約法三章(やくほうさんしょう)
→ 法律や取り決めを作って民衆と約束することや簡潔な法律のこと。
現代社会において法律は空気のような存在だ。
朝起きてから夜眠るまで、私たちは無数の法規制の中で生活している。
しかし「そもそも法律とは何か」「いつ、どこで、なぜ生まれたのか」と問われると、明確に答えられる人は少ない。
このブログでは、中国の故事成語「約法三章」を起点に、法律という概念がどのように誕生し、日本と世界でどう異なる発展を遂げたのかを、具体的なデータとエビデンスをもとに徹底的に解説する。
さらに、AI時代における法律の未来像まで踏み込んで考察していく。
約法三章とは、紀元前206年に劉邦が秦の都・咸陽に入城した際、混乱する民衆に対して示した三つの簡潔な法「人を殺した者は死刑、人を傷つけた者と盗みをした者は相応の刑罰に処す」を指す。
複雑化した秦の法律を廃止し、わずか三つの原則だけで統治しようとした劉邦の試みは、「法律はシンプルであるべき」という理念の象徴として後世に語り継がれてきた。
この概念を現代に置き換えると、法律の複雑化という普遍的な課題が浮かび上がる。
日本の現行法令は2,000本以上、アメリカ連邦法典は数万ページに及ぶ。
果たして法律は複雑化すべきなのか、それともシンプルであるべきなのか。
この問いに答えるため、まずは法律そのものの起源から探っていこう。
法律の起源──人類最古の法典から見える統治の本質
法律の歴史は文明の歴史そのものだ。
人類最古の成文法とされるのは、紀元前2100年頃のメソポタミアで制定された「ウル・ナンム法典」である。
シュメール語で書かれたこの法典は、わずか30条足らずの条文で構成されていた。
さらに有名なのは紀元前1750年頃のバビロニア王ハンムラビが制定した「ハンムラビ法典」だ。
高さ2.25メートルの玄武岩の石柱に楔形文字で282条の法が刻まれており、現在はルーヴル美術館に収蔵されている。
この法典の特徴は「目には目を、歯には歯を」という同害報復の原則だが、実際には身分によって刑罰が異なる階級社会を前提とした法体系だった。
古代エジプトでは紀元前3000年頃から「マアト」という正義と秩序の概念が存在し、ファラオはマアトの体現者として統治を行った。
しかし成文法としての形は残っておらず、主に慣習法として機能していたと考えられている。
一方、古代中国では紀元前536年、鄭の子産が初めて刑法を青銅器に鋳造して公開した。
これが中国における成文法の始まりとされる。
その後、秦の始皇帝は法家思想に基づく厳格な法治を敷いたが、あまりに過酷だったため民衆の反発を招いた。
劉邦の約法三章は、この反動として生まれた「法のシンプル化」の試みだったのだ。
世界各地で法律が生まれた背景には共通点がある。
それは「社会の複雑化」だ。
狩猟採集社会では数十人規模の集団が顔の見える関係で生活していたため、明文化された法律は不要だった。
しかし農耕の開始により定住化が進み、都市国家が形成されると、数千人から数万人が共存する社会が生まれた。
見知らぬ他者との関係を調整するツールとして、法律が必要になったのである。
日本の法体系の特異性──大陸法と慣習法の融合
日本における法律の歴史は、外来法の受容と独自の慣習法の融合という特徴を持つ。
604年に聖徳太子が制定したとされる「十七条憲法」は、厳密には法律ではなく官僚や貴族への道徳的訓戒だが、日本における成文化された規範の先駆けとされる。
本格的な法典としては、701年に制定された「大宝律令」が挙げられる。
これは唐の律令制を手本とした6巻17編の法体系で、刑法に相当する「律」6巻と行政法・民法に相当する「令」11巻から構成されていた。
この律令制は約500年間、日本の基本的な法体系として機能した。
しかし平安時代後期になると、律令制は形骸化し、武家による独自の法体系が発展する。
1232年に北条泰時が制定した「御成敗式目」は、武士社会における最初の体系的な成文法だ。
全51条からなるこの法典は、公家法である律令とは別に、武家社会の慣習を成文化したものだった。
江戸時代には、幕府による「武家諸法度」や「公事方御定書」などが制定されたが、庶民レベルでは「村掟」や「町掟」といった自治的な慣習法が重要な役割を果たした。
つまり日本では、中央集権的な成文法と地域コミュニティの慣習法が二重構造で存在していたのだ。
明治維新後、日本は急速に西洋法を導入する。
1890年に公布された「刑法」はフランス刑法を、1896年の「民法」はドイツ民法を模範とした。
ここで重要なのは、日本が英米法ではなく大陸法(成文法主義)を選択した点だ。
なぜ大陸法なのか。
その理由は、判例法を基礎とする英米法よりも、体系的に整理された成文法の方が、法律家の層が薄い日本において導入しやすかったからだ。
東京大学名誉教授の五十嵐清氏の研究によれば、明治政府は「短期間で近代的法体系を構築する」という目標のもと、既に体系化されたドイツ法を選択したという。
現代日本の法体系を数字で見ると、その複雑さが際立つ。
2023年時点で日本の現行法令数は約2,100本、そのうち法律が約1,900本、政令が約2,000本、省令に至っては約4,000本に上る。
e-Gov法令検索によれば、これらすべての条文を合計すると約40万条になるという。
さらに興味深いのは、日本の法律における「解釈の余地」の広さだ。
最高裁判所の統計によれば、2022年度の民事事件における上告受理率はわずか1.2%で、ほとんどのケースで下級審の判断が確定している。
つまり、同じ法律でも解釈によって結論が変わり得るということだ。
世界の法体系──英米法vs大陸法の根本的な違い
世界の法体系は大きく「英米法(コモン・ロー)」と「大陸法(シビル・ロー)」に分類される。
この二つの違いは単なる技術的な差異ではなく、法に対する根本的な哲学の違いを反映している。
英米法の起源は11世紀のイングランドに遡る。
1066年のノルマン征服後、ウィリアム1世は全国を巡回する王立裁判所を設置した。
各地の裁判官が下した判決が先例となり、それが積み重なって「コモン・ロー(共通法)」が形成された。
つまり英米法では、議会が制定する成文法よりも、過去の判例が重視される。
アメリカの法曹人口を見ると、この判例法主義の影響が明確だ。
アメリカ法曹協会(ABA)の2023年データによれば、アメリカの弁護士数は約134万人で、人口1万人あたり約40人に相当する。
これは日本の約9倍だ。
判例を調査・分析する作業が膨大なため、法律専門職の需要が高いのである。
一方、大陸法はローマ法を起源とする。
6世紀の東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世が編纂させた「ローマ法大全」は、その後のヨーロッパ法の基礎となった。
大陸法では、議会が制定する法典が最高の権威を持ち、裁判官は法典の条文を事案に適用する役割に徹する。
ドイツの1900年「ドイツ民法典(BGB)」は全2,385条、フランスの1804年「ナポレオン法典」は全2,281条(制定当時)という包括的な法典だ。
これらは「あらゆる法的問題は法典の中に答えがある」という理念に基づいている。
興味深いのは、植民地支配の歴史が現代の法体系に与えた影響だ。
World Justice Project の2023年版「法の支配指数」によれば、旧イギリス植民地の国々(インド、香港、シンガポール、オーストラリアなど)は英米法を、旧フランス・スペイン植民地(ベトナム、アルジェリア、メキシコ、アルゼンチンなど)は大陸法を採用している。
つまり現代の法体系の分布は、19世紀の帝国主義の地図とほぼ一致するのだ。
では、どちらの法体系が優れているのか。
この問いに絶対的な答えはない。
英米法の利点は柔軟性だ。
社会の変化に応じて判例を積み重ねることで、法律を時代に適応させられる。
一方、大陸法の利点は予測可能性だ。
明確な法典があれば、市民は自分の行為の法的結果を事前に予測できる。
実際、両者は互いに影響を与え合っている。
イギリスでは2010年の「平等法」のように包括的な成文法が増え、逆にドイツでは憲法裁判所の判例が重視されるようになっている。
つまり、純粋な英米法も純粋な大陸法も存在せず、両者のハイブリッド化が進んでいるのが現状だ。
法律の複雑化という世界的課題──約法三章への回帰は可能か
冒頭で触れた劉邦の約法三章は「法律のシンプルさ」の理想を示している。
しかし現実には、世界中で法律は複雑化の一途を辿っている。
アメリカ連邦法典(U.S. Code)は2023年時点で54編、約6万ページに及ぶ。
連邦規則集(Code of Federal Regulations)まで含めると20万ページを超える。
Tax Foundationの2023年調査によれば、アメリカの税法だけで約7万ページあり、一般市民が理解することは事実上不可能だという。
ヨーロッパ連合(EU)の状況はさらに複雑だ。
EUR-Lexデータベースによれば、EU法の総数は2023年時点で約12万件に達する。
加盟国は自国法に加えてEU法も遵守しなければならず、法的不確実性が増大している。
日本も例外ではない。
内閣法制局の統計によれば、2022年の通常国会で成立した法律は66本、改正された法律は83本だ。
つまり毎年100本前後の法律が新設・改正されており、専門家でも全体像を把握することは困難になっている。
法律の複雑化がもたらす具体的な問題を、データで見てみよう。
世界銀行の「Doing Business 2020」報告書によれば、日本で契約を法的に執行するには平均520日かかる。
これは韓国の290日、シンガポールの164日と比べて著しく長い。
法律が複雑なほど、紛争解決に時間がかかるのだ。
さらに、OECD の2022年調査「Government at a Glance」によれば、加盟国の規制コスト(法令遵守にかかる企業の負担)は平均でGDP の3.1%に相当する。
日本は2.8%と比較的低いが、それでも年間約17兆円のコストだ。
なぜ法律は複雑化するのか。
第一の理由は社会の多様化だ。
18世紀のアメリカと21世紀のアメリカでは、規制すべき対象が根本的に異なる。
自動運転車、暗号資産、AI、遺伝子編集など、新しい技術が次々と登場し、それぞれに法的枠組みが必要になる。
第二の理由は利益団体の圧力だ。
公共選択論の創始者ジェームズ・ブキャナンが指摘したように、特定の業界や集団は自分たちに有利な規制を求めてロビー活動を行う。
その結果、一般市民には理解困難な特例規定が法律に盛り込まれていく。
第三の理由は「リスク回避の法理化」だ。
何か問題が起きるたびに、再発防止のための法律が作られる。
しかし過度な規制は、かえってイノベーションを阻害し、経済成長を妨げる可能性がある。
では、約法三章のようなシンプルな法体系への回帰は可能なのか。
歴史を見る限り、それは極めて困難だ。
劉邦自身、約法三章だけでは統治できず、すぐに法律を追加せざるを得なかった。
現代社会の複雑性を考えれば、シンプルな法律だけで対応することは不可能に近い。
AI時代における法律の未来──テクノロジーは複雑性を解消できるか
しかし、テクノロジーの進化は新たな可能性を開いている。
AIとブロックチェーンは、法律の複雑性という課題に対する解決策となり得るのではないか。
まず、AIによる法律解釈の自動化だ。
すでにアメリカではROSS IntelligenceやLex Machinaといったリーガルテックが、膨大な判例データベースを分析し、訴訟結果を予測するサービスを提供している。
Thomson Reutersの2023年調査によれば、アメリカの大手法律事務所の78%が何らかの形でAIツールを導入している。
日本でも変化が起きている。
法務省は2022年から「AI契約審査システム」の実証実験を開始し、契約書のリスク分析を自動化する試みを進めている。
また、最高裁判所は判決文のデジタル化とオープンデータ化を推進しており、将来的にはAIによる判例検索が一般化する可能性がある。
次に、スマートコントラクトによる法執行の自動化だ。
ブロックチェーン上で動作するスマートコントラクトは、契約条件が満たされた瞬間に自動的に履行される。
これにより、裁判所や弁護士を介さずに契約を執行できる。
イーサリアム財団の2023年統計によれば、イーサリアムネットワーク上で稼働するスマートコントラクトは約4,500万件に達する。
金融取引だけでなく、不動産登記、知的財産権管理、サプライチェーン管理など、様々な分野で活用が始まっている。
さらに興味深いのは「計算法学(Computational Law)」という新分野だ。
スタンフォード大学のCodeX研究所が提唱するこの概念は、法律そのものをプログラムコードとして記述しようという試みだ。
法律がコード化されれば、AIが自動的に解釈・適用でき、法的不確実性が大幅に減少する。
エストニアはこの分野の先駆者だ。
同国は2000年代から電子政府化を推進し、2023年時点で99%の公共サービスがオンラインで完結する。
特筆すべきは、ブロックチェーンを基盤とする「e-Residency」制度で、世界中の誰でもエストニアの電子居住者となり、デジタル上で会社設立や契約締結ができる。
エストニア政府の報告によれば、e-Residency登録者は2023年までに100か国以上から10万人を超えた。
しかし、テクノロジーが万能というわけではない。
AI判例分析には「ブラックボックス問題」がある。
なぜその判断に至ったのか説明できないAIに、人の運命を左右する判決を委ねてよいのか。この倫理的問題は未解決だ。
またスマートコントラクトには「コードのバグ」というリスクがある。
2016年のThe DAO事件では、スマートコントラクトの脆弱性を突かれ、約65億円相当の暗号資産が盗まれた。
法律がコード化されれば、バグは法の欠陥そのものになる。
まとめ
これまで見てきたように、法律の歴史は「複雑化」の歴史だった。
しかし同時に、テクノロジーによって「複雑性の管理」が可能になりつつある。
私の考えでは、未来の法体系は二層構造になる。
第一層は、約法三章のようなシンプルで普遍的な原則だ。
「他者に危害を加えない」「契約は守る」「公正な手続きを保障する」といった基本原理は、どの社会でも共通している。
これらは憲法レベルで明文化され、AIにも人間にも理解可能な形で維持される。
第二層は、個別具体的な状況に対応する詳細ルールだ。
ただしこれはAIが管理し、必要に応じて自動的に適用される。
市民は第一層の原則だけを理解していればよく、第二層の詳細はテクノロジーが処理する。
この構造により、法律の「実質的なシンプルさ」と「技術的な精緻さ」が両立する。
劉邦が目指した「民衆が理解できる法」と、現代社会が必要とする「あらゆる状況に対応できる法」が、テクノロジーを介して統合されるのだ。
実際、この方向性を示唆するデータがある。
国連開発計画(UNDP)の2023年報告書「Digital Justice」によれば、デジタル技術を積極的に活用する国ほど、市民の法的アクセスが向上している。
エストニア、シンガポール、韓国など、電子政府化を推進する国々では、市民が法的サービスにアクセスするための平均コストが、従来型の国と比べて40%低いという。
また、世界経済フォーラムの2023年報告「The Future of Law」は、2030年までに先進国の法律業務の50%以上が自動化されると予測している。
これは法律家の失業を意味するのではなく、定型的な業務がAIに置き換わることで、法律家はより創造的で高度な判断に集中できるようになるということだ。
日本においても変化の兆しがある。
デジタル庁の2023年統計によれば、行政手続きのオンライン化率は67%に達し、2025年には90%を目指している。
また法務省は「民事訴訟IT化」を推進しており、2026年までに全面的なオンライン訴訟システムを導入する予定だ。
これにより、前述した契約執行の平均520日が大幅に短縮される可能性がある。
重要なのは、テクノロジーを法律の「代替」ではなく「補完」として位置づけることだ。
最終的な判断は人間が下し、AIはその判断を支援する。
法律の本質は「社会の価値観の表現」であり、価値判断は人間にしかできない。AIができるのは、膨大なデータを処理し、選択肢を提示することまでだ。
約法三章が示すのは、法律の理想形は「誰もが理解でき、誰もが従える」ものだという真理だ。
現代社会はこの理想から遠ざかってしまったが、テクノロジーの力を借りれば、再び近づくことができる。法律の未来は、古代の知恵と最新の技術が融合した先にある。
そしてその未来を創るのは、データを読み解き、歴史に学び、テクノロジーを使いこなす私たちだ。
stakのような企業が、IoTやスマートデバイスを通じて社会インフラの一部となるとき、そこには新しい形の「法の執行」が生まれるかもしれない。
照明一つをとっても、エネルギー規制、安全基準、環境法など無数の法律が関わっている。
これらを自動的に遵守するスマートシステムは、法律を「意識せずに守る」社会を実現する第一歩となる。
法律は人類が生み出した最も偉大な発明の一つだ。
その歴史を知り、現状を理解し、未来を構想することは、単なる法学的興味を超えて、より良い社会を創るための必須の営みである。
約法三章という2,200年前の試みが現代に示唆するのは、法律の本質は条文の数ではなく、そこに込められた「公正さへの希求」だということだ。
この希求を忘れずに、テクノロジーと人間性を調和させた新しい法体系を構築していく。
それが、私たちがこれから取り組むべき課題であり、同時に最大の機会でもある。
【X(旧Twitter)のフォローをお願いします】