自家薬籠(じかやくろう)
→ 自分の家にある薬箱の薬のように、いつでも役に立てられるものをいう。
今日はなんの日かご存知だろうか。
stak, Inc. の設立記念日だ。
とまあ、世の中の大半の人には全く関係のない、勝手に記念日にさせてもらっているのだが、2023年2月3日は設立当初の社名だったNeedolから数えて10年目を迎える節目の年だ。
設立手続きをした結果、たまたま節分の日と重なったわけだが、月日を重ねたことを改めて実感する。
そして、自分の家のにある薬箱のように、いつでも役に立てられるものをいうというテーマなので、そこについては間違いなく経験だと言い切れる。
ということで、会社設立10年目を迎えるにあたっての今の心境を書いていこう。
起業のタイミング
私が起業したタイミングと今では約10年の差があるわけだが、環境は大きく変わったように思う。
そもそも、私が起業した2014年2月時点でも、その前に起業した人たちから比べると随分と起業しやすい環境だったように思う。
クラウドでデータは管理できるようになっていたし、SNSもそれなりに生活に溶け込んでいた。
それから、レンタルオフィスやサブスクのサービスも増えており、いわゆるシェアという概念もそれなりに始まっていたと記憶している。
そうなると、オフィスは必要なくPCやスマホがあれば、ちゃんと仕事はできるという環境だった。
そして、正社員として雇用しなくても、クラウドソーシングすることで外注することも可能となり、私が社会人になった当時の環境と比べても随分と変わったと思っていた。
そこから比べても2023年1月現在は、ツールやサービスにかなりの進化があったように思う。
それこそ、日本全国、いや海外にいたとしても仕事ができるようになり、フリーランスという立場の人もより増えたのではないだろうか。
そんな背景もあり、もはや大学生起業家は昔ほどの価値はなく、高校生起業家というポジションもそれだけの価値はどんどん下がっているのが現状だろう。
そうやって考えると、私が起業したのは32歳を迎えていたので、かなり遅い方だったといえる。
30代を終えて想うこと
振り返ると、Needolという会社で起業して、2019年2月にstakに社名変更するわけだが、30代のほとんどをここに費やしたわけだ。
起業したときには全く考えていなかったプランで現在は進んでいるわけだが、30代でやるべきことを私なりに考えてみた。
それは、とりあえず思いついたことは全部やってみるということである。
もっというと、それが20代でできればよりいいのだが、がむしゃらに動くというのはできるだけ若い方がいいということである。
なぜかというと、そのときにやったことは、歳を重ねていくと無駄ではなかったと思えるタイミングが訪れるからである。
これも何度か書いているので、知っている人もいるかもしれないが、私が起業したきっかけは、Retro Market(レトロマーケット)というフリマアプリをつくりたいという想いからだった。
簡単にいうと、メルカリのレトログッズに特化した版だが、結果、頓挫してなにもできずに、ただただお金だけを失うという非常に苦いスタートだった。
そこからは、まあ飯を食べていかないといけないということで、サイト制作、システム開発、Webデザイン系の仕事をもらって食いつなぐという感じだった。
とはいえ、そんなことをするために起業したわけではないという反骨心のようなものはずっとあった。
いわゆる外注で仕事をもらうということは、当たり前だが、クライアントが全てなのである。
今どきこんなデザインにしてもとか、このサイトの導線はとてもわかりにくいと思って提案や指摘をしたとしても、いやこれでいいと言われたらそれを納品すればいい。
それが仕事なのだから、深く考えなければいいのだろうが、私には常にどこか引っかかるものがある。
それは今でこそ積極的にサイト制作のようなことはやらなくなったが、それでもどうしてもと頼まれたら受けることがある場合にも同様に感じることだ。
やはり、自分が想いどおりに描いたものを生み出す方が純粋に楽しいし、枯れた技術やイケてないデザインのものを世に出すことに抵抗があるのである。
そんな葛藤があったからこそ、受託業務以外にも積極的にいろんなものに手を出した。
点と点が線でつながる感覚
フリマアプリ事業、クラウドファンディング事業、地域創生事業、出会い系サービス事業、環境事業などなど、様々な事業をやったのだが、どれも全て中途半端に終わった。
もちろん、1つ1つの事業とは真剣に向き合ったし、上手く軌道に乗せるために必死にやった。
それでも、完全に私の力不足によって、どれも中途半端に終っていった。
けれども、ここ数年において、やってきたことが役に立っていると実感する場面が増えてきたのである。
その昔、スティーブ・ジョブズが点と点が線でつながるといったような発言が今でも名言として語り継がれているが、まさにその感覚だ。
やってきたことが無駄ではなかったというか、そういえばあのときにやったことが活かせるなという場面に出会う機会が本当に増えたと実感している。
つまり、経験こそが全てというのを身を以て痛感しているところだ。
冒頭に述べたとおり、私が自分の家のにある薬箱のように、いつでも役に立てられるものを経験だと言い切れる理由は、まさにここにある。
やっていて無駄なことはないのだ。
ただし、無駄にしないように動き回った結果であるということは忘れてはいけない。
諦めずに、どこか怒に似た感情があって、そのエネルギーの方向がちゃんと自分に向かっていれば、問題なく次に活きているということだ。
自分ややってきたことがなに1つ実らずに終わる人生と、振り返ったときに充実していたと心からいえる人生だったら、どちらを選びたいのかということを訴えたい。
点をとにかくたくさんつくっていくためにも、行動あるのみだ。
走りながら考えるという私が社会人になったときに教え込まれた感覚は、1人でも多くの人に持ってもらいたい。
10年目以降のその先へ
起業してから10年目というのが節目であることは事実だ。
けれども、だからといって特別なにかが変わるわけでもないというのが本音だ。
もちろん、年齢を重ねていることでできるようになっていることも増えている。
一方で、起業してから今後もやり続けたいと心から思っていることある。
ということは、未だに達成できていないこともたくさんあるわけで、無力さを覚えることは当然今でもたくさんある。
ただ、昔のような嫌な焦りがなくなったように思う。
誤解してもらいたくないのだが、スピード重視の感覚がなくなったわけではない。
適材適所でのアクセルの踏み方が上手くなったという表現が正しいように思う。
そして、40代に入り、集大成という言葉を使うタイミングが来たように感じている。
というのも、今まではずっと一緒にやってきた人の方が仕事もやりやすいしパフォーマンスが出せるものだと完全に思っていた。
ところが、それこそが思考停止していたことに気がついた。
周りの人たちには偉そうに思考停止するなということを主張していた私自身が、実は最も思考停止していたのかもしれない。
ということで、2022年の下半期から約半年かけて、大きく体制を変えることに努めた。
今までに未達のことが多いということは、そのやり方が間違っていたと考える方が合理的だ。
10年目を迎えるということは、それだけ無駄に時間を過ごした可能性があることに自分で気づいて、そのことに真正面から向き合うべきだった。
恥ずかしながら、そのことに気づかされた私は大きく舵を切った。
まとめ
2023年2月3日は、stak, Inc. の設立記念日だ。
本日より10年目を迎えることができて、まずはホッとしている。
そして、自分自身に対して、お疲れさまという声をかけたいと思う。
とはいえ、まだまだ道半ばだ。
こんなところで満足していないことは自分自身が一番よくわかっているはずだ。
2023年もすでに1ヶ月が過ぎた。
10年目を終えるときにどうありたいかは、自分が決めて前進あるのみである。
ということで、引き続き、stak, Inc. に少しでも注目していただけたら嬉しい限りだ。
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