自由は不自由の中にあるという矛盾

2022-01-15 投稿: 植田 振一郎

間雲孤鶴(かんうんこかく)
→ 何の束縛も受けず、悠々と暮らすこと。

最近、YouTubeなどの広告として、誰でも簡単に稼げるとか、副業で高収入的なものが増えたように思う。

Googleがいくらその人にできるだけ関連の近い広告を出すようなアルゴリズムを組んでいたとしても、その類の広告があまりにも多いように思う。

他にも先月はいくら稼ぎましたとか、稼ぐためのセミナー的なものも多く、その共通点から読み取れるのは、いかに楽してお金を稼ぎたいと思っている人が多いのかということだ。

結論から言うと、楽してお金を儲ける方法などないということは、今一度大きな声で主張しておきたい。

お前は誰だという立場なのは百も承知で、そんなヤツの主張に対する説得力は皆無かもしれないが、それでも声を大にして言いたい。

楽してお金を儲ける方法などない。

あなたはなぜ働いているのか

そもそも、多くの人はなにも考えずに行きているということをしばしば感じる。

これは今に始まったことではないが、目標を持たずに、なんとなく日々を過ごしているという人は本当に多い。

なぜそれを思うかというと、自分の仕事なのに自分には関係ないという印象を受ける人が多いからである。

責任感とか全く感じられず、ただただ流されながら仕事をしているという人だ。

たちが悪いのは、そのことを本人がわかっていないことにある。

とはいえ、すべての人に目標を持つこと、責任を持つことを主張しているわけではない。

あなたはなぜ働いているのか。

ただただ毎日が過ぎ去っているという人は、一度立ち止まって自分のことを見つめた方がいい。

所詮、他人は他人で、最後に決断を下すのは自分自身だ。

周りは自分のことなど見ていないし、あなたがどうなろうがどうでもいい。

そう、自分自身が向かう場所を決めて、そのために日々もがきながらでも進んでいくことが働くということだ。

自由を手に入れたいという妄想

つい先日もくだらない話をされた。

自由になるためにはいくらのお金が必要だと思うかという質問だ。

これ系の話は誰もが一度はしたことがあるのではないだろうか。

そこで、10億円とか100億円とかいう話になっていくのだが、そもそもの前提が崩壊しているのである。

それから、誤解を恐れずに主張するが、この質問に関して答えた金額を本当に手に入れる人は、まず現れないだろう。

天文学的数字の当たりが入っている宝くじを当てたり、資産家との結婚など、可能性はもちろんゼロではない。

けれども自分の力で答えた金額のお金を手に入れることはできないと思っている。

その理由は単純で、自由になるためにお金は要らないからである。

自由という概念

こう書いてしまうと、逆説的で少々ズルいかもしれないが、自由になるためにお金が必要だと考えていることが根底にある質問自体が論外なのだ。

なにをやりたいのかを決めて、それに向かって前進あるのみというのが自由を手に入れる方法なのである。

私の周りには、世間一般でいうお金持ちという人がいる。

その中にはずば抜けてのお金持ちもいるが、そこそこのお金持ちもいて、そのレンジは広い。

ただ、共通していえることがある。

それは、理想としていた自由は大して続かないということだ。

理想としていた自由とは、毎日なにもせず、美味しいものを食べてそれこそ悠々自適に過ごすという、誰もが想像できる範囲の自由だ。

それを手に入れた人のほとんどが、1〜2年経つと飽きたというのだから面白い。

もちろん、様々な環境はある。

環境が違うのに同じように手に入れた自由に対して不満とまではいわないまでも、その状況に100%満足しているかというとそうでもなかったりする。

不自由の中にある自由

自由を手に入れるために、頭を働かせて、自分がとにかく動いて、限界になると自分以外の人に協力してもらって不自由な時間を過ごしてきた。

その先に、ある程度、自分がなにもしなくても回る仕組みができたとする。

そこを目標にしてきていたにも関わらず、その地点に到達すると、ジッとしていられなくなる。

不自由な時間は決して楽なものではない。

自分がやりたくないことをやったり、思っていたとおりにならないことも多い。

それを抜け出すために必死になって動き回ってきて、ようやくそこから開放されたのに、不自由な時間が大きな存在となっている。

その理由について考えてみる。

それは、不自由な時間の中には充実した時間が多く流れていて、自由な時間にはなにも残らない時間が多く流れているからである。

人は充実した時間の中にこそ、達成感や満足感が得られるもので、なにもないところではなにも感じない傾向があるということだ。

そう、自由とは不自由な時間の中に実はあるということなのである。

1日を大切にして欲しい理由

私には姪っ子が4人いるのだが、一番年上の姪っ子は今年で小学校を卒業する。

冬休みに会ったのだが、別れるときの最後の会話が妙に残っている。

あと少しで小学校卒業だねという話をして、あっという間だったでしょと私が投げかけた。

姪っ子は、間髪入れずに長かったよと答えた。

なるほど、この感覚が40歳を超えた人間と10代が始まったばかりの人間の差なのだと納得したという話だ。

年齢若ければ若いほど、1日は長く感じるというのはまんざら間違っておらず、まだまだ先のある人間は時間に余裕がある。

けれども、私も別に歳を重ねていると特段感じているわけではない。

確かに年齢は40歳なのだが、そんなに歳を取っているという実感がないということだ。

気づいたら40歳になっているけど、20代や30代の頃とあまり変わっていないという感覚なのだが、こういう感覚を持っている人は多いように思う。

といっても、確実に歳は重ねているわけで、平均寿命や健康寿命を考えたときに、人生の折返しを迎えている可能性は高い。

そう、残された時間は少ないということだ。

まとめ

2022年もまた同じことを書くが、人生において最も価値の高いものは時間である。

なによりも大切なものは時間だ。

でも、その時間は自由を求めて手に入れたはずの時間よりも、不自由だと感じていた時間の方が充実していたと感じたりする矛盾があったりする。

だからこそ、自分の時間をどう過ごすしていくことが豊かなのか、終わりを告げるときに良かったと心から思えるのか、立ち止まって考える時間を大切にしたいし、して欲しい。

 

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