過猶不及(かゆうふきゅう)
→ 度を越したものは、至らないものと同じであるということ。
やり過ぎるのは、控えめ過ぎるのと同じようなもので、どちらも十分ではないという意味らしい。
要するに、バランスが重要だというようなニュアンスなのだろう。
ただ、この表現に対してはちょっと疑問だ。
というのも、私は度を越すくらいのことをやらないとダメだと思っているからである。
控えめすぎるのは論外で、どうせやるならやり過ぎなくらいにやらないと意味がないというのが持論だ。
やらなくてなにも残らないよりは、短命でもやり過ぎて歴史に名を刻めた方がいいというロジックである。
やり過ぎが悪くない理由
私は10代を広島で過ごし、10代の最後に東京へ行くことを選択した。
大学生という身分を手放さなければいけなくなった後、社会人となるわけだが、社会に出てから感じたことがある。
特に夢や希望があって上京したわけでもなく、大学を卒業する頃もなにかをやらなければいけないという気持ちの方が強かったが、具体的にやりたいことはなかった。
大学在学中に弁理士試験へ挑戦をしたのだが、それも中途半端な気持ちもあったせいか、不合格に終わり社会人への道を進むことになる。
そのきっかけは、自分の好きなことをしながら生きていこうという漠然としたものだった。
全くなにも考えていたわけではないが、自分のやりたいことを見つけて起業することを夢見ていた。
そして、株式会社ティーケーピーという今や貸会議室業界のリーディングカンパニーに入社した。
今はベンチャー企業というよりもスタートアップと呼ばれることも増えているが、まさに創業間もない頃に入社した。
結果、そこで過ごした日々はとても刺激的だったし、今に繋がっていることが多いのも事実だ。
その頃に出会った敬意を抱いてきた人や影響を受けた人たちからの言葉は今でも鮮明に覚えている。
冷静になって考えると、そういう人たちは、どこかやり過ぎている部分が必ずあるという共通点がある。
勘違いして欲しくないが、このやり過ぎという部分に関しては、悪い意味ではなく完全に良い意味である。
私が影響を受けた言葉たち
くり返すが、やり過ぎというのは、良い意味で徹底しているという意味だ。
成功した金持ちはケチだとかいう人も多々いるけれども、こういう発言をする人は大抵が中身のないペラペラな人間であることが多い。
そもそもの見ている世界や価値観が違うので、交わることはない。
となると議論する余地もないのだが、挑戦している人たちは純粋にカッコいいし憧れた。
もちろん今でもそういう人たちに憧れを抱くし、そういう道を選ぶ人が増えて欲しいという気持ちもある。
2022年、自分自身も大きな勝負をしようと決めて早速いろいろと動き始めている。
そんな中で、改めて自分自身を奮い立たせる意味でも、私が影響を受けてた言葉たちを紹介していこう。
走りながら考えろ
ベンチャー企業は止まって考えている暇はなく、走りながら考えるというスピード重視を意識するように言われた言葉である。
スピード重視という言葉は多く使われているけれども、意思決定のスピードや激動が感じられるのはベンチャー企業、スタートアップの醍醐味でもあることは経験するしかない。
1年後に1年前と同じ仕事をしていたら成長が止まっている証拠だ
常に新しいことをしていくことで己自身が成長していくということを意識させられた言葉だ。
同じ仕事をやっているということが悪いという意味ではない。
自分自身が高みを目指したいのであれば、新しいことに常に挑戦する気持ちだけでなく、現状がそうなっているかをしっかり確認する場を設けた方がいいということだ。
現状維持を考えると業績は必ず下がる
現状維持というのは、あくまで結果であって、そもそもの目標値を現状維持に設定すると必ず下回るという言葉だ。
高い目標を設定する、成長曲線を描くことの大切さを頭に刻まれたことを記憶している。
自分の利益だけを求めるなら最低限のことしかやらない
組織化することの大切さ、大きなことをやり遂げるためには自分でやることを決めなければならない。
トップしかできない仕事をして、自分じゃない人でもできる仕事はどんどん任せるということだ。
そうすると、基本的には売上は上がるが利益率は下がる。
自分だけが金持ちになろうと思えば、小さく目立たずにやった方が圧倒的に公立がいい。
けれども、利益率が下がることはデメリットだけではないという深い言葉だ。
本当の会社をやっている人があまりにも少ない
この意味は正直起業しなければ絶対にわからなかった言葉だ。
今もまだ言いたいことがわかるような気がするレベルで、ここは私自身がもっと大きくなって初めて確認ができることだと思っている。
ここの答え合わせをする意味でも、私は前進することを選ぶ。
まとめ
ビジネスの場面では、0を1にすること、つまりゼロからイチを生み出すことについて議論されることがある。
1を100にすることよりも、0を1にすることの方が重要視される。
その理由は簡単で、0を1にすることができる人が世の中には圧倒的に少ないからである。
シリアルアントレプレナーという言葉を知っているだろうか。
日本語訳されると実にダサい呼び方だといつも思ってしまうのだが、連続起業家とされることが多い。
サスティナブルとか、そういうバズワード的な言葉が出てくると、強引にでも日本語訳をしようとする傾向があるが、ナンセンスだ。
そのままの言葉を使えば変換するという無駄な工数もかからないのにと思う。
話が逸れた。
日本でもシリアルアントレプレナーと呼ばれる人たちがもっと増える環境になれば、グローバルで戦える人たちが増えるはずだ。
それから、必ずゼロをイチにすることはできないのがまた面白いことだ。
ゼロをイチにしたことがある人がまた新しくなにかをゼロから始めるときにイチにすることができるとは限らないということだ。
もちろん、圧倒的に初めてゼロからイチにすることに挑戦するよりは確率は上がるのは間違いない。
けれども、100%成功させられるということはなく、だからこそ人生は何度も挑戦する価値があるということの裏返しでもある。
せっかくなら、一度きりの人生でゼロをイチにする経験を味わってみた方が豊かだと感じれると思う。
その経験はなにも自分がトップとして起業する場合のみ味わえるわけではなく、そういった環境にいることも含まれる。
ベンチャー企業、スタートアップにはそういった他では味わえない醍醐味がある。
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