有耶無耶(うやむや)
→ あるかないか、はっきりしないこと。転じて、いいかげんなこと。
私は割と完璧主義よりの考え方の人間だと思っている。
けれども、完璧を求めないように物事を進めていくことを心がけている。
その理由は至極単純で、私は職人ではないからである。
なにが言いたいかというと、クリエイティブな側の人間であることに違いはないが、1点モノを作っているわけではない。
結果、希少価値の高いサービスになればいいと思っているが、全てが100%になってから進めていく必要がない。
逆にある意味で有耶無耶にしながら進める必要があると感じている。
プロジェクトの立ち上げ時の2パターン
よし、こんなプロジェクトをやろう!と決めたとしよう。
その時点で2パターンの人に分かれる。
しっかりと準備をしようとする人と、ざっくりでもいいからとにかく動き始める人だ。
プロジェクトを立ち上げるときは圧倒的に後者の勢いで始める方がいい。
その理由は単純で準備することは無意味だからである。
なにかを始めようとして考えたところで、そのとおりにいくことなどない。
百歩譲って慎重に始めたとしたら、最初は予想どおりに進むかもしれないが、先のことなどわかるわけがない。
用意周到という言葉もあるが、それはプロジェクト立ち上げ時に必要なものではない。
営業をするときやプレゼンをするときには、ある程度のシミュレーションはしておいた方がいい。
ざっくりいい加減なくらいで進めたとしても、なんとかなるものだ。
いや、正確にいうとなんとかするように言動を起こすようになる。
ハッタリと嘘の狭間
真面目に考えすぎると先に進まないことがある。
これも完璧主義者の欠点に繋がるところになる。
例えば、仕事をもらう立場だったとしよう。
仕事をもらうためには、相手の要望に応えなければならない。
ここで、完璧主義者の人だと自分にはできない部分があるからと断ったり、返答に躊躇したりする。
でも、そうでない人は、それこそノリでできますと即答する。
一見、いい加減だと思われるかもしれないが、最終的にやるべきことは相手の要望に応えることだ。
極論、最初はいい加減だと思われてもいいが、最後に帳尻を合わせることができればいいのだ。
これを私はハッタリと呼んでいる。
ところが、最終的に帳尻を合わせることができなかったとき、つまり相手の要望に応えることができなかったとき、それは嘘になる。
嘘になると信用を失うから、発言が遡ってハッタリになるように必死に動き回るという理論だ。
自信が信用に繋がる
ハッタリの連発は身を滅ぼしてしまうリスクを高めてしまう。
ただ、ある程度のハッタリを入れることで緊張感を保つことも必要だと思っている。
そして、ハッタリでも仕事や物事を達成していくと自信がついていく。
なにも大きなことをやる必要はなく、小さな成功体験を積み上げていくということをくり返せばいい。
その小さな成功体験が自信になっていく。
自信が生まれると、行動や発言にも変化が生まれるので、さらに大きなことを成し遂げることができるようになる。
そうなると、あの人に任せておけば大丈夫とか、あの人と一緒に仕事がしたいという価値が生まれてくる。
とどのつまり、自信が信用を生むという好循環が発動するのだ。
なによりも成功体験を積むことは中毒性があり、その高揚感は何ものにも代えがたい。
いい加減から始まったものが、いい加減でなくなっていく。
はっきりしない、いい加減なものが形になる瞬間
偉そうに述べてきたとおりだが、あるかないか、はっきりしないもの、いい加減なものに価値がないとは限らない。
実際にこの仕事をやろう!と決めて動き始めたとしても、良い結果が伴うとは限らない。
根性論や精神論は完全に時代遅れで、私は上手くいくものには必ず理由があると思っている。
その根底にあるものは好きで好きでたまらない情熱というか、やり切るというという強い気持ちがあることは間違いない。
それは根性論や精神論ではないかと揶揄されるかもしれないが、もちろんそれだけではダメだ。
周りを巻き込んでいく推進力、開拓していく行動力、事業をやっていくための資金力、売り込んでいく営業力、どんな場面にも順応できるアドリブ力など、挙げればきりがない。
いろいろな条件が上手く噛み合ったときに、爆発的に上手く回る瞬間がくるように思うのである。
瞬間、瞬間を切り取ると、組織が上手く回っていないとか、人間関係が崩れているとか、歪な形も見える。
とはいえ、それはあくまで瞬間を見ているだけで、全体を捉えていないので、あまり意味がない。
往々にして勢いよく進んでいくときには、多くのところで不備は起こるものだ。
今までになかったものを創り上げていくわけだから、当然失敗やミスも発生する。
はっきりしない、いい加減なものだと、内部や外部から心無い言葉をかけられることもあるだろう。
ただただ、諦めずにやり続けること。
そのためには、当初はがむしゃらにやることも大切だが、そのときどきの状況を見ながら説明できるようにする必要が出てくる。
その先に形が生まれてくる。
凸凹のないキレイなものが評価されることが多いけれども、その真逆にあるものの方がたくさんのストーリーが埋まっているように思う。
はっきりしない、いい加減なものを少しでも価値あるものに変えることのできる力を持つ人になろうと思う。
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