甲論乙駁(こうろんおつばく)
→ 甲が論じたことに、乙が反対する意から、結論がまとまらないこと。
議論することは決して悪いことではなく、むしろ議論の場はどんどん増やすべきだ。
そうやってアイデアは生まれていくし、拡がりを持って継続することができる。
ただ、結論がまとまらないというのは良くない。
ここに必要なのは強烈なリーダーシップだと思っている。
我々、stak, Inc. は新たな挑戦として、addcari(アドカリ)というサービスのリリースに向けて日々前進している。
簡単にいうと、エンタメのスペースを世の中に拡げていくことが目的なのだが、エンタメの世界の絶対王者がいる。
それこそ、世界中にファンがたくさんいるが、Disney(ディズニー)だ。
ウォルト・ディズニーの歴史
2023年10月、アメリカのウォルト・ディズニーは創業100周年を迎える。
そんな節目まで約1年となり、2022年9月9日~11日にアメリカのアナハイムで大規模ファンイベントである、D23 Expo 2022が開催された。
本家のディズニー映画はもちろん、ピクサー、マーベル、ルーカスフィルムと傘下スタジオの総力を挙げた100周年プランが明らかにされた一大イベントとなった。
手持ちのお金は40ドルだけ。
1923年、スーツケースに画材を詰め込んで、ロサンゼルスの駅に降り立ったウォルト・ディズニーが、ハリウッドでアニメスタジオを設立した。
それから間もなく100周年を迎えるというわけだ。
世界のエンターテイメントを定義してきたディズニーは、そのポジションを盤石にするため、外部スタジオの野心的な買収をくり返している。
2006年にピクサー、2009年はマーベル・エンターテインメント、2012年はルーカスフィルム、2019年は21世紀フォックス(現在の20世紀スタジオ)をそれぞれ買収している。
その後、買収を活かして様々なコンテンツを新たに生み出しているわけだが、やみくもに外部スタジオを取り込んでいるわけではない。
そんなことをしてしまうと、これまでのディズニー作品との違和感が生じかねない。
実は、ディズニー社内には創業者のウォルト・ディズニーが1950年代の後半に描いた、フライホイールと呼ばれるチャート図が残っている。
ウォルト・ディズニーが描いたフライホイールとは?
ウォルト・ディズニーが描いたフライホイールの中央には、ディズニー映画、その周囲にテレビ、音楽、出版、グッズ販売、ディズニーランドと書かれている。
それぞれの項目を矢印でつなぎ、互いの事業や各作品に影響を及ぼしながら成長や進化に繋げる。
このモデルの成長にふさわしいIPが選ばれ、組み込まれてきたというわけだ。
ディズニーランドの構築に終わりはなく、決して完成することはない。
ウォルト・ディズニーのこの言葉は実際に語り継がれていて、ディズニーランドやディズニーワールドは、スクラップ・アンド・ビルドをくり返している。
例えば、2024年後半にはアナハイムのディズニーランドとフロリダのディズニーワールドに、プリンセスと魔法のキスの新エリアが誕生する。
また、東京ディズニーシーでも新エリアのFantasy Springs(ファンタジースプリングス)が2023年以降のオープンに向けて開発中だ。
アナと雪の女王、塔の上のラプンツェルといった作品の世界観を楽しめるようになる予定だ。
他にも、豪華客船で世界を旅する、Disney Cruise Line(ディズニー・クルーズ・ライン)では、6番目の船である、ディズニー・トレジャー号が2024年に出航する。
さらに、ディズニーは新しい街づくりにも取り組み始めた。
Storyliving by Disney(ストーリーリビング・バイ・ディズニー)は、ディズニーがプロデュースする住宅を含む複合コミュニティー施設だ。
ディズニーランドで経験を積んだキャストがサービスを提供し、健康のためのプログラム、料理教室、セミナー、音楽ライブなども催す。
住宅の一部は55歳以上を対象として、リタイアした人が活動的な人生を楽しめるようにするということだ。
時期は明らかにしていないが、ウォルト・ディズニーがが家族と余暇を過ごしていたカリフォルニア州ランチョミラージュに第1弾を開設し、その後はアメリカ各地に展開するという。
ウォルト・ディズニーという人物像
これほどまでに語り継がれているウォルト・ディズニーの意思だが、そもそもウォルト・ディズニーとはどんな人物だったのか、その生い立ちに迫ってみよう。
1901年、ウォルト・ディズニー(本名:ウォルター・イライアス・ディズニー)は、アメリカぼイリノイ州シカゴで生まれた。
母親は教師、父親は貨物鉄道会社ユニオン・パシフィックの鉄道員で、特に鉄道を生業とする父親の影響により、ウォルトは幼少期から大の鉄道好きだった。
また、ディズニー家はウォルトが幼いころから何度も居住地を移している。
そんな環境で、ウォルトは絵を描くことが趣味となり、いくつもの絵を描きあげている。
様々な自然や動物の絵を描いたことが、後のディズニーキャラクターや自然の描写へと繋がっていくのである。
そして、生粋の鉄道マニアだったウォルトだったからこそ、将来自分が開業するテーマパークに、鉄道を走らせようなどと思いつかなかっただろうといわれている。
ウォルトは、高校生になっても絵を描くことへの熱は冷めず、夜間の美術専門学校に通って絵を学ぶようになる。
若いころから図画などアートにおいて才能を発揮していたウォルト・ディズニーは、19歳で初となるアニメーション作品、ニューマン劇場のお笑い漫画を手がけた。
その後、1923年に22歳となったウォルト・ディズニーは、兄のロイとともに、ディズニー・カンパニーを立ち上げると、アリス・コメディやオズワルドなどのアニメーションを製作する。
オズワルドというキャラクターは、当時のウォルトにとって生命線ともいえるほどの稼ぎ頭となるのである。
ウォルト・ディズニーを襲った悲劇と軌跡
順調かと思われたウォルト・ディズニーに悲劇が訪れる。
オズワルドを巡り、作品配給を担っていたユニバーサルスタジオとの間に金銭トラブルが発生したのである。
たちまち両社の契約は決裂し、ディズニー側はオズワルドの版権および著作権をユニバーサルスタジオに渡さざるを得なくなった。
さらに、このトラブルを引き金にディズニー側で働いていた優秀なアニメーターたちが次々と引き抜かれていく事態に陥る。
ウォルトの描いた夢は、もはや絶たれたといっても過言ではない緊急事態になるのである。
そんな絶望のどん底にいたウォルト・ディズニーを救ったのは、思いがけない小さな生き物だった。
1928年になると、ウォルト・ディズニーはオズワルドに代わるディズニーキャラクターを考案するのだ。
当時、ウォルトが飼いならしたネズミを参考に、みなさんご存知のミッキーマウスというキャラクターを誕生させたのだ。
このミッキーマウスと共に再起をかけて立ち上がったウォルト・ディズニーは、歴史に残る数々の名作を打ち出していくのである。
ちなみに、ミッキーという名前は、ウォルト本人ではなく妻のリリアンが考案した。
というのも、当初ウォルトが考えていた、モーティマーという名前が気に入らないと、ミッキーという代案を出したといわれている。
ディズニーランドの誕生秘話
カリフォルニア ディズニーランド・リゾートを皮切りに、世界中に6ヶ所のディズニーリゾートを誕生させたウォルト・ディズニー。
ウォルトがディズニーパークを手掛けるきっかけは、家族だった。
2人の娘を持つウォルトは、子どもたちを連れて遊園地、動物園、カーニバルなど、よく遊びに行っていた。
ところが、あるとき回転木馬で遊んでいる娘たちを見ながら、自分自身がベンチにポツンと座っていることに気がついた。
そして、なぜ、子どもたちは楽しんでいるのに大人たちが一緒に楽しめないのか、素朴な疑問が湧いたという。
ウォルト・ディズニーは、なぜ親と子どもが一緒に楽しめる場所がないのかを考えた。
それこそが、ディズニーランド計画のきっかけとなったのだ。
こうして、ディズニーランドの建設計画を本格的に始動すると、ウォルトは有能なデザイナーを雇い、パークのコンセプトを考え始める。
実はディズニーランドの開発には、15年以上という長い年月がかかっている。
15年の歳月をかけて、1955年7月18日についにウォルト・ディズニーの念願であった世界初のディズニーランド、カリフォルニア ディズニーランド・リゾートがオープンするのである。
世界初となるディズニーランドの建設を成功させたウォルトは、今度はフロリダ州に広大な土地を購入すると、フロリダ ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの建設をスタートさせる。
けれども、ウォルト・ディズニーは第2のパークの完成を見ることなく、1966年肺がんにより65歳という若さでこの世を去った。
ディズニーランドは永遠に完成しない、世界に想像力がある限り、成長し続けるだろう。
上述したが、ウォルト・ディズニーはこの言葉を残して、その生涯に幕を下ろすのである。
まとめ
エンターテイメント界の絶対王者ともいえる、Disney(ディズニー)と創業者のウォルト・ディズニーについて書いてみたが、いかがだろうか。
この世を去った後にも成長し続けているというのは本当にすごいことだ。
ディズニーのアトラクションの映像やロボットには、実は最新技術が多く使われている。
けれども、ディズニーは技術を見せることを目的にしていない。
来場者に、アトラクションの解説文を見て感心させるのではなく、キャラクターを見て、その瞬間を感じ、その世界やストーリーの中に入りこめることを目指している。
このやり方は、stak, Inc.にとってもヒントであると思っている。
最新技術を見せつけることはしなくていい。
自分たちの実現したい世界にいざない、その世界では実は最新技術が使われているという後づけで十分なのである。
私たちのエンタメも少しずつではあるが、形になっている。
議論をくり返し、少しでも多くの人を魅了できるように引き続き尽力していこう。
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