理非曲直(りひきょくちょく)
→ 道理に合っていることと合っていないこと、正しいことと間違ったことの総称
「正しいこと」とは何か。
「間違っていること」とは何か。
この問いに、完璧に答えられる人間はいない。
しかし私は、stak, Inc.のCEOとして事業を動かす中で、毎日この問いと格闘している。
チームを動かすとき、顧客と向き合うとき、社会課題に挑むとき、何が正しくて何が間違っているのかを常に判断し続けなければならない立場にある。
そして確信していることがある。
「正しさ」は固定されたものではなく、文化・時代・個人によって変化し続ける動的なものだということだ。
このブログでは、そのロジックを徹底的にデータと歴史で解剖していく。
「理非曲直」という概念の歴史と背景
「理非曲直」という言葉は、「理非」と「曲直」という二つの熟語を組み合わせた四字熟語だ。
「理非」は道理に合っているかどうか、「曲直」は曲がっているか真っ直ぐかを指す。
どちらも「正しいこと」と「正しくないこと」の二項対立を表しており、同義の言葉を重ねることで意味を強調するという構造を持つ。
日本における初出の実例は1872年(明治5年)の記録にある。
中村正直が翻訳した「自由之理」の中に「政府の方が……その理非曲直は、さておき」という表現が登場し、文明開化の時代から知識人たちがこの概念と向き合ってきたことがわかる。
より有名な文脈では、同年に刊行された福沢諭吉の『学問のすゝめ』第七篇にも登場する。
福沢は「事の理非曲直はしばらく論ぜずして、ただ力の強弱のみを比較せざるべからず」と述べ、内乱という手段が道理の正しさに関係なく、力の論理で結果が決まってしまう不条理を指摘した。
言い換えれば、「正しさ」が必ずしも勝つとは限らないという現実を、明治の知識人はすでに見抜いていたのだ。
この洞察は150年以上経た現在にも、驚くほど有効だ。
人間の「正しさ」判断は、そもそもどの程度信頼できるのか
まず衝撃的なデータを見てほしい。
人間の判断がいかに歪んでいるかを示す研究が、ここ数十年で膨大に蓄積されている。
◆ビジュアルデータ①|認知バイアスが「正しさ」判断に及ぼす影響
【確証バイアス(Confirmation Bias)】自分の信念を支持する情報を優先的に集め、反証を無視または軽視する傾向。心理学者カーネマンらの研究で実証。
【真理の錯誤効果(Illusory Truth Effect)】間違った情報でも繰り返し目にすると「正しい」と感じるようになる効果。「嘘も百回つけば本当になる」と一致。
【信念バイアス(Belief Bias)】論理的に正しいが信念に反する主張より、論理的に間違っているが信念に合致する主張を信じる傾向。
【内集団バイアス(Ingroup Bias)】自分が属する集団の主張を正しいと感じやすく、外集団の主張を誤りと感じやすくなる傾向。
(出典:認知バイアスWikipedia・日本心理学会ワールド106号・各種心理学研究)
東京大学薬学部教授の池谷裕二氏は認知バイアスを「脳が効率よく働こうとした結果、副次的に生じてしまったバグ」と表現している。
人間の脳は日々膨大な情報を処理しており、すべてをゼロから検討していては機能しない。
そこで過去の経験則で素早く結論を出す「ヒューリスティック」という省エネ機能が発達した。
日本心理学会の解説によれば、私たちが何かを判断するとき、脳の中では「システム1(直観的・高速・省エネ)」と「システム2(分析的・低速・高負荷)」の二重過程が作動している。
基本的に人はシステム1に基づく処理を行い、必要に応じてシステム2が修正を行う。
つまり、私たちが「正しい」と感じるほとんどの判断は、実は直観による省エネ処理の結果だ。
これが何を意味するか。
「正しい」という感覚は、論理的な検証ではなく、脳のショートカットによって生まれているケースが非常に多い。
判断の根拠が「正しいから正しい」のではなく、「慣れているから正しく感じる」「周囲がそう言うから正しく感じる」という構造になっているのだ。
文化・国・時代で「正しさ」は根本的に異なる
では、一歩引いて国際比較のデータを見てほしい。
「世界価値観調査(World Values Survey)」は1981年に開始された国際的なプロジェクトで、現在およそ120カ国・地域の研究機関が参加し、同一の調査票で各国の価値観を比較している。
◆ビジュアルデータ②|同性婚に対する態度の変化(日本)
【2015年:賛成+やや賛成の割合】51.1%(国立社会保障・人口問題研究所調査)
【2023年2月:賛成の割合】65%(日本経済新聞社世論調査)
【2023年5月:賛成の割合】71%(共同通信世論調査)
【2024年:強く反対する割合】6%(イプソス26カ国調査・スペインと並び最少)
【年代別比較(2023年)】18〜39歳:83%が賛成 / 60代以上:4割前後が賛成
この数字が示すことは何か。
わずか8年で20ポイント以上も「正しさ」の判断が変化しているという事実だ。
WHOが同性愛を精神疾患の分類から外したのは1990年のことだ。
それ以前は「異常性欲」として医学的に誤りとされていた行為が、今や多くの国で保護される権利となった。
第8回世界価値観調査(2024年実施)の日本版では、「社会道徳・倫理観が悪い方向に向かっている」と感じる日本人が42.2%に達している。
これは「道徳・倫理の正しさ」に対する不安感が、社会の中で高まっていることを示す。
人々は「何が正しいのか」を以前より見失いやすくなっているのだ。
「正しかったこと」が「間違い」に変わった歴史的事例
ここからさらに別の角度で見てほしい。
歴史を振り返ると、「かつて正しいとされていたことが、後に間違いと判明した」事例は無数に存在する。
◆ビジュアルデータ③|「正しさ」が時代とともに逆転した歴史的事例
【喫煙:1966年の日本男性喫煙率】83.7%(JT前身・専売公社調査)
【喫煙:最も高い40代男性喫煙率(1966年)】87.3%
【喫煙:現在の日本男性喫煙率(2018年)】約30%未満(JT調査)
【喫煙が医学的に危険と明確にコンセンサスが形成された時期】1950〜1960年代(米英の研究・王立医学協会1962年報告・米公衆衛生総監1964年報告)
【受動喫煙による日本の年間推定死者数(現在)】約1万5,000人(厚生労働省推計)
1966年、日本の成人男性のほぼ9割が喫煙者だった。
病院の待合室でも、飛行機の機内でも、会議室でも、人々はタバコを吸っていた。
「喫煙は正しくないこと」という認識は社会に存在せず、むしろ「格好いいもの」として文化の中に溶け込んでいた。
アメリカですら、公衆衛生局がタバコの危険性を訴えた「喫煙と健康に関するリポート」を最初に出したのは1964年のことだ。
喫煙は科学的な反証が蓄積されることで初めて「間違い」へと転換した。
そして今や、受動喫煙による年間推定死者数は約1万5,000人とされ、公共空間での喫煙は社会的な「悪」とみなされている。
これと同じ構造は、体罰教育・女性差別・人種差別など、あらゆる領域で起きてきた。
「正しさ」は科学的知識の蓄積、社会の成熟、経済的発展、コミュニケーション技術の変化によって、常に更新され続ける。
重要なのは、今私たちが「正しい」と信じていることの中にも、50年後に「あの時代の人たちは間違っていた」と言われるものが必ず混じっているということだ。
「正しさ」は動的なものでありアップデートし続ける姿勢
ここからは私の考えを展開する。
認知バイアスの研究と、価値観の歴史的変遷を突き合わせると、一つの明確な構造が見えてくる。
「正しさ」の判断には三つのレイヤーがある。
◆ビジュアルデータ④|「正しさ」判断の三つのレイヤー
【第一レイヤー:脳の自動判断】経験・慣れ・直観に基づくシステム1。速いが歪みやすい。確証バイアス・内集団バイアスがここで作動する。
【第二レイヤー:社会・文化規範】属するコミュニティの常識・価値観・法律。世代・国・宗教・職業によって異なる。
【第三レイヤー:普遍的原則の探求】科学的事実・倫理哲学・長期的な人類の福祉。このレイヤーは更新に時間がかかるが、最も信頼性が高い。
ほとんどの人の「正しさ」判断は、第一・第二レイヤーで止まっている。
第三レイヤーまで到達する人は少ない。
なぜなら、第三レイヤーへの到達には時間・情報・謙虚さが必要であり、脳はそのコストを嫌うからだ。
私がstak, Inc.を経営する上で最も意識しているのは、この第一レイヤーの判断を盲信しないことだ。
特定の地域の課題解決を目指すとき、「これが正しい答えだ」という自分の直観を、常にデータと現場の事実で検証し直す習慣が必要になる。
経営においても、人生においても、「正しさ」に対して常に問いかけ続ける姿勢が唯一の正解だと確信している。
なぜなら正しさは一度定まった後も動き続けるからだ。
停止した正しさは、やがて間違いに転落する。
まとめ
「理非曲直を正す」という言葉が示すように、正しいことと間違ったことを見極めることは、人間社会の基盤だ。
だが、その判断は私たちが思っている以上に不安定で、脳のバグ(認知バイアス)・文化・時代の影響を受け続ける。
確証バイアスや内集団バイアスは、私たちに「自分の判断は正しい」という錯覚を与え続ける。
しかし世界価値観調査が示すように、同性婚への賛成率はわずか8年で20ポイント以上変化し、喫煙は100年以内に「格好いい行為」から「社会的な悪」へと転落した。
これは「正しさ」が動的なものであることの、これ以上ない証明だ。
今正しいと思っていることを、50年後の人間が見たとき、どう評価するか。
この問いを常に持ちながら判断を下すことが、本当の意味での理非曲直を問う姿勢だと私は思っている。
正しさをアップデートし続ける勇気が、個人にも組織にも求められている。
【X(旧Twitter)のフォローをお願いします】