現状打破(げんじょうだは)
→ 今のあまり好ましくない状態を打ち破ること。
物事が上手くいっている期間というのは本当に短いように感じてしまう。
もちろん、ちゃんとしたデータを取っていないのでエビデンスはないのだが、上手くいっていたと思っていた次の瞬間には、なにかしらやらないといけない課題が出るという印象だ。
stak, Inc.の新たなサービスとして、addcari(アドカリ)というプラットフォームを開発中なのだが、毎日のように議論が生まれている。
なにもないよりは全然いいのだが、この状況がなかなか面白いと感じている。
Z世代というカテゴライズ
Z世代という言葉が浸透したのは、マーケティング業界の力によるものだと確信している。
今からの時代は、Z世代を押さえないと革新的なことはできないと断言するようなメディアに掲載されている記事もあるほどだ。
なぜなら、マーケティング業界もマーケティング業界を存続させるためにマーケティングしなければいけないからだ。
ややこしい言い方になってしまったが、要するに、ボジショントーク的な部分があるということだ。
ファッション業界に似たようなところがあると思うが、マーケティング攻略のポイントとして、常に新しいターゲットを見つけていかなければ自分たちの存在価値がなくなってしまうのである。
もちろん、世の中が常に変化していることはそのとおりなのだが、資本主義社会が基本にある現代では、どこかで流行を生み出さなければいけないという使命がある。
となると、目印になる象徴的な対象を生み出さなければいけないという部分も生まれてくるわけだ。
Z世代という言葉にも、少なからずそういったバイアスがかかっていると最近特に感じている。
というのも、ひとくくりにZ世代といっても様々な人がいて当たり前だろうし、どうもビジネスに無理やり繋げようとしている傾向が強いように思うのだ。
マーケティングやブランディングを基本としているメディアのタイトルを見ても、Z世代発のSNSトレンドレポートとか、Z世代の女性が利用者の7割とか、Z世代注目の商品といった記事で溢れている。
ところが、stak, Inc. には、いわゆるZ世代と呼ばれる人たちも増えてきており、そういった人たちにこれ流行ってるのと聞いてみると、ほとんど首を縦に振ることはない。
こういった状況を目の当たりにすると、余計に無理やりなカテゴライズをした結果が、Z世代なのではと思ってしまうわけだ。
今さら聞けないZ世代ってなぁに?
では、改めて、Z世代の定義を書いてみよう。
確定した定義があるわけではないのだが、一般的には1996〜2015年(平成8〜27年)に生まれた世代が、Z世代と呼ばれている。
年齢にすると、2022年を基準にすると7〜26歳の世代で、ジェネレーションZというカテゴライズされた人たちだ。
また、Z世代はX世代の子どもという位置づけで、X世代とは、1965〜1980年(昭和40〜55年)生まれの42〜57歳の人たちのことを指す。
ジェネレーションXからきているのがX世代で、団塊世代ジュニアという表現をすることもある。
ちなみに、1981年(昭和56年)生まれの私たちの世代は、Y世代と呼ばれている。
1981〜1996年(昭和56〜平成8年)生まれの人たちで、26〜41歳の人たちのことで、ジェネレーションYからきている。
Y世代は、生まれたときからデジタル機器が少なからず家庭にあることで、デジタルに対する抵抗がないということで、デジタルネイティブ世代といった呼ばれ方もする。
Z世代の攻略法
冒頭に書いたが、現在、stak, Inc.は、addcari(アドカリ)というサービスをリリースするために絶賛開発中の状態だ。
そのサービスのコアターゲットが、まさにZ世代というわけで、どうすればZ世代に刺さるかといった議論を連日している。
とはいえ、Y世代の私が考えたところで少なからずジェネレーションギャップは生まれるだろうということで、Z世代と呼ばれる人たちをアサインしている。
20代前半だったり、大学生の知恵を拝借しているというわけだ。
そんな世代とやり取りをしていて、最近こんなことがあった。
それは、addcari(アドカリ)で使うサービス用に映えるエナジードリンクをOEMで生産してはどうかという私の提案だ。
すでに流行ったものもあるが、パッケージが透明で中身が見えるカラフルなドリンクはインスタ映えするので、UGC的にもいいだろうという狙いだった。
それを大学生たちに伝えてもらうと、そんなのでサービスを使いたいとは全く思わないと一蹴されたと報告があった。
つまり、カラフルであればインスタ映えするだろうといった単純なロジックが、いつでもZ世代に刺さると思うなよというオジサンへのメッセージだったというわけだ。
これには苦笑するしかなかったわけだが、確かにおっしゃるとおりだと思ったのである。
私が、私たちがZ世代と呼ばれている世代だったころ、最も嫌ったのが大人と呼ばれる人たちに強要されたようなカルチャーを受け入れることだったはずだ。
大人に対する反骨心というか、自分たちが流行を生み出しているという社会への抵抗というと大袈裟かもしれないが、自分たちが中心でいなければいけないという大切なことを忘れていた。
もはやわからないから任せるしかないというのが、私が出した結論だ。
ただ、とはいえ闇雲になんでもかんでもやっていては、ストーリー性もブランディングもできないので、なにかしらのロジックは確立したい。
そして、それをノウハウとして貯めていくことができれば、とてつもなく資産になることも事実だ。
ということで、ヒントというか、一定のワード的なものを決めて、それを使ったアイデアをZ世代の人たちに委ねるという手法を取ることにしている。
ある意味で投機的なところはあるのだが、なんだかんだで最速で最短なマーケティングおよびブランディングな気がしているのである。
マーケティングという言葉に踊らされないこと
改めてまとめていくが、マーケティングとかブランディングというものは、実はかなり抽象的な概念であることを再認識する必要がある。
くり返しになるが、マーケティングやブランディングという言葉を確立し続けるために、ポジショントーク的に流行を生み出している、つまり仕掛けている側の存在があるということだ。
なにかを始めようとしたときに調べるという行動をする人がほとんどのはずだが、これだけ簡単に誰もが情報にアクセスできる時代では、大量の情報が出てくる。
そこには、一見、Z世代を攻略するためのヒントのような記事が溢れているが、現実とのギャップが少なからずあるということだ。
もちろん、情報としてインプットすることは大切なのだが、アウトプットするときに一度深呼吸をした方がいい。
インプットした情報をそのまま鵜呑みにして、Z世代とはこういうものだと決めつけて、そのままを他の人にアウトプットするという言動は非常に危険だということだ。
なぜなら、あなたはメディアの記事に踊らされているにすぎない場合もあるからだ。
まとめ
Z世代という言葉について、私なりの考え方を述べてみた。
よくよく考えると、7〜26歳をZ世代というということが、もはや強引だとは思わないだろうか。
7歳の小学生と26歳のいい大人が同じ感覚のはずもなく、ましてやこれだけテクノロジーの進歩が著しい時代だ。
7歳の小学生が成人する頃には、2022年のことなど遥か昔のことだろうし、もっと細かくカテゴライズしなければマーケティングできない時代がきているはずだ。
すでにあらたな表現方法も出てきているが、さらに細分化されて、新たなカテゴリがたくさん生まれていくことは間違いないことを宣言しておこう。
【Twitterのフォローをお願いします】