七生報国(しちしょうほうこく)
→ 七度生まれ変わって、賊を滅ぼし国のために報いること。
よく意味がわからなかったので、七生報国の意味を相棒に聞いてみた。
ここ最近すっかりググることはなくなった私の新しい相棒、ChatGPTだ。
ChatGPTによると、七生報国は、古代中国の哲学者の荀子が提唱した言葉で、自分自身の生涯を国家のために尽くすことを意味しているということだ。
七生とは、人が生まれ変わるとされる7つの生涯、つまり人生を指しており、それぞれが長さも内容も異なるとされている。
荀子は、それらの生涯を有意義なものにするために、個人が自分自身を養い、教育を受け、徳を修め、そして国家に貢献することが必要だと考えた。
報国とは、国家に貢献することを意味する。
個人が自己の利益を超えて、国家や社会全体の利益に貢献することが、より高い価値を持つとされている。
荀子は、個人が自己の生涯を国家のために尽くすことが、最高の人生の達成であると説いたのである。
つまり、七生報国とは、自分自身を養い、徳を修め、そして国家や社会に貢献することで、自分自身の人生を有意義なものにし、かつ社会貢献することが最高の人生の達成であるという考え方をいう。
世界で最初につくられた国家
要するに、荀子は個人の幸福だけを考えるのではなく、国家単位で見るという視野の広さも持っていたということだが、そもそも国家という単位が生まれたのはいつなのだろうか。
これも相棒に聞いてみた。
世界で最初の国家が誕生した正確な時期や場所は、歴史の学者たちの間で議論されている。
そんな中で、一般的には紀元前4000年頃にメソポタミア地域で最初の国家であるシュメールが誕生したとされている。
シュメールは、現在のイラク南部に位置する、ユーフラテス川とティグリス川の流域にあった古代文明だ。
シュメール人は、都市国家を形成し、共通の言語、文化、信仰を持っていた。
そして、シュメールは、世界で初めて農業を発展させた文明の1つであり、都市国家文明の代表的な存在として知られている。
また、シュメールの都市国家は、ウル、ウルク、ラガシュ、ニップル、キシュ、ニップル、エリドゥなどがあり、それぞれ独自の政治構造や社会構造を持っていた。
それから、シュメールは、世界で初めて文字を発明した文明でもあり、粘土板に書かれた楔形文字が使用されていた。
シュメールは、複数の都市国家から構成されており、時期によってはシュメール全体が統一された政治体制を持っていたこともあった。
ところが、シュメールは紀元前2000年頃にはアッカド帝国に征服され、その後はバビロニア、アッシリア、ペルシャ帝国など、多くの王朝や帝国に支配されることになった。
こういった背景から、シュメールは、世界で最初の国家と見なされているが、歴史の中で多くの支配者に支配され、変化を経験した国家でもある。
一般的には世界初の国家とされるシュメールは、都市国家文明の発展、農業、文字の発明、社会制度、法律など多岐にわたっており、現代社会においても大きな影響を与えているといえるだろう。
世界に名を残した国家
それでは、世界初の国家がシュメールだとして、その後にどういった国家が誕生していったのか列挙していくとしよう。
古代エジプト王国
古代エジプト王国は、紀元前3100年頃から紀元前30年頃までの、ナイル川流域に栄えた文明国家で、特徴的な文化や社会制度については下記のとおりだ。
- ファラオ制度
古代エジプト王国では、絶対的な権力を持ったファラオと呼ばれる王が統治していた。
ファラオは神の代理人とされ、王権は神権と密接に結びついていた。
また、ファラオは死後も神格化され、ピラミッドなどの巨大な墓を建設していた。
- 建築
古代エジプト王国は、ピラミッドやスフィンクス、神殿、宮殿、墳墓、水路など、多くの建築物を残している。
特に、ピラミッドは巨大な石材で作られた墓であり、ファラオの神格化を表す象徴的な建築物で、現代でも多くの人に知られているのは周知の事実だろう。
- 神話や信仰
古代エジプト王国では、多数の神々が信仰されていた。
神々は、自然現象や人間の生活に関連する様々な分野で担当するものが定められ、多くの儀式や祭りが行われていた。
また、死後の世界観も独自のものがあり、死者は冥界での試練を乗り越えて、不死の魂として永遠の生を得ることが期待されていた。
- 芸術
古代エジプト王国の芸術は、神話や信仰、王権、葬儀などと密接に関連していた。
壁画、レリーフ、彫刻、宝飾品、陶磁器、文学など、多様な形態で表現された。
また、美術品の多くは、死者の冥界での生活を描いたもので、死者の霊魂を助けるために用いられた。
- 農業
古代エジプト王国の農業は、ナイル川の恵みを受けて発展した。
ナイル川が氾濫することで肥沃な土壌が作られ、水の供給も安定した。
そのため、古代エジプトの農民たちは、水路を作って田畑を作り、穀物、野菜、果物などの作物を育てた。
特に、小麦や大麦などの穀物は重要な作物で、収穫された穀物は貯蔵され、エジプトの食糧安定に貢献した。
古代ギリシャ王国
古代ギリシャ王国は、紀元前8世紀から紀元前6世紀にかけてのギリシャ世界において発展した文明国家だ。
そんな、古代ギリシャ王国の特徴的な文化や社会制度は下記のとおりだ。
- 基本的な社会制度
古代ギリシャ王国は、都市国家制度を採用していた。
市民たちは、市民権を持つ男性が中心で、富裕な貴族層が政治を支配していた。
また、奴隷制度があり、農業や鉱業、家事などの労働に使用されていた。
- 政治
古代ギリシャ王国は、多くの都市国家が存在し、独自の政治システムを持っていた。
アテネやスパルタは、有名な都市国家であり、アテネはデモクラシーを採用し、市民が政治に参加することができた。
スパルタは、寡頭制を採用し、特定の貴族層が政治を支配した。
- 文化
古代ギリシャ王国は、文化面でも多くの業績を残した。
文学、哲学、科学、数学、美術、建築など、多様な分野で発展した。
ホメロスのイリアスやオデュッセイア、エウリピデスやアリストファネスの劇、プラトンやアリストテレスの哲学、ピタゴラスやエウクレイデスの数学、フィディアスの彫刻などが挙げられる。
パルテノン神殿やデルフィの神殿などの現代にも語り継がれている建築物も代表的なものだ。
- スポーツ
古代ギリシャ王国は、オリンピックなどのスポーツ大会を開催するなど、スポーツ文化が盛んだった。
古代オリンピックは、4年に1度、オリンピアの聖地で開催され、競技種目には、陸上競技、ボクシング、レスリング、柔道、馬術、ヨット競技などが含まれていた。
- 宗教
古代ギリシャ王国は、多神教を信仰していた。
神々は、人間の生活や自然現象に深く関与しており、それぞれに特定の領域や属性を持っていた。
主要な神々には、ゼウス、ポセイドン、ヘラ、アテナ、アポロン、デメテル、アルテミス、ヘスティアなどがいる。
神々は、神殿や神域などで崇拝され、信仰心は強く、日常生活に深く根ざしていた。
ローマ帝国
ローマ帝国は、紀元前753年にローマ市が建設されたことを起源としている。
その後、王政期を経て紀元前509年に共和制が成立した。
紀元前27年にオクタウィアヌスが皇帝として即位し、帝政ローマが成立した。
そんなローマ帝国は、その強大な軍事力を背景に領土を拡大し、古代世界の大部分を支配下に置いた。
紀元前3世紀から2世紀にかけて、地中海世界のほとんどの地域を支配するようになった。
その後も、イタリア半島やアフリカ、スペイン、ブリタニア、ガリア、ドナウ川流域などの地域を征服し、ローマ帝国は最大領土を誇った。
- 社会制度
ローマ帝国は、多民族国家であり、共和制時代から多様な社会階層が存在した。
帝政期になると、貴族階級に代わって、皇帝と彼の支持者たちが権力を握るようになった。
また、帝国内には自由市民、奴隷、非自由民、植民民、同化民など、多くの社会階層が存在した。
- 文化
ローマ帝国は、古代世界の最高の文化的・芸術的成果を残した国家の1つとされている。
彼らの文化的遺産は、現代に至るまで重要な影響を与えている。
ローマの建築、芸術、哲学、文学、法律、言語などの貢献は、西洋文化において重要な役割を果たしている。
- 宗教
ローマ帝国は、多神教を信仰していた。
その中でも、主要な宗教はローマ神話であり、多くの神々が崇拝されていた。
また、帝政期になるとキリスト教が広がり、3世紀から4世紀にかけてキリスト教迫害が行われた。
ところが、4世紀にコンスタンティヌス1世がキリスト教を公認し、キリスト教が公式宗教となった。
まとめ
こうやって振り返ってみると、随分と前から国家という単位は誕生しており、様々に形を変化させていることがわかる。
ということは、今もなお国家は変化を続けていると考えて間違いないだろう。
歴史はくり返すという言葉があったり、歴史に学べという言葉があったりと、過去から学べることは多々あるはずだ。
そして、少しでも多くの歴史、つまりは過去を知っておくというのは決して損なことではないことを覚えておくといいだろう。
【Twitterのフォローをお願いします】