美談にされやすい成功は本当の成功なのか

2022-01-17 投稿: 植田 振一郎

轗軻不遇(かんかふぐう)
→ 才能はあるのに境遇に恵まれないこと。

才能はあるのに境遇に恵まれないことという、この言い回しに対しては少々疑問が残る。

確かにそうだと思う一方で、恵まれた境遇にいるから才能が生まれるのではないかと思うのである。

これは教育に繋がるところで、幼少から才能を生みやすくする境遇にいさせるべきだというのが持論だ。

歳を重ねていくと、様々な場面で子どもたちに触れ合うことがある。

そんなときつい考えてしまう、なかなか壮大なテーマだ。

美談とされる成功に対する疑問

メディアで報道されたり、大々的なバックアップがつきやすい美談がある。

例えば、とても貧しい生活で大変だったけれども成功したとか、昔は悪かった、いわゆる不良だった人が更生をして成功するといったものだ。

そのギャップが物語にしやすいからだと思うが、まあまあ存在する美談である。

もちろん、そうやって世間一般的に成功を収めた人は素晴らしいし、そういった人たちが世の中のためになったり、影響を受けた人たちが成功していく姿は美しい。

けれども、そもそも最初から頑張っている人もいるし、成功が当たり前だと思われている人たちも多々いることに注目をして欲しいという主張だ。

確かに弱者や弱い部分をさらけ出していた人が一気に成功という山を登っていく姿は物語にしやすいしダイナミックに見える。

脚色もしやすいし、非日常だけれどもわかりやすい共感を得られるので、拡散もされやすい。

まあ、成功が確約された状態の人を追いかけたとしてもなにも面白くなく話題にもならないので理解はできる。

言い方は悪いかもしれないが、そもそも成功というところからは遠ければ遠いほどギャップが生まれる。

そのあたりを巧みに利用した戦略がこの美談を生み出す方法なのである。

必要のない苦労や避けることのできる失敗は不要

苦労は買ってでもしろということを聞いたことがある人も多いだろう。

美談とされる成功に対する疑問を投げかけたが、ここにも疑問がある。

しなくてもいい苦労はしない方がいいに決まっている。

失敗は成功のもととかいうけれども、できるだけ失敗を避けて通れた方がいいに決まっている。

それを簡単に成功をするようなことがあってはいけないと、あまりにも刷り込まれているように思うのである。

物事を成し遂げようとすれば、うまく行かないことばかり起こる。

そこでは少なからず苦労をしたり、失敗が起きる。

それをあえて苦労や失敗に突っ込んでいく必要がどこにあるのだろうか。

すべてに全力でぶつかっていくのは、一度しかない人生の中で大切な時間を無駄に浪費してしまうことに繋がる。

それであれば、できるだけ最短距離でたくさんの経験を積む方がいい。

最短距離で豊かさを手に入れる方法

まず、私自身がなにも成し遂げていない立場であることは、先に述べておこう。

それでも、豊かさを求めていることは事実だし、実際に私が思う豊かさを手に入れている人たちをみて思うことがある。

それは、いい環境に自らの立場を置くということだ。

いい環境、いい境遇にいることができれば、周りにいる人たちのレベルが圧倒的に高い。

となると、ノイズとなるような人たちとの接点が少なくなるので、自ずと意識が高い方に向くということだ。

これは別にいわゆる弱者と呼ばれるような人たちを否定しているわけではない。

そういった人たちが世の中にいることは理解できるが、そこに行く必要がないということで、そういった人たちを助ける立場になるためにも、レベルの高いところに行く方がいいということだ。

そのためには、そもそもその人に才能が備わっていることもあるだろうが、才能を生み出すことができると思っている。

私は教育というのはある程度のメソッドで成り立っており、教養というのは近くにいる仲間たちによって培われると考えている。

それが、上手く重なり合ったときに意思の強い自分というものが根本にできあがり、周りを巻き込んでいくことで豊かさに繋がるのではないだろうか。

レベルの高い教育環境について

結論、進学校に進むことは、やはり教育にとってはいいことだと思う。

けれども、ただただエスカレーターで上がっていく進学校を選ぶというわけではなく、要所要所で勝負をしなければいけない環境に身を置くことが重要だと考えている。

男子校や女子校がいいのか、はたまた共学がいいのか、場所は都会がいいのか、地方都市の中でのNo.1進学校がいいのかといった様々な選択肢も生まれる。

そのあたりはよく考えて子どもたちの進路を考えていく必要があると思う。

けれども、親ができるのはせいぜいそこまでで、そこから先は子どもの周りにできる友達の意識が大きく人間形成に関わってくるはずだ。

その子自身の根本にある芯の部分も大切だが、もっと大きな世界観で成長している友達が周りにいたらどうなるだろう。

それが当たり前になってくるのだから、当然刺激を受けて大きな世界を見るようになる。

そもそも、根本にある先生が教えてくれる質の高いメソッドでの教育を受けているところに加えて、歳の近い仲間たちから教養の部分も手に入れることができる。

これが、真の意味でのレベルの高い教育環境なのだと思っている。

まとめ

時代は常に進化しており、グローバル目線で見ると、世界はどんどん狭くなっている。

ということは競争力を手に入れていかなければ、どんどん豊かさに限界が生まれてしまう。

私は勝手にここを危惧している。

豊かさを手に入れるためには、何十年も変わっていない教育を受けるよりも、レベルの高い教育を受けた方が絶対にいい。

メディアやマスコミが作り上げた美談に洗脳されるのではなく、自らを高みへ置くことで豊かさが変わる。

そんな場所へは簡単に行くことはできないかもしれないが、そもそも行こうという意識と実行力がなければ、いつまで経っても傍観する側にいることになる。

そんな人生で本当にいいのか、自分に問うてみて欲しい。

 

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