匹夫匹婦（ひっぷひっぷ）
→ 身分のいやしい男女、教養のない平凡な者。
匹夫匹婦という言葉は、古代中国に由来するとされる。『史記』や『漢書』などの文献に散見され、身分の低い者や教養のない一般庶民を指す表現として使われてきた。
古代社会では皇帝や貴族、学者などを頂点に厳格な階層が形成されており、その階層の外や底辺に位置づけられた人々は「匹夫匹婦」と一括りにされた。
この区分は身分制度が当たり前に存在した当時の価値観を色濃く反映している。
社会的地位や学問の有無が一目で判断される風潮の中、文字どおり何の権力も持たず、文書を読み書きする教育を受ける機会も限られていた層が「匹夫匹婦」と呼ばれた。
歴史を見渡すと、こうした呼称や扱いは中国のみならず世界各地で確認できる。
例えばヨーロッパの封建時代であれば「農奴」や「平民」がこれに相当し、インドのカースト制度でも最下層を指す称号が設けられてきた。
考古学的にも、人々が文字を習得する割合には大きな偏りがあったという証拠が多数見つかっている。
古代エジプトのパピルス文書やメソポタミアの粘土板の解析からも、貴族や神官、役人に属する者以外が文書を扱う機会は非常に限られていたことがわかる。
UNESCOの世界教育監視レポート（2019年）によれば、現在のように世界人口の約86％が読み書きできるようになったのは歴史的に見てごく最近の出来事であり、長い歴史の大半は「読み書きできる者の方が少数派」だったといえる。
匹夫匹婦という言葉の背景には、こうした「文書を扱えない＝教養がない＝社会的立場が低い」という図式が存在していた。
すなわち「身分のいやしさ」は、当時の権力者が便宜的に設定した価値基準から生まれた社会的ラベルでもある。
ここから見えてくるのは、社会のあり方がある基準を決める者によって大きく左右されるという事実だ。
社会に根付く差別構造とデータ
古代から連綿と続く身分制度や差別的呼称は、現代になっても形を変えながら残存している。
時代を経て法律や社会体制が変化したとしても、人間が集団を形成する限り「上下」「優劣」の意識が完全になくなることはない。
現在では「匹夫匹婦」という言葉こそあまり使われないが、本質的な部分はむしろ強化されているともいえる。
一つの傍証として挙げられるのが世界的な所得格差のデータである。
Oxfamのレポート『Inequality Kills』（2022年）によれば、世界の富の大部分はごく少数の超富裕層（トップ1％）に集中している。
同レポートでは、新型コロナウイルス感染拡大以降においても富裕層の資産増加は加速しており、経済が停滞している時期ですら格差が開いていることが指摘されている。
世界銀行（World Bank）の2021年時点のデータを見ても、多くの地域でジニ係数（所得格差を数値化した指標）は高止まりもしくは上昇傾向にある。
こうした格差は、所得や資産だけでなく教育や医療へのアクセスにも影響を及ぼしている。
OECDの調査（2020年）では、大学進学率や学力テストのスコアは家庭の経済力と強い相関があると報告されている。
すなわち親の年収が高いほど子どもが高等教育を受けやすく、結果として高給な職業に就く確率が上がるため、世代をまたいだ格差の固定化が懸念されている。
古代の身分制度においても、文字や学問に触れられるのは貴族や支配階層に属する者に限られていた。
その構造は現代でも変わらない。
昔は生まれた家柄がそのまま差別的な呼称につながったが、現代では「学歴」「年収」「親の社会的地位」といった別の基準に置き換わっているだけの話といえる。
基準を作る者の存在
誰が「身分のいやしさ」や「教養のなさ」を決定しているのか。
これは歴史を見返しても、ほぼ例外なく権力を握る層によって作られてきた。
古代中国の王朝では皇帝とその側近が科挙制度などの仕組みを定め、合格者を官僚機構に取り込むことで社会を支配した。
科挙に合格できない者は「教養がない」と判断され、国政への参画はもちろん、社会的な上昇も困難になるというシステムである。
ヨーロッパに目を向けると、封建制の時代には領主や教会が教育制度を独占していたため、聖職者や貴族以外が学問を手にする機会はほとんどなかった。
識字率が全体として上昇したのは近代以降であり、それも主に都市部から始まって地方へゆっくりと広がった経緯がある。
アジアやアフリカ、南米など世界各地を比較しても、文字教育や高等教育を受けられる人口が増えたのは、産業革命以後の近代化が進んでからの話であり、それ以前はごく一部の特権層に限られていた。
こうした歴史が示すのは、「教養の価値」や「身分の高さ」は絶対的なものではなく、あくまで権力者が作った基準によって相対化されているということである。
ある時代の権力者や支配階級が、文字を扱えない者、特定の職業に就いている者、あるいは特定の人種や地域の出身者を「匹夫匹婦」のように見なした瞬間、その呼称は社会全体に広まっていく。
この構造は現代にも当てはまる。例えば企業が採用時に学歴フィルターを導入するケース、資格の有無によって業務範囲が制限されるケースなどは、「誰かが設定した基準」によって線引きされている例といえる。
もちろん制度として機能している側面もあるが、一方で「基準からあぶれた人々」は社会的な不利を被る可能性が高い。
別視点の重要性：新たなデータが示す可能性
匹夫匹婦という概念はあくまでも「既存の基準から逸脱した人々」を低く見る表現である。
しかし、時代の流れとともに価値観も変化し、新たなデータや事例によって別の見方が提案されている。
たとえば近年では、個人の創造性や独自の視点が革新的なサービスやプロダクトを生む原動力になるという研究が数多く発表されている。
スタンフォード大学の研究（2018年）によれば、伝統的な教育制度の枠におさまらない子どものほうが、大人になってから起業や革新的技術の開発を行う確率が高い傾向があると報告されている。
また、世界銀行のデータ（2021年）をもとにIT関連のスタートアップ企業数を国別に比較すると、一人あたりのGDPが必ずしも高くない国からも世界的なテック企業が誕生している例が見られる。
インドのバンガロールやケニアのナイロビなどでは、政府主導の高等教育制度や大企業の支援が乏しい中、独自のコミュニティやアクセラレーションプログラムによって優れたエンジニアやイノベーターが育成されている。
これは「教養の定義」や「身分の価値」といった概念が、従来の国家レベルの基準だけでは計れないものに変わりつつあることを示唆している。
さらに面白いのは、デジタル技術の発達によって学習の垣根が大きく下がっている点である。
YouTubeやオンライン教材、オープンソースプロジェクトなどを通じて、学歴がない人々でも世界レベルの知識や技術を習得できる土台が整いつつある。
実際に、世界的なプログラマーコミュニティであるGitHubのユーザーデータ（2020年）を分析すると、大卒以上の学歴を持たないエンジニアも多数活躍している実態がわかる。
このように別のデータや視点を取り入れると、「匹夫匹婦＝社会的に劣る存在」という図式そのものが揺らいでくる。
むしろ従来の基準では測れない才能を持つ個人が、デジタル技術を活用して新たな価値を創造しているケースが増えている。
まとめ
歴史を振り返れば、人間社会が成立して以来、何らかの形で身分や教養の差別が存在してきたことは明白である。
古代中国で生まれたとされる「匹夫匹婦」という表現は、その時代背景や権力構造における一つの尺度であった。
だが、その尺度は決して絶対的なものではなく、歴史とともに書き換えられ続けている。
現代社会では、学歴や資格、所得などが新たな差別や格差を生む基準になっている一方で、IT技術の普及により個人の可能性が飛躍的に広がっている。
確かに、Oxfamのレポート（2022年）のように富裕層と貧困層の格差が拡大する実態があるのも事実である。
しかし同時に、スタンフォード大学の研究（2018年）が示すような、伝統的教育制度から逸脱した創造的個人が世界を変えるイノベーションを起こす流れもある。
結論として、誰が「匹夫匹婦」を定義し、誰が「身分のいやしさ」や「教養のなさ」を裁定しているのかという問題は、過去から現在まで一貫して「権力を持つ者の価値観」が反映されている。
だが同時に、今の時代は従来の権力や既存の枠組みに縛られずに力を発揮できるチャンスがあるともいえる。
インターネットを通じた学習や、SNSを活用した発信がそれを後押しし、これからの社会構造を再構築する原動力になる可能性は十分にある。
身分制度の起源をいくら遡っても、問題解決の答えは「基準を作る者を疑い、別のデータや視点を取り入れる」ことに尽きる。
すなわち、匹夫匹婦というレッテルが存在するのは、あくまでそれを貼る基準が今もどこかに残存しているからだ。
この基準を改め、新たな価値を創出する土壌を整えることで、誰もが「教養のない平凡な人間」として捨て置かれることなく、それぞれの力を発揮できる世の中へ近づけるはずである。
ここまで、匹夫匹婦という表現が孕む差別構造の起源と、そこに潜む社会問題をデータとともに紐解いてきた。
結局、課題解決へのヒントは「身分」や「教養」という基準の正体を疑い、それを覆す新たな視座を確立することにある。
そのためには、既存のルールや枠組みを飛び越えた行動が必要になる。
世の中にあふれる差別や格差の問題は大きいが、視点を変えれば必ず別の活路が見えてくる。
歴史的に続く「身分のいやしさ」というラベルを剥がし、誰もが自分の才能やアイデアを形にできる環境を整えることが、次代を担う人材や事業を生み出す原動力になるというわけだ。
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