管鮑之交(かんぽうのまじわり)
→ 利害を超えた親密な友情のこと。
親密な友情というのは、そもそも利害を超えているのではないだろうか。
というのが私の意見である。
利害を考えている時点で友情ではないと思うし、親密ではないという考え方だ。
全く下心がないというのはあり得ないかもしれないが、そもそも根本のところに利害を考えている時点で親密になれるだろうか。
そもそも、そんなことを考えている時点で友情は生まれないはずだ。
ただ、ビジネスにおいては友情という概念は邪魔になることも多い。
利害がないことの方がむしろ悪というか、誰も幸せにできない場面が増えるのも事実だろう。
友情という言葉を聞くと想い出す曲
誰もが想い出の曲というものを持っているものだ。
ジェネレーションギャップを感じるといわれるかもしれないが、私の場合の友情という言葉を聞いて想い出す曲を紹介しよう。
※ クリックすると音が出るので要注意
このタイトルを聞いてわかるという人は、同世代の人ということになると思うが、知らない人のために紹介していこう。
1998年5月21日に発売された、Dragon Ash(ドラゴンアッシュ)の2枚目のシングルだ。
私は高校生真っ只中というときで、当時のDragon Ashは絶大な人気だったことを覚えている。
私や私の周りの友人たちの多くも同様に虜にされて、よく聞いていたしカラオケに行けば聞かない日はなかったように思う。
そんな、Dragon Ashの曲の中でも、この日はまたのぼりくりかえすは別格といっても過言ではないほどに記憶に残っている。
改めて聞いても、独特のリズムと歌詞が本当にいいなと思ってしまう。
この曲が訴えていることは、日常に流され、蝕まれていかないように、軌道修正して立ち向かっていく姿勢をみせようというものだ。
心に刺さる歌詞
せっかくなので、アオハルの曲をもう少し深堀りさせてもらおう。
この曲は、現代社会には嘘と本当が入り混じった情報が紛れていて、そこに様々な人の意思と価値観が加わることで、少し気を抜くと自分を見失ってしまうことを序盤に訴えている。
ただ吸い込む空気さえも むしばまれそうな時代で
それでも何かをさがして 夢を見つづける人もいたりして
そんな感覚をむしばまれそうと表現し、時代に流されることなく、自分が信じたものをを守りながら夢を追い続ける人たちがいる。
そんな人たちがどれだけ苦しい思いをしているのかということを訴えている。
生まれながらに持ち合わせた結晶
多くの場合それは勲章
生きることに誇りを持ちつつ
少しづつすり減らして紋章消耗
やがてそれがなくなったときに
そう
真価を問われることになるこの瞬間
裸一貫
さぁ目を開けてみる
日々それは待つことを知らないロケット
偶然生まれたとしても、自分が生まれたことを誇りに思っていい。
でも、生きていくことは大変で大人になると理想と現実にギャップが生まれていく。
自分が守られていた世界で生きていたところから、世の中に出ていったときに夢や目標を諦めていってしまう。
そんなときにこそ、真価が問われる。
裸一貫の自分の中の真の実力が試されるときだということである。
そんな自分の実力のみで挑戦しようとする姿は、宇宙という果てしなく続く未知の世界へ飛び立つロケットのようだと表現している。
すぐに乗り込もうとするのではなく目で見て耳かっぽじってきけ
陽はまたのぼりそして繰り返す
寝ぼけてるひまなどない今だDive!
でも、そんな自分で試すチャンスが来てもすぐに乗り込もうとするな。
自分の目で見て、耳をかっぽじって聞いて本当のチャンスか否かを見極めろ。
ただ、陽はまたのぼりそしてくりかえす。
つまり、月日は刻々と過ぎていくので、寝ぼけている暇はない。
チャンスだと思えば飛び込め。
要するに、真のチャンスを見極めるための力を身につけ、チャンスが来たら乗り遅れてはいけないということだ。
「陽はまたのぼりくりかえす」の最も盛り上がるところ
さあ窓を開け僕はただ手を振るよ
さあ外へ出てもう少し歩けばいい
陽はまたのぼり繰り返していく
僕らの上を通り過ぎてく
生き急ぐとしてもかまわない
理由がいる人は残ればいい
この歌詞の部分が最も刺さる箇所なのだが、曲調も一気に変わって心に残るところだ。
どんな状況であっても、自分のペースでいいから行動を起こしていこうというメッセージだ。
くり返し出てくるフレーズ
Friends clap your hands put your hands in Air!
友よ、手を天に掲げて打ち鳴らしてくれといったところだろうか。
くり返し出てくるこのフレーズは、共感を生むために呼びかけているところだ。
みんなで手を天に掲げて盛り上がろうという意思表示とも受け取れる。
そして最後は、飛べるのに飛ばないよりはいいという言葉で締めくくられている。
後悔するくらいなら、挑戦した方がいいという投げかけだろう。
まとめ
久しぶりに聞いた曲を今の自分ならどう読み解くか、独断と偏見で書いてみた。
17歳だった当時の自分にはよく理解できていないというか、Dragon Ashのオーラや単純に曲調が心地良いという理由だけで聞いてきた曲だったかもしれない。
とりわけ、Friendsというワードがアオハルには激刺さりだったわけで、カッコいいという形容詞が最上位にあった時代だ。
でも、そんな曲が40歳を迎えても心に残っていて、大人になった自分が解釈してみるという時間を生み出している。
これが音楽の力で、いつの時代にも誰にでも想い出の曲というものがあるのが、実に興味深く面白い。
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