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2022年9月22日 投稿:swing16o

Beer(ビール)の歴史と豆知識

高陽酒徒(こうようのしゅと)
→ 酒飲みのこと。

私はお酒を全く呑まないのだが、お酒が好きだという人は一定層いる。

正確に言うと、お酒を呑まなくなったのだが、以前はどんなお酒もこよなく呑んでいた。

とはいえ、なんとなく最初の一杯はビールという流れはなんとなくあった。

ということで、そんなビールの歴史とちょっとした豆知識について書いていこう。

ビールの歴史

ビールの誕生については諸説があり、紀元前8000~4000年まで遡るといわれている。

文明と共に古くから人々に親しまれていたのは確かで、人類最初の文明はメソポタミアに興ったシュメール文明だといわれているが、既にビールが飲まれていた。

なぜ断言できるのかというと、シュメールの人々が粘土板に楔形文字で描いたビールづくりの模様が記録に残っているからだ。

当時のビールの製法は、まず麦を乾燥して粉にしたものをパンに焼き上げ、このパンを砕いて水を加え、自然に発酵させるという方法だったとされている。

また、紀元前3000年頃のエジプトでもビールは人々の間で広く飲用されていた。

肥沃なナイル河畔で収穫される大麦を原料に、エジプトでもビール作りが盛んに行われたとされている。

紀元前2700〜2100年ごろにはメソポタミア同様、墓の壁画にビール作りの様子が描かれていることからも、ビールの歴史が長いことが読み取れる。

その後もビールは、アッカド・アッシリア・バビロニアなどの古い文明遺跡から、製造、飲用の事実が明らかになり、重要な飲み物として拡がっていった。

紀元前1700年代半ばに制定された初めての成文法である、ハムラビ法典にもビールにかかわる法律が制定されている。

この頃には各所に醸造所が建設され、今日のビアホールにあたる店も出現していたようで、その取り締まり規則、罰則などが公布された。

例えば、ビールを水で薄めた者は水の中に投げ込まれるという罰を設けたり、ビアホールで謀反の密議をしているのを知った店の主人はすぐに届け出ないと同罪に処すといったものがあった。

ビールの役割

いずれにしても、古代人の生活においてビールは神の恵みである神聖な飲み物であったことに変わりはない。

強烈な陽光の下で働く農民や労働者にとっても、一杯のビールは渇きを癒し、健康を感謝し、明日のエネルギーを蓄える役割を果たしていた。

実際に古代で製造されていたビールは、シカルと呼ばれ、現代のビールとは大きく異なる。

ビール製造に大事なホップは使用されず、味付けには薬草やはちみつなど様々な原料が使われてたため、そのまま飲むだけでなく、栄養素を摂取する滋養食品という側面もあった。

エジプトでは、ピラミッドを建造する労働者に、ビールが配られていたともいわれている。

当時のビールがミネラルたっぷりの滋養食品として愛されていたので、疲労回復にはピッタリだったというわけだ。

このことから、ビールがピラミッドをつくったといわれることもある。

一方で、ギリシャ、ローマとなるとワインが主役になる。

これは、気候風土の関係で麦類の生育が安定しなかったからだと考えられている。

とはいえ、葡萄はよく生育したので、もっぱら葡萄酒を醸造することになった。

ギリシャ悲劇の詩人ソフォクレスが、ギリシャ本土のビールを我々は飲みたいと思わないと書いていることからも、あまり上等なビールができなかったと推測できる。

また、北ヨーロッパでは、古代ゲルマン人が定住生活に入った紀元前1800年頃にはすでにビールがつくられていたことが記録されている。

そんな北ヨーロッパにいたゲルマン人やケルト人のビールは、麦類を麦芽に加工する現代にも通じるつくり方をしていた。

とはいえ、あまり上等な酒とは思われていないばかりか、ゲルマン人のビール好きが揶揄されているという側面もあったこともまた事実だ。

中世のビールの価値

その後、中世になると、ヨーロッパでは上等なビールが修道院でつくられるようになった。

当時の知識人であった修道士や僧侶たちは醸造知識にも優れ、香味剤である、グルートを使ってビールをつくるようになった。

この頃のビールは、栄養補給や医療にも利用されていたとされている。

11世紀後半になると、グルートの中でもホップを使用した場合、ビールの品質が飛躍的に向上することがわかってきて、この製造方法のビールが次第に拡がっていくことになる。

13世紀には、修道院のグルートビールと都市のホップビールの間で激しい競争を巻き起こすことになった。

15世紀以降、都市の発展とともにギルド制が定着するに至って、ビールの醸造は次第に市民の手に移るようになっていく。

ビールが市民に広く愛飲されるにしたがって、醸造技術に次々と改良が加えられ、ビールの品質はより向上していったというわけだ。

1516年にドイツでは、ビール純粋令が出されており、大麦、ホップ、水の3つの原料以外は使用してはならないと定められた。

このことがビールそのものの定義を決定すると共に、品質維持向上に拍車をかけることになる。

大航海時代には、ビールは腐りやすい水の代わりに飲料用として用いられており、アメリカ大陸発見で有名なメイフラワー号には、400樽ものビールが積み込まれていたといわれている。

近代ビールの誕生

時系列でみると、15世紀にドイツのミュンヘンで、とあるビールが誕生する。

それは、下面発酵のラガービールだ。

当時のビールは、高温で短時間、貯蔵と発酵を行う上面発酵のエールビールが主流だった。

低温で長時間、貯蔵と発酵を行うラガービールは、当時のビール造りに大きな変化をもたらした。

19世紀になると、ラガービールの噂はボヘミア(現在のチェコ)まで拡がりをみせる。

現地の人々は、この噂を聞きつけると、ラガービールを製造するために市民醸造所を建設した。

本場ミュンヘンの醸造師を招き、ラガービールの製造を開始し、今や世界中で愛されている、ピルスナーが誕生したというわけだ。

ピルスナーが誕生してからすぐ、1883年にはデンマークのカールスバーグ研究所で、ビール作りに適した酵母だけを確保する方法を発見する。

発明者のエミール・クリスチャン・ハンゼンは、酵母純粋培養法と呼ばれるこの方法を応用し実用化に成功した。

これまでは、職人が発酵状況をチェックしていたが、その手間がなくなり、安く大量に製造できる近代的な大量生産への道が開かれたのだ。

また、近代以降のビールに決定的な影響を及ぼしたのは、細菌学者のパスツールによるところが大きいことも知っておきたい。

パスツールは、生物の自然発生説を否定し、生物は生物からのみ発生することを実験によって証明した人物だ。

その理論の延長から、葡萄酒の再発酵を防止するために低温殺菌法を発明する。

この方法は、パストリゼーションと呼ばれ、ビールはこの方法を採用することによって長期間変質しないでおくことが可能になったのである。

さらにいえば、上述したハンゼンが酵母の純粋培養法を発明したのもパスツールの理論の応用だといえるし、消毒による衛生環境の改善などもパスツールの殺菌という考え方から導かれたものだ。

くり返しになるが、細菌から守り、安定した品質のビールを長持ちさせることができるようになったのは、パスツールの貢献によるところが大きい。

また、ビールの普及の上で、もう1人欠かせない人物がいる。

その人物は、リンデという。

現代の世界の主流である下面発酵ビールは低温でじっくり時間をかけて、発酵熟成させることが必須だ。

リンデが発明したアンモニア冷凍機は、人類史上初めて工業的に四季を通しての醸造を可能にし、品質を向上させることに貢献したのである。

ちなみに、缶ビールについては、缶詰の原理はアペールによって考案され、缶ビールそのもののアイデアは1935年にアメリカで生まれたといわれている。

日本のビールの歴史

日本にビールが初めて伝わったのは、鎖国している江戸時代だとされている。

当時、唯一開港していた長崎県の出島から全てが始まった。

1613年(慶長18年)にイギリス船のクローブ号が平戸に入港し、積荷の中にビールがあったという記録が日本にビールが入ってきた最古だという。

とはいえ、外国の文化にとても敏感だった当時は、ビール文化が拡がるまでに多くの時間を費やすこととなる。

そして、日本で初めてビールを醸造したのは、幕末の蘭学者の川本幸民といわれている。

自身が訳した、化学新書の中で上面発酵や下面発酵などのビール造りについて解説していて、実際にビール醸造も行ったと推測されている。

明治20年代に入ると、日本も産業革命による近代化が本格的になって、近代的なビール会社が各地に誕生する。

それから、1869年に日本で最初のビール醸造所、ジャパン・ブルワリーが横浜の外国人居住区で開業すると、外国人の手によって様々な場所で多くのビール醸造所が誕生するようになる。

そんな中でも有名なのが、キリンビールの前身である、スプリング・バレー・ブルワリーだ。

アメリカ人の醸造師ウィリアム・コープランドが日本で開業したブルワリーで、日本人にも好評だった。

このコープランドの登場により、日本のビール産業は大きく動き出すことになる。

1872年、大阪府で渋谷庄三郎により、日本で初めてのビール会社である、渋谷ビールが誕生した。

それから、現代の日本を支える大手ビールメーカー4社のキリンビール、サッポロビール、エビスビール、アサヒビールが登場していくのもこの頃だ。

こうして、大手ビール会社は新商品の販売や開発を激化し、ビールの販売競争が行われるようになったのである。

まとめ

こうしてまとめてみると、ビールの歴史は長いことがよくわかる。

それだけ多くの人の癒やしの1つになっているということだろう。

そして、ビールに限らず嗜好品という位置づけのお酒というものは、今後も廃れることはないだろう。

ビールやお酒を通じて、どんな流行り廃りが登場するのか、改めて注目していきたいと思った次第である。

 

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植田 振一郎 Twitter

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