口耳之学(こうじのがく)
→ 聞いたことをそのまま人に言うだけで、まったく自分のものとなっていない学問。
私が人生で初めて社長という立場に立ったのは、確か25歳とか26歳の頃だったと思う。
今から15年以上も前のことになるのだが、その頃から人の上に立つという立場にいるという人生を送っている。
かといって、最初に社長という立場に立ったときは雇われ社長だったわけで、別に偉そうな態度を取るつもりはなく、自慢するわけでもない。
そんな立場を経て、stak, Inc. のCEOとなった今があるわけだから、今回のテーマに合った話をしていこうと思っているだけだ。
仕事とはなにか?
誰もがそうだと思うが、社会人になってというか影響を受けた人は少なからずいるはずだ。
かくいう私も、何人か多大な影響を受けた人はいるが、その中の1人に言われたこの言葉は、今でも鮮明に覚えている。
世の中の大半の人がやっているのは仕事ではなくて作業なんだよね
初めてこの発言を聞いたときは正直ピンとこなかった。
けれども、自分が仕事をしていくうちにいろいろと見えてきた部分がある。
この言葉の意味は、仕事は自分でつくりだすもので、誰かに言われてやることは仕事ではなく作業だというものだ。
そして、私が組織をつくる側の立場になってからは、この考え方は比較的何度もくり返し使わせてもらっているものになる。
自分の力を過信しているわけでも自慢するわけでもないが、私は全く携わったことのない組織に放り込まれたとしても、仕事ができる自信がある。
その理由は至って単純で、私が組織をつくる側になってからの経験が全てだと思っている。
五反田から始まった社長というキャリア
まだなにも知らない植田くんを、代表取締役社長という名刺に刻まれた漢字6文字が妙に心を躍らせてくれた。
その威圧感というかオーラというか、単純にカッコいいと思わせてくれたわけだ。
そして、チャンスは案外はやく訪れて、私が最初に代表取締役社長という漢字6文字が刻まれた名刺を持ったのは、かれこれ15年以上前のことになる。
細かいことは覚えていないが、25歳とか26歳のときだったと思う。
初めて社名やロゴを決めて意気揚々と拠点を構えたのは、五反田だった。
といっても、階段しかない10坪の古いビルの5階という、お世辞にも恵まれた環境ではなかった。
また、オーナー社長でもなく、いわゆる雇われ社長の立場であったことは、何度も書いているが、改めてここでも書いておこう。
兎にも角にも、代表取締役社長の肩書きを持った植田くんは、五反田で社長業を始めるのである。
不思議なもので、その後も五反田という場所はなにかしらの始まりの拠点となっている縁のあるエリアである。
仕事の流儀
私にとっての仕事の定義をもう一度書いておこう。
仕事とは自分で生み出していくものだ。
誰かに言われてやるものは仕事ではなく作業である。
よく挙げる例なのだが、5人で会議をやっているとしよう。
休憩をしようということで、飲み物を買ってくるように1,000円を渡されたときに、あなたはどんな行動を取るだろうか。
無難に同じ水や同じお茶をなにも考えずに5本買ってくるという選択肢を取るというあなたは、おそらく仕事をしたことがない人だろう。
おそらく、私がなぜそう言い切るか理由すらわからないという人なはずだ。
残念ながら、完全に思考停止していることに気づいてすらいない。
ここで、ちょっとでもユーモアのある人であれば、必ずバラバラの飲み物を買ってくる。
新発売でこんな飲み物があったとか、どれがいいかというやり取りで少なからずコミュニケーションが生まれる。
それから、飲み物だけを買うという人もセンスがない。
コンビニに行けばなにかしら話題になっているような商品があるはずだ。
お菓子でもアメでもなんでもいいから、そういったモノをサラッと買える人は仕事をしている人だ。
休憩の場というのは、ただただ休む場ではなく、コミュニケーションを取る場でもあるという意識があるかないかだけで、仕事ができる人なのか、できない人なのかわかるというわけだ。
仕事のやり方が変わった部分と変わらない部分
改めて、五反田で代表取締役社長という立場をスタートさせてから、仕事のやり方が変わった部分と変わっていない部分を考えてみた。
変わった部分
- 細かく指摘する箇所
- なんでも自分でやらないようにすること
- できるだけ話を聞くようにすること
- 時間の買い方
- アクセルの踏み方とブレーキの踏み方
変わらない部分
- 根本的な考え方
- コスト意識
- 人に対する期待値
- 効率
- 野心
抽象的ではあるが、間もなく41歳を迎えるという今でも不変の部分がしっかりあることに気づいた。
それもそのはずだ。
まだまだ自分の納得できるビジネスが1つもできあがっていない。
偉そうに書いていても、私はまだまだ何者でもない。
けれども、何者かになるために、なったときに振り返ると、何者でもなかった頃から考えていたことがわかるはずだ。
そのときを自分自身が一番楽しみにしているのかもしれない。
仕事とプライベートという概念
今の時代、そして今からの時代は、仕事とプライベートを明確に分けているという人にとっては、生きづらい世の中になっていくだろう。
というのも、1つのことしかやっていない、できない、動かないといった状況にある人は、とても大きなリスクを背負っていることになる。
50代後半、60代以上の人であれば、ギリギリ逃げ切れるかもしれないが、それ以下の世代の人たちは、間違いなく逃げ切れなくなる。
それから、自分の中で決めつけている物事が多い人ほど、狭い方へ流れていかざるを得なくなるだろう。
とりわけ、くり返しになるが、未だに仕事は仕事、プライベートはプライベートと割り切っているなどと平気な顔をして発言している人は要注意だ。
仕事とプライベートの垣根がない人ほど、人生が豊かな人だという評価になっていくだろうし、なによりも第三者から見たときに、そういう人に憧れる傾向がますます強くなるだろう。
そして、蚊帳の外になった人は、妬み嫉みからネガティブな言動しかできなくなるという、まさに負のスパイラル状態に陥るだろう。
そうならないために必要なマインドは、ノリの良さだ。
なんでも否定から入るのではなく、といあえずやってみるというマインドがあれば、仕事とプライベートの境界線もどんどんなくなっていく。
土日祝日はしっかり休むと決めていて、これを変えるつもりがないという人も、今はまだいいかもしれない。
けれども、どんどん生きづらい世の中になっていくというか、自分自身が納得した人生を送りにくくなっていくと断言しておこう。
まとめ
どんな仕事をしているのか。
初対面の人や仲のいい人であっても、気軽に出てくる質問だ。
けれども、そこでいわゆる職業や名称を挙げる人は、おそらく仕事をしていない人か、仕事をした気になっている人か、仕事ができない人だろう。
なぜなら、仕事を聞かれたときに、やっていることが多すぎて1つに絞れないという人が、本当に仕事をしている人だからである。
その中でも今はこれに力を入れていると断言できる人が、仕事をしている人だ。
再び会ったときに別のことをやっていると、否定的な立場を取る人もいる。
あの人は長続きしないとか、なにをやっているかわからないから怪しいとか、結局ネガティブな印象を勝手に拡めようとする。
だから、あなたの周りの人が、あなたがなにをしているのかわからないというのは褒め言葉なのだ。
ただし、あなたが心の底から楽しんでいなければ、そのロジックは確定しないので、そのあたりは要注意である。
さて、改めて、あなたに問う。
あなたの仕事は?
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