と結婚する説話の総称を狐女房という。
この狐女房の話は本当に多く、一定の共通点があるのも特徴だ。
- キツネが男に助けられる
- 助けられたキツネが女に化けて恩返しをしに現れる
- 女と恋に落ちて結婚して子どもができる
- 女は気づかずに夫や子どもに自分がキツネである姿を見られてしまう
- 女は仕方なく子どもを残して男のもとを去る
- 残された子どもが後に出世したり、超越的な能力を持つ長者になる
狐女房の話は、ほとんど中国から伝わってきたものなのだが、こういったパターンで幸か不幸かを問いかけるようなものが多い。
このようにキツネが近い距離にいるようになった理由は、古代人は動物には人間と同じ喜怒表楽があると考えていたことにあるという。
ネガティブな話が増えた理由
上述したとおり、狐女房の話のパターンのように、見方によってはハッピーに思える一方で、やはりキツネはネガティブな表現として用いられるイメージの方が強い。
その理由として、知っておくといい2つの話がある。
1つ目は、槇島家の話だ。
ある特効薬を作るためにキツネの生き胆が必要で、この生き肝を進上する任を受けていたのが槇島家だった。
槇島家は先祖代々、キツネの殺生に後ろめたさもあったので、キツネたちに一度捕まえても逃がすが、二度目に捕まった場合には殺すと、キツネに刻印をつけていった。
ところが、一度目に捕まえたキツネも平気で殺すようになったので、キツネたちの怒りを買うと、槇島家の当主が乱心して自殺した。
その後も槇島家の人たちが相次いで自殺していったことから、キツネの人間への復讐というイメージがついたのである。
2つ目は、狐憑きという現象だ。
狐憑きとは、キツネの霊に憑かれたとして特定の人が異常心理になる現象のことをいう。
その昔、金剛山という山があってここに貴い僧が住んでいて、永年の修業によって術を身につけた。
その術は、鉢を飛ばすと鉢は麓の信者の所まで届くと、布施の食物を入れてまた聖人の所に戻ってくるという。
また、水が欲しいときには、瓶に命じるとすかさず谷川に信者が行って水が汲まれて戻ってくるという。
この神通力で1人で山中にいても問題なく過ごせていて、この噂を聞いた文徳天皇は、この僧を参内させて宮中で囲おうとした。
ところが、この僧はそれを断り、宮中にいた1人の女御が急に狂い始めて泣きわめくようになった。
これが、日本最古のキツネが人間に憑いたという話だ。
この2つの話をきっかけに、キツネをネガティブに捉える話が日本には増えたとされているのである。
まとめ
伝言ゲームという遊びがあるが、伝わってきた話は正確に伝えられることは、ほとんどないといっていいだろう。
真剣に伝えようとしても、どこかで少しずつ変わってしまうこともあるし、意図的に変えてしまおうとする人も当然のように現れるのが人間社会というものだ。
キツネはそういう意味でも、人間の都合で上手く使われている動物なのかもしれない。
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