鶏鳴狗盗(けいめいくとう)
→ 鶏の鳴き声をまね、犬のようにこっそり盗みをする意から、こそ泥、くだらない人間、才覚のある小人物のたとえ。
この意味だけを見ると、なんかディスっているとしか受け取れないように見える。
ただ、他のところで調べると、立派な人とは言えぬ、ただ器用な才能の持ち主とあったりする。
個人的に真似たり盗むことが必ずしも悪だと思っていない私からすると、そもそも違和感のある解釈だから、余計に引っかかるのかもしれない。
ということで、この鶏鳴狗盗(けいめいくとう)という言葉の由来をもう少し掘り下げてみることにした。
故事成語から学ぶ鶏鳴狗盗(けいめいくとう)とは?
鶏鳴狗盗という言葉は、史記という歴史書の孟嘗君伝(もうしょくんでん)編の部分に登場する。
その昔、現在の中華人民共和国(中国)に斉(せい)という国があった時代がある。
ザックリ表現するならば、大人気漫画のキングダムの時代だと思ってもらえるとわかりやすいという人もいるだろう。
その斉の国に、孟嘗君(もうしょうくん)という人物がいた。
あるとき、彼は同じ時代に存在していた秦(しん)の国の昭王(しょうおう)に捕らえられてしまう。
孟嘗君は斉の王族で優秀な人物として知られていたので、昭王は秦の宰相に置くことを考えた。
宰相といえば、今の時代の総理大臣のようなポジションだと思えばいい。
ただ、孟嘗君は所詮は斉の国の人間なので最優先は斉のことになると側近たちからの助言により、昭王は宰相に置くことをやめる。
その上、孟嘗君を処刑しようという流れになったのである。
そこで、孟嘗君は、犬の真似をして盗みをするのが上手な男にとあることを依頼する。
それは、昭王への土産として贈った狐白裘(こはくきゅう)を盗み出させて、昭王の愛姫に献上するということだった。
ちなみに、狐白裘とは、白狐の毛皮のことで、値千金といわれる天下に2つとない品といわれている。
つまり、昭王の愛姫に献上することで気に入ってもらうことで許しを請い、上手く逃げ出すことに成功する。
そして、秦の国を後にしようとするのだが、秦には函谷関(かんこくかん)という関所があり、この函谷関は一番鶏が鳴くまでは人を通行させないという決まりになっていた。
すると今度は、鶏の鳴き真似をするのが上手な部下がいたので、鶏の鳴き真似をさせた。
鶏の鳴き真似を一番鶏の鳴き声と勘違いして、関所が開くと、孟嘗君たちは無事に秦の国から脱出することができた。
鶏鳴狗盗(けいめいくとう)とはこういった故事成語から来ており、小ずるい話だという解釈になるという。
鶏鳴狗盗(けいめいくとう)のもう1つの意味
一方で、鶏鳴狗盗という言葉には、つまらないことやくだらないことしかできない人でも役に立つことがあるという意味もある。
上述した由来のストーリーを見ると、私はむしろ優秀だと思ってしまうのだが、みなさんはどう感じただろうか。
こういった違和感が生じる四字熟語やことわざが案外あるように思うのである。
というのも、犬のようにという表現はいまいちイメージが湧かないとはいえ、王宮の中の王様に献上した物品を盗み出してくるということが、つまらない能力なのだろうか。
また、函谷関という要所にいる人間を鶏の鳴き真似で騙すことが、くだらないことだろうか。
どちらもとても優秀な能力だと思ってしまうのは私だけだろうか。
ここには、とある人の考え方に共感を得た部分が大きい。
藤原和博という人物を知っているだろうか。
完全に彼の受け売りなのだが、そのままタイトルに使わせてもらっている。
100万人に1人の存在になる方法
人生において、キャリアアップしていくことはとても重要なことである。
自分自身の価値を上げていくことがまさにキャリアアップするということなのだが、そのための方法を藤原和博氏は教えてくれている。
その方法は、下記のとおりだ。
3つのキャリアを5年から10年ずつ経験して、その掛け算で希少性を獲得し、100万人に1人の存在になりましょう。
100万人に1人というのは、オリンピックのメダリスト級のレアさに匹敵する。
実際、1人のアスリートが一般的には3大会に出場可能として、3大会のメダルの総数を全就業者数で割ってみると、その確率が100万分の1に近くなるのである。
そして、同世代でたった1人の存在になるので、雇われる力が飛躍的に高まり、必ず稼げる大人になれるという理論だ。
その具体的な方法を下記のように述べている。
まず、ある分野で集中して仕事をして、100人に1人の希少性を確保する。
次に、違う分野で仕事をして100人に1人の希少性を確保できれば、かけ算すると1万人に1人の希少性を確保できたことになる。
ここまできたなら、あと1つの分野で仕事をして100人に1人の希少性を達成すればいい。
そうすれば、100分の1 × 100分の1 × 100分の1 = 100万分の1の希少性が実現するというわけだ。
これを、大ざっぱなイメージとして、20代で100人に1人に、30代でもう100人に1人を達成して1万人に1人に、40代で最後の100人に1人を成し遂げる。
そうすれば、100万人に1人の存在になれるということになる。
それから、ここでのポイントは、オリンピックのメダリストではなく、オリンピックのメダリスト級というところであることを忘れてはいけない。
アスリートの世界では、世界中に100万人いる競技者のトップに立たなければいけない。
つまり、100万人のピラミッドの頂上に立つためには、銅メダルでも99万9,997人に実際に勝たなければいけないことになる。
でも、100人に1人のかけ算を3回くり返してなるオリンピックのメダリスト級の100万分の1は違う。
縦社会のトップを争うのではなく、平面上で独自のポジショニングをすればいいということだ。
三角形を意識する
そして、もっと具体的なイメージを知りたいのであれば、こちらの記事を読むといいだろう。
(出典:ダイアモンドオンライン)
1ページ目の内容は上述したので、あえて2ページ目から読めるようにリンクを設定した。
この図のイメージと3つ目の三角形をどのように描いていくのかを意識するという考え方は非常に理にかなっていると私自身も思っている。
そして、1つのことをマスターするのに、人間は一般的に1万時間かかるといわれていることも頭の片隅に置いておくことも重要だ。
とまあ、これだけを紹介するのであれば私自身のオリジナリティが全くないので、それはいけない。
ということで、最後に私なりのスパイスを入れていこう。
まとめ
100人に1人というと、それでもハードルが高いと思う人もいるのではないだろうかということだ。
実際に100人のトップに立つというのは、分野によってはかなり大変だと思うのである。
そこで私はこう考えている。
今の時代には多少そぐわないかもしれないが、いろいろと話を聞いていると、まだまだ合う部分も多いと感じたので、これを推奨している。
1学年に3〜4人いる存在になるということだ。
私の場合、中学校と高校は10クラスあった。
1クラスが30〜40人くらいだったので、1学年には300〜400人いたという計算になる。
つまり、100人に1人の存在といわなくても、1学年に3〜4人いるくらいの存在になればいいということだ。
これならどうだろうか。
全校生徒での朝会やなんらかのイベントで集合したことがあると思うが、その中の3〜4人だとワンチャンいけると思わないだろうか。
それを3つの分野でと考えたら、案外裾野は拡がると思うのである。
私は40代を迎えてしまっているので、今10代や20代の人に比べると時間的なアドバンテージはない。
けれども、今このことを知った10〜30代の人はまだまだ希少価値の高い人間になるチャンスがあるということをしっかりと頭に入れて日々を過ごして欲しいのである。
もちろん私も希少価値の高い人間になり続けようと思っているし、実際にそういう言動をしている。
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