横眉怒目(おうびどもく)
→ 横眉は凶悪な眉、怒目は怒った目つきの意で、怒った顔つきのこと。
感情に左右されると冷静な判断ができなくなる。
冷静な判断を失うと、犯罪に繋がるようなトラブルも多く生まれる。
そして、犯罪の中でもより凶悪な犯罪へと繋がっていく。
ということで、日本国内で行われた凶悪犯罪事例を挙げてみよう。
かなりハードな内容になっているので、気分が悪くなる人もいるかもしれないので、読み進めるのは要注意である。
常識では考えられない凶悪犯罪
第10位:東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件
1988年と1989年に発生した殺人事件である。
犯人の宮崎勤は、4人もの幼女を殺害したにも関わらず、一貫して無実を主張していた。
宮崎勤は、元々幼女に対する執着が強く、成人女性よりも幼女に興味があったとされる。
無罪を主張したもの、宮崎勤自身の精神的な疾患は見当たらず無かったことから、死刑が決定し、2008年6月17日に死刑執行されました。
第9位:秋葉原通り魔事件
2008年6月8日、秋葉原で起きた通り魔殺人事件である。
歩行者天国となっていた秋葉原にトラックでツッコミ、凶器を使って見境なく襲い掛かり、7名の方が亡くなられ、10名の負傷者も発生した最悪な事件となった。
メディア等では、秋葉原無差別殺傷事件と呼ばれることが多い。
犯人である元自動車工場派遣社員の加藤智大死刑囚は、犯行日の2008年6月8日早朝からSNSで犯行予告を書き込むと、事前にレンタルしていた2トントラックのいすゞ・エルフに乗り、秋葉原に向けて走らせた。
同日12時30分頃に秋葉原に到着した加藤智大死刑囚は、当日が歩行者天国であり人が溢れているところを狙ってトラックを突っ込ませ青信号で横断中の歩行者5人を跳ね飛ばした。
トラックがタクシーに衝突して停車すると加藤智大死刑囚は車から降りて、撥ねられて道路に横たわっている救護者や通行人、警察官など17人をダガーナイフで次々と殺傷。
犯人の加藤智大は、厳格な家庭で育ち、特に母親からスパルタ教育を受けていました。劣等感が強く、自身の容姿に対しても否定的な考えを持っていたそうだ。
そういった気持ちが強くなっていったことで、愛用していたインターネット掲示板で犯行を予告し、現実のものとなってしまった。
第8位:相模原障害者施設殺傷事件
2016年7月26日、知的障碍者福祉施設の津久井やまゆり園で発生した凶悪事件である。
19名もの被害者が殺害され、第二次世界大戦以降の日本において、戦後最悪の殺人事件と報じられている。
犯人の植松聖は、以前は津久井やまゆり園に務める職員だった。
幼少期は優しい性格だったそうだが、大学に進学してから大麻に手を出すなどの反社会的行為に手を出し、善悪の基準もずれてしまったとされる。
津久井やまゆり園に勤務時も、入居者に対する罵倒・暴行を繰り返しており、それが理由で解雇。
津久井やまゆり園での勤務を通じてなのか、植松聖は障がい者は皆殺しにすべきとの持論を持つようになった。
そして、津久井やまゆり園に入居する19名もの命を奪ったのである。
印象的なのは、逮捕された当時の植松聖は、笑顔を見せるというまさに狂気そのものであった。
第7位:附属池田小学校事件
2001年6月8日に大阪府池田市で発生した大量殺人事件である。
大阪教育大学附属池田小学校に通う生徒中心に襲われ、学校の安全対策が見直されるきっかけになった事件だ。
15名もの命を奪った宅間守は、幼少期からトラブルを起こす問題児だった。
自分より強い人間には下手に見られ、自分より弱い人間に対してはいじめなどを行う、典型的な小物であったそうだ。
成人してからは、職を転々とする生活を送りつつ、残酷な事件も起こしていた。
自業自得で精神的な病も患ったようだが、自分より弱い人間に対する威圧的な志向は変わらず、事件の際も子供を中心に狙った。
事件の裁判中、被害者遺族の前で宅間守は、地獄でもお前らの子供しばいたるといった卑劣な言葉を残し、謝罪の言葉を口にししなかった。
そして、2004年9月に死刑が執行されるまで、遺族へ謝罪は無かった。
第6位:江東マンション神隠し殺人事件
2008年4月18日に東京都江東区のマンションで発生。
マンションにいたはずの被害女性が行方不明となったことからその姉から捜索願いが出された。
マンションの監視カメラに映っていないばかりか外出した形跡も見当たらなかったため、神隠し事件として報じられた。
犯人の星島貴徳受刑囚は被害女性と同じマンションの住人であり、2008年4月18日の夜に被害女性を性奴隷にするために帰宅を待ち伏せしており、帰宅直後に部屋に侵入。
被害女性が騒いだため星島貴徳受刑囚は被害女性の頭部を強打して気を失わせ、自室に連れ帰って縛った上で寝かせた。
被害女性の姉がすぐに捜索願を出したところ警察が捜査を始めたため、星島貴徳受刑囚は発覚を恐れて被害女性の首を包丁で刺して殺害し、解体して遺棄し始めた。
星島貴徳受刑囚は女性の四肢切断に異常な執着を見せる異常者であり、被害女性を殺害後にのこぎりと包丁2本で遺体をバラバラに切断して冷蔵庫やベッドの下、ダンボールなどに隠していた。
星島貴徳受刑囚は警察の捜査に協力する振りをして、大胆に遺体の一部が入ったダンボール箱を示すなどしたため、警察は油断して犯人とは思わずダンボールを調べることはしなかった。
その後、星島貴徳受刑囚は遺体をトイレに流したり、出勤する際にゴミ捨て場に遺棄するなどして5月1日までに半月あまりで全ての遺体を遺棄。
ところが、被害女性宅に星島貴徳受刑囚が侵入した際の指紋が検出されたことから逮捕に繋がる。
下水管などの捜索から遺体が見つかりDNA鑑定の結果被害女性と一致したため星島貴徳受刑囚が犯人として確定し、無期懲役の判決が下りましたが獄中で自殺した。
第5位:闇サイト殺人事件
2007年8月24日に起きた、インターネット上の闇サイトの闇の職業安定所で知り合った3人の加害者らが当時31歳の会社員女性を金銭目的で拉致して残虐な手口で殺害した身勝手極まりない凶悪事件である。
主犯格の神田司死刑囚(2015年6月25日に死刑執行済み)、堀慶末受刑囚、川岸健治受刑囚、はインターネット上にある前科者が犯罪を共謀する社交の場となっていた闇サイトの闇の職業安定所で知り合う。
3人はお互いに面識はありませんでしたが金品を奪う目的で犯罪計画を練り、当初はお金持ちの男性を自宅まで尾行して襲い、金品を強奪する予定でしたが計画がうまくいかず頓挫したことから若い女性にターゲットを変更。
3人は若い女性なら簡単に拉致できる上に強姦もでき、問題があれば簡単に殺せてしまうことから若い女性を物色し始める。
名古屋市千種区春里町の地下鉄本山駅から数十メートル先にある自宅に帰宅しようと被害者女性は夜道を一人で歩いていたところ、3人が道を尋ねる振りをして被害者女性を車の中に引き込んで拉致。
被害者女性に手錠をかけて財布から6万2千円を奪う。
そして、落ち着いてキャッシュカードの暗証番号を聞き出すために人気の無いところを探して、愛知県愛西市佐屋町西新田の屋外駐車場に移動。
3人は被害者女性の太ももに包丁を突き立てる振りをしながら脅し、キャッシュカードの暗証番号を聞き出そうとするが、被害者女性は咄嗟に嘘の番号を教えた。
このキャッシュカードの銀行には母親といずれ一緒に住むためのマイホーム資金が800万円ほど預金されており、なんとしてでも奪われるわけにはいかなかった。
被害女性は幼少期に父親を亡くしており、母親がひとりで育て上げてくれたことに恩返しするために貯金していたお金だったのである。
2人が被害女性を強姦しようとしましたがひとりが目的を履き違えていると指摘して止めさせるも、女性が逃げたい雰囲気を出していたことからバレる前に殺そうと提案して用意しておいたロープで首を絞める。
同時にハンマーで頭を5回殴り、被害女性の顔を粘着テープで31周グルグル巻きにして窒息させようとした。
それでも脈があると知った男たちはハンマーで4、50回ほど殴りつけて、ロープで首を締め上げて殺害。
第4位:市川一家四人殺人事件
1992年3月5日に発生した日本犯罪史上でも類を見ない事件で、千葉県市川市で発生した凶悪事件である。
当時19歳だった少年による事件で、市川市に住む一家が犠牲になった。
当時15歳だった被害者少女を強姦し、その家族を全員殺害するという世間を戦慄させるような悲劇だった。
関光彦死刑囚がこの凶悪な事件を起こしたきっかけは暴力団から要求されていた200万円を工面するため。
事件を起こす前年に関光彦死刑囚は別の事件も起こしている。
車の運転中に前の車のスピードが遅かったことからその車を強引に停めさせて、当時36歳の被害者男性が車を降りるといきなり複数回殴りつけて、長さ112センチの鉄筋で滅多打ちにしたのである。
関光彦死刑囚はこのように非常に暴力的な人間で、その後フィリピン人ホステスを自宅に連れ込んで暴行。
このホステスは暴力団員の女であったことから関光彦死刑囚は暴力団に追われるようになり、ついには捕まって落とし前として200万円を要求される。
関光彦死刑囚はむしゃくしゃしており、路上を歩いていたOL女性をいきなり暴行したり、女性を拉致して船橋市本中山の自宅アパートで強姦していた。
強姦から約22時間後に、当時15歳で県立高校に通っていた被害者少女は勉強していたが、シャープペンシルの芯を買うために近くのコンビニに自転車で向かった。
そこにちょうどクラウンを運転していた関光彦死刑囚が通りがかり、強姦しようと思い立って自転車の後輪に車をぶつけて被害者少女を転倒させる。
そして、関光彦死刑囚は病院に連れて行って治療を受けさせた後に自宅に送ると見せて自宅に強引に拉致して強姦。
その後、被害者少女は自力で逃げ出せましたが、住所を控えていた関光彦死刑囚はその少女宅に侵入。
それから、両親と祖母、4歳の幼い妹を包丁や紐を使って次々に殺害し、殺された母親が横たわる横で被害者少女は再び関光彦死刑囚に強姦されるといういたたましい事件だ。
第3位:地下鉄サリン事件
1995年3月20日に東京メトロ霞ケ関駅などで発生した同時多発事件である。
事件の主犯者は、当時テレビ番組に出演するほどの影響力があった宗教団体のオウム真理教の教祖、麻原彰晃をはじめとした幹部たちだった。
オウム真理教は、全盛期は5万人を超える信者がいたほどの新興宗教で、麻原彰晃は宙に浮くことができるという伝説などがある。
しかし、実際のところは麻原彰晃が自身の私利私欲のために創設したとの見方が強く、この世で一番儲かるビジネスは宗教と口にしていたこともあったそうだ。
また、自分以外の男性には嫁以外の性交を禁じる一方で、自身は複数の若い女性信者と関係を持ち、特に男性経験がない女性を中心に毎夜相手にしていたことも発覚している。
そのため、オウム真理教の実態は宗麻原彰晃の独裁国家であり、多くの信者が麻原彰晃によって洗脳され、都合のいいように扱われていたとされる。
日本の首都である東京都で発生したテロ事件であったため、13名もの死者が発生し、6,300名もの方が体の不調を訴えるなどの被害に遭う。
中には、意識不明状態に陥り、植物状態となってしまった方も少なくない。
事件からおよそ2ヶ月後の5月16日、麻原彰晃は逮捕。
その際、麻原彰晃は隠し部屋に現金960万円を持って怯えていたそうだ。
また、発見時は失禁していたそうで、多くの人間を洗脳し、自身の団体を作り上げた男の哀れな本性もむき出しになった状態で逮捕された。
2018年7月6日、幹部らと共についに死刑が執行された。
第2位:女子高生コンクリート詰め殺人事件
1988年に発生した凶悪事件である。
当時17歳だった女子高生を拉致監禁し、仲間全員で乱暴・暴行を数十日に渡り繰り返した挙句、殺害後はコンクリートに埋めて遺棄するという事件だ。
遺体が発見されたことで4人の犯人たちが逮捕されたが、極刑とはならなかった。
なぜなら、犯人たちは当時全員が未成年で、被害者女性は顔写真付きで実名報道されたのに対し、加害者たちは実名報道されず、国と法律によって守られた結果となっている。
現在も出版中で、多くの芸能人のスキャンダル・不祥事を独自取材で報じ続けている週刊文春。
その行動力は、女子高生コンクリート詰め殺人事件当時から変わっておらず、違法であるにも関わらず、加害者少年たちの顔写真を実名付きで報じた。
当時の週刊文春では、ひとりの女性を数人で乱暴・暴行を繰り返した加害者らに対し、少年だろうと野獣に人権はないと断定して掲載を判断したことでも知られている。
第1位:北九州監禁殺人事件
2002年3月から始まったこの事件は、松永太死刑囚が人の弱みを利用して暴力による恐怖で洗脳し、被害者同士を殺し合わせるという日本犯罪史上でも非常に稀有で人間の恐ろしさを世間に知らしめた猟奇的連続殺人事件である。
それに加担した内妻の緒方純子受刑囚も被害者であり加害者であった。
この事件が本格的に猟奇的な領域に入っていったきっかけは、松本太死刑囚と緒方純子受刑囚の二人が監禁・拷問を繰り返していた少女Aが逃げ出したことから始まった。
少女Aは小学生時代から拷問を受け続けており、17歳の時に監禁先から逃げ出して警察に通報したが、それにきっかけに松本太死刑囚はいよいよ支配を強めていく。
松本太死刑囚は少女Aを始め、緒方純子受刑囚の家族などを金銭目的で換金し、暴力と言葉によりマインドコントロール下に置き、相互に憎み合わせることで殺し合いをさせた。
そして、遺体は緒方受刑者と生き残った者に遺体をバラバラに解体させ、煮詰めて肉団子にして捨てさせていた。
まとめ
刺激的過ぎる事件も多くあるが、こういった事件が実際に起きていることも知っておくのも悪くないだろう。
様々な事件が日々起こる中、どういった人生を送ることが自分にとって幸せなのか考えるきっかけになる。
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