艶言浮詞(えんげんふし)
→ 相手の機嫌をとる言葉、猫なで声、お世辞のこと。
相手の機嫌をとることやお世辞をいうことはネガティブに捉えられることも多い。
けれども、私はこれが自然にできる人は、特技だと思っている。
明らかなヨイショは論外だが、自然と気持ちよくさせてくれる人にたまに出会うと、自分もそうありたいと思うのである。
世の中は、人と人のやり取りなので、相手に気に入られることは絶対的に大切なことは言うまでもない。
そのための根本の部分はコミュニケーションの取り方だろう。
コミュニケーションの根幹にあるもの
近年、アメリカを中心に新しいフレーズが浸透しつつあるという。
そのワードが、Convicted Civility(信念ある礼儀正しさ)である。
職場における礼節が真のエリートを作る理由として、注目されている。
常にインターネットに接続できる時代、誰でも簡単に多くの情報にアクセスすることができる。
そんな中で、自分の意見をしっかり持つことがどんな意味を持つのか、議論されているのである。
自分自身の意見を持って人生を謳歌することが大切だということは誰にでも理解できるだろう。
でも、それを実際に行うことができているかというと、なかなか難しかったりする。
とりわけ、日本では重視される空気を読むという文化は、自分自身の意見を持って堂々と渡り歩く人をネガティブに捉えがちだ。
炎上という言葉が定着し、大の大人が寄ってたかって叩かれる姿を見ると自分の意見を堂々と発言することに躊躇する場面も増えているはずだ。
そして、それは日本だけに限った問題ではなくなっている。
アメリカを強国にした理由の1つに、公開討論や論争を文化の1つにしてきたことがある。
それが今や、架空の人物や仮面をまとった表に出てこない人たちが目立つようになってきている。
相手の前に立って堂々と意見を言うことができないという文化に変遷しつつあるテクノロジーの弊害に直面いているのである。
そんな人の心理を上手く表現している言い回しがある。
確固とした自分の意見を持っている人は、自分とは違う見方をする人に対して無愛想で冷ややかな態度を取りがちだということ。
一方で、あまりにも礼儀正しくあろうとする人は、自分の意見を真っ向から述べない傾向があること。
そう、コミュニケーションの根幹、必要とされているものは、その中庸なのである。
つまり、極端ではなく穏当なこと、偏らず中世なことが求められる。
Convicted Civility(信念ある礼儀正しさ)を実現するために必要なもの
では、注目されているConvicted Civility(信念ある礼儀正しさ)を実現するためにはどうすればいいのか。
人生の多くは社会人として過ごすことになるので、職場やビジネスの場面での対応についてまとめてある。
意見の対立が生じたらどうすればいいのか、そんなときに真のエリートはどのように対応するのか、対応してきたのかを参考にして欲しい。
聞く力
まず、大切なことは聞くということだ。
人の意見というのは、その人を形成している部分なのでかなり深いところまで本来は深堀りしなければわからないのである。
それなのに、あからさまに否定されたり反論されたりすると、当然その人は心を閉ざしてしまう。
そして一度守りの姿勢に入った人を開放することは、なかなか難しいとされている。
私自身も耳が痛いところではあるが、つい自分の伝えたいことばかり話して、相手の話す時間を遮り聞いていないことが多々あるように思う。
とはいえ、相手の意見に乗っかって自分の意見をなくすということがあっては、物事が前に進まなくなる。
真のエリートは、相手の意見に無理に同調することなく、それでも相手の意見に耳を傾け、それを機嫌よく受け止めるのである。
つい、時間がないからとそこをないがしろにしがちだが、聞くという時間をしっかりとることで、コミュニケーションの向上に繋がることを意識したい。
話す力
聞く力が重要なのであれば、自ずと想像がつくと思うが、話す力も重要になる。
自分の意見をどのように伝えていくかがポイントになる。
このときに特に注意したいのが、冷静で穏やかな口調で話をすることである。
当たり前の話だが、トゲのある話し方をする人がいれば、その人を受け入れようとはしないだろう。
余裕のある話す力は思っている以上に相手に届くと思った方がいい。
相手に敬意を払う力
話すときに大切なのが、相手の立場になって、なぜ自分と違う意見を持っているのかを冷静に考えることが重要だという。
意見を聞いて、とっさに怒りや反感を感じたときには、なかなか冷静な態度をとることは難しいかもしれない。
私もついすぐに言い返してしまうタイプなので、これもまた耳が痛い。
そんなネガティブな感情を持ったとしても、感情に任せて怒ったり、不機嫌になるのではなく、なぜ相手がそういった意見を言ってきたのか、冷静に判断することだ。
もちろん、自分の考え方や相手の考え方が変わるとは限らない。
けれども、相手に敬意を払うことを意識すれば、最初の印象よりも悪くなることはないだろう。
自分が尊重されたいのであれば、相手のことを尊重する、ただそれだけのことがなかなか難しい。
相手にむやみに同調しない力
結論、相手と意見が合わなくてもいいのだ。
是々非々で物事を捉えることが大切で、意見が合わないからといって、前に進むことができないことは最も避けるべきことだ。
仮に自分と意見が合わない人がいるからといって、協力できないような関係になってはいけない。
そこに敬意があれば、そういう人だということで割り切って前に進む方法を導き出すことが大切なのだ。
まとめ
コミュニケーションという便利な言葉があるが、複雑に入り混じっている言葉でもある。
Convicted Civility(信念ある礼儀正しさ)とは、大胆であってもいいんだという言葉に置き換えることもできるそうだ。
なるほど、人間同士のコミュニケーションなのだから、自分と全く同じ人はいないわけで、自分の意見を尊重してもらいたければ、大胆でいいのである。
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