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2021年9月28日 投稿:swing16o

今さら聞けない中東はどのように今に至ったか

偃武修文(えんぶしゅうぶん)
→ 偃武とは、武器を伏せおさめ用いないこと、戦争をやめて文化を高めること。

未だに現役で異彩を放っている政治家に麻生太郎氏がいる。

もちろん、政治家なので彼に対して賛否両論あるが、妙に説得力のある発言がある。

それは2020年9月9日に角川ドワンゴ学園が運営する通信制高校のN高等学校(N高)が設立した、N高政治部の授業に登壇ときのものだ。

若者が政治に関心がないことは、悪いことではないという理由に、それだけ日本で平和に暮らしているということを挙げた。

そして、アフガニスタンなど戦闘が続く地域は生活するために政治に関心を持たざるを得ないと続けている。

政治に関心が無くても平和に生きられる国にいる方がよっぽど良いという持論を展開したのである。

一方で、政治や政策について意見を持ったり、選挙で投票したりするためには、普段から政治に関心を持っていないと自身で判断ができないとも指摘している。

それから、新聞やテレビなどの情報だけでは偏った意見になり兼ねないとして、幅広い情報に触れておく必要性を説いている。

この発言については、確かにおっしゃるとおりだと思う。

日本は平和だが、世界に目を向けてみると、必ずしもそうではない地域もたくさんある。

 

ということで、ニュースでは耳にするけれども、いまいちよくわかっていない中東について調べていると、非常にわかりやすくまとまった記事を発見した。

中東はどのように今に至ったのか

(出典:NHK)

独裁体制がもたらした安定

まず、中東がどの範囲を指すのか。

広義では西アジアから北アフリカにかけての広い範囲がこれに当たるとされる。

東はイランから、西はチュニジアまで、アフガニスタンやアルジェリア、モロッコなどが含まれることもある。

 

このうち中東のど真ん中にあるイラクとシリアを中心とした地域ではずっと不安定な情勢が続いてきた。

内戦が続くシリアでは、アサド政権の軍や、民兵組織、外国の軍、反政府勢力、さらに過激派組織と、さまざまな勢力が入り乱れて戦闘が繰り返されてきた。

この内戦の過程で、国境はあいまいなものとなっている。

シリアと接しているイラクとの国境は過激派組織が自由に行き交うようになった。

シリアとトルコとの国境は、過激派組織に加わるために世界各地からやってきた若者たちにとってシリアへの入口となる一方、家を追われた人たちにとっては出口となった。

 

ただ、今の混乱に陥る前、中東は比較的安定していたという事実もある。

その安定をもたらしていたのは、独裁的な政権だ。

20年、30年と1人の独裁者が君臨したり、絶対的な権力を持った王族が支配したりする国が少なくなかった。

こうした国々では国民が常に監視され、反体制派とみなされると理由もなく逮捕され、拷問を受けることさえ珍しくない。

良し悪しは別として、国民を押さえつけることで独裁的な支配が実現し、それによって治安の安定を実現してきたのである。

アメリカと石油とイスラエル

その独裁を許してきたのがアメリカだ。

アメリカは1930年代にサウジアラビアで石油の利権を獲得してから、この地域で巨額の利益を上げてきた。

石油を安定的に確保し、利権を守るためには中東の安定は絶対条件となった。

そして、アメリカが中東で国益と位置づけるもう1つの要素が同盟国イスラエルである。

アラブ諸国の反対を押し切る形で1948年に建国されたユダヤ国家は、自らの存在を守るため、中東でいわば四面楚歌の状態で紛争を繰り返してきたのである。

 

こうした中、1979年にアメリカはアラブの盟主エジプトに接近し、イスラエルとの間に歴史的な平和条約を仲介した。

その後、アメリカはエジプトの独裁的な政権に対して軍事的な支援を続けている。

かつてこの地を委任統治領としていたイギリスがパレスチナの地を離れて以降、国内にユダヤ人を多く抱えるアメリカにとって、イスラエルの安全保障は一貫した中東政策の柱だ。

アラブ諸国と敵対するイスラエル、そしてその後ろ盾となるアメリカを軸として、中東情勢は長年推移してきた。

石油の確保とイスラエルの安全。

それを守るためにアメリカが欲した安定は、結果として中東の独裁的な体制を維持させたのである。

アラブの春で秩序は崩れた

2010年の年末に北アフリカのチュニジアで始まり、瞬く間にアラブ諸国に広がった、アラブの春。

独裁を終わらせ、民主化を実現しようという当時の動きはそれまでの冬と対比する形でそう呼ばれた。

中東ではほとんどの国で、デモが厳しく規制されていましたが、人々は当局の弾圧を恐れずに街頭に繰り出し、民主化を訴えた。

チュニジアとエジプトでは大統領が退陣。

40年余りの独裁が続いたリビアでは、内戦に発展したあげく、カダフィ大佐が殺害された。

独裁政権によって維持されていた中東の秩序がもろくも崩れていく様は、中東を取材していた記者たちにとっても、信じがたい展開で、日本でも大きく報道された記憶のある人も多いだろう。

絶対的な権力も、変えようと思えば変えられるという、アラブの春は人々に意識の変化をもたらした一方で、混乱も招くことになった。

 

エジプトでは独裁政権の崩壊後、独裁体制下で弾圧されてきた宗教組織、ムスリム同胞団が台頭し、選挙で同胞団出身のモルシ大統領が勝利。

ところが、保守的な政策を掲げるモルシ大統領に、アラブの春を経験したリベラルな若者たちは反発し、相次ぐデモで首都カイロは再び混乱。

これに乗じて軍が事実上のクーデターを起こした結果できたのが、現在のシシ政権である。

民主化に沸いたはずのエジプトは、結局、軍の力を背景にした独裁的な政治体制に逆戻りした形となったのである。

アサド政権はなぜ踏みとどまった?

エジプトやリビアで、アラブの春が猛威を振るう中、当初のシリアは落ち着いているように見えた。

チュニジアでベン・アリ政権が崩壊し、暫定政権が発足した直後の2011年1月18日、シリア政府は国民の声に耳を傾けているので、同じような問題は起きないという意見が多かった。

ところが、その2ヶ月後にシリア南部のダラアで政治的な自由を求める大規模な抗議活動が起き、治安部隊との衝突で4人が死亡。

これが今日まで続き、35万人が犠牲になる内戦に発展したのである。

 

なぜシリアでは独裁政権が倒れなかったのか。

その背景には古代から人やモノが行き交い、多様な宗教や民族からなるシリア特有の事情がある。

シリアの人口構成を宗教・宗派別に見ると、最も多いのはイスラム教スンニ派で74%余り。

続いて、シーア派系のアラウィ派で13%余り、キリスト教のさまざまな宗派合わせて10%と続く。

アサド大統領自身はアラウィ派で、政権の中枢もアラウィ派で占められている。

軍や治安機関の上層部にもアラウィ派が登用されているが、スンニ派やキリスト教徒、それに民族的にアラブ人とは異なるクルド人も取り込んだ支配体制が形成されている。

エジプトやチュニジアでは、独裁的な大統領を支えてきた軍が民衆の声を背景に大統領に退陣を迫り、内戦に発展したリビアでは軍が次々に離反して指導者が孤立し、最終的に政権が崩壊した。

シリアが同じ道を歩まなかったのは、他の宗教・宗派を取り込んで、一蓮托生で大統領を支える仕組みを作り上げていたことが挙げられる。

国境を無視した建国

抵抗する反政府勢力と、その殲滅を図るアサド政権という構図を主軸に拡大していったシリアの混乱は、内戦へと発展する過程で一層複雑化していく。

イランや、様々な民兵組織がアサド政権を支援するために参戦し、反政府勢力側も離合集散をくり返した。

2013年8月にシリア情勢について、内戦の複雑化、泥沼化がエスカレートしていく中、シリアは破綻国家となりかねない危機的な状況と伝えられている。

アルカイダ系の過激派が勢いを増していたのは、ちょうどこの頃になる。

その過激派が、イスラミックステート(ISIL)の樹立を宣言したのは2014年6月。

シリアとイラクにまたがる、従来の国境を無視した一方的な建国は世界を震撼させた。

ISという言葉が日本でも浸透していったことは多くの人が記憶しているだろう。

 

過激思想の拡散で世界からジハーディストを集め、急速に勢力を拡大したISは、シリア内戦にかかわる多くの勢力にとって脅威となった。

シリアやイラクの政府軍、反政府勢力も各地でISとの戦闘を開始。

アメリカ主導の有志連合が反政府勢力を支援する形で介入し、ロシアもアサド政権を支援するために参戦した。

これによってISは徐々に弱体化し、2017年7月にイラク最大の拠点モスル、10月にはシリア北部のラッカを失う。

建国から3年余りでジハーディストたちの理想郷は事実上崩壊した。

ポストIS時代のリスク

ISの急速な台頭と凋落は、その前後でシリア情勢を劇的に変えた。

一時、劣勢にあったアサド政権はロシアの支援で息を吹き返し、反政府勢力に対して圧倒的な優勢に立った。

それによって、中東で大きく勢いを増すことになった国がある。

それは、イラク、シリア、レバノンと、自国から陸続きの広大な範囲で影響力を確保することになった、シーア派の大国イランだ。

イランの影響力拡大は、中東の長年の火種に油を注いだ。

スンニ派の盟主を自任するサウジアラビアとの覇権争いだ。

イランによる核やミサイルの開発を警戒するサウジアラビアは、アメリカのトランプ前大統領をいち早く取り込み、就任後、最初の外遊先とすることに成功。

さらに、敵の敵は味方の論理でイランを最大の敵国とするイスラエルに接近しているとも指摘されている。

 

そして、ISとの戦いで勢いを増したもう1つの勢力がクルド人である。

シリアやイラク、トルコ、イランにまたがる地域におよそ3,000万人が暮らし、国を持たない世界最大の民族とされる。

ISとの戦いの先鋒に立ち、勢力を拡大したクルド人勢力は、ISの掃討後、再びそれぞれの国との間で対立が表面化している。

イラク北部では住民投票を実施し悲願の独立を目指したが、イラク政府が送った部隊に抑え込まれ、さらに内紛も重なって失敗に終わった。

自治が始まったシリア北部でも、自国への影響を懸念するトルコ軍が軍事作戦を開始。

紛争が拡大する懸念も出ている。

ISの脅威が去り、サウジアラビアとイランの覇権争い、そしてクルド人の悲願という中東の2つのリスクが顕在化したのである。

責任者不在の中東が向かう先は?

中東で取材をすると、どの国にいても、国民がアメリカの事情にやたらと詳しいことに驚かされるそうだ。

それはアメリカがいかに積極的に中東に関与してきたかを示しているのかもしれない。

かつて中東では、1991年の湾岸戦争、2003年のイラク戦争など、アメリカが思い切った関与をして秩序を守り、あるいは形づくってきた。

しかし、国民に多大な負担を強いたイラクでの教訓から、オバマ政権は、積極的な関与を控えた。

トランプ前大統領はオバマ政権の中東政策をことごとく批判し、エルサレムをイスラエルの首都と認めた。

これまでになくイスラエル寄りの姿勢はパレスチナ側の怒りを買い、中東和平の見通しはつかなくなっている。

さらに、核開発を制限する見返りに、欧米などが制裁を解除するとしたイラン核合意からの離脱を表明し、先鋭化するイランとの対立は地域の不確実性を一層高めることになりそうだ。

 

ただ、シェール革命で、アメリカが巨大な埋蔵量を持つエネルギー大国となり、中東に依存する必要がなくなっている。

トランプ政権も変わり、アメリカの関与が弱まる中、相対的に中東で影響力が高まっているのはロシアだ。

シリアをめぐり、トルコやイランとの関係を深めるロシア。

一時は、中東和平交渉にも関与する姿勢を見せた。

ところが、ロシアが中東にどう関与しようとしているのかはまだはっきりしない。

アラブの春やシリア内戦の混迷を経ていったん壊れかけた中東の秩序は、今後、再構築される段階に向かうとみられる。

秩序をいかに自分たちに有利になるように形づくるか。

それぞれのプレーヤーの思惑が交錯するとき、そこには常に新たな衝突のリスクが付きまとう。

まとめ

非常にわかりやすく勉強になる記事だったので、ほぼ引用させてもらう形になったが、歴史を知ることができるので、興味のある方は一読していただきたい。

 

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植田 振一郎 Twitter

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