一所懸命(いっしょけんめい)

2021-05-25 投稿: 植田 振一郎

真剣に物事に打ち込むこと。

「訴訟でも何でもしやがれ!」家賃滞納を続けた73歳クレーマー男性の末路

つい目に留まってしまった記事を紹介しよう。

stakのことを考えていると、どうしても不動産関連の情報を取りにいく機会が増える。

なにかしらIoTを不動産に取り込んでいくためのきっかけを探しているからである。

そんな中、この記事の内容はある意味で参考になる。

 

端的にまとめると、大工の73歳の男が手違いで家賃滞納者と管理会社から連絡があったことに激高。

二度と家賃を払わないといいながらも、内心は落とし所を探していた。

著者の司法書士の先生がなんとか話をまとめたが、その後、またも家賃の滞納が発覚。

どうしたのかと問い合わせをしてみると、73歳の男性は孤独死していたという結末だ。

なんともいえない実話に基づいた記事なのだが、こういう男性は案外多いように思う。

最後の締めくくりは、あまりに悲しい結末でしたとなっていますが、私は少々違う感情を抱いた。

それは、全く同情の余地がないというものだ。

強いていえば、下記の箇所には少々動かされるものがあった。

 

お嬢さんが3歳のときに離婚。

娘さんも、すでに50歳になろうとしている年齢でした。

さらに驚くことに、死亡届を出された直後に、娘さんは相続放棄の手続きまでされていました。

 

でも、それは同情というよりもこの人はなんのために生きてきたのだろうという疑問だ。

人はなにかに一生懸命に打ち込むことが少なからずあるだろう。

その尺度は人によって全く違えど、最低限の努力をしたことは一度や二度はあるはずだ。

他人からすると、そんなのは一生懸命でも努力でもなんでもないと揶揄されるかもしれないが、一生懸命や努力の基準は自分自身だ。

となると、他人に決められることではない。

この73歳の男性も大工という職業を全うして、自分では一生懸命に生きていたと主張するタイプの人だと思う。

 

「もぉ許せねえ。俺を滞納者呼ばわりしやがって。訴訟でも何でもしやがれ。金輪際、俺は家賃を支払わねえから!」

 

この一文がこの人の本心というか、全ての気がする。

余裕があるときに余裕な対応ができることは、当たり前のことだ。

追い込まれたときにこそ本性が出るもので、73歳にしてこういう言葉が平気で出るということは器の小ささがわかる。

人の本質はそんなに変わらない。

73歳にもなれば、性格を変えようとしても無理だ。

曲がったことが嫌いというような表現があるが、それはただただ頑固で柔軟性のない、間違った正義の押し付けにしか思えない。

私はこういった人を小さなプライドを持ち続けているとカテゴライズする。

生きていく上で一番に捨てないといけないのがプライドだ。

大工は職人だから頑固でいい、プライドを持ち続けるべきだという声もあるだろう。

ただ、それは長い目で見たときに間違っている。

孤独死で最期を迎えるのがまさにその結果なのだ。

死後のことなどどうでもいいという感覚も理解できるのだが、最期の最期で1人ということは、その人の生き方の象徴だ。

 

この73歳の男性クレーマーも後に引けなくなっている。

きっと孤独で淋しくて、誰かに相手にしてもらいたかっただけなのだろう。

クレームを入れることで相手をしてくれる人が心の拠りどころになっていたことは間違いない。

自分を正当化することでマウントを取ろうとしているが、なにも生み出せずに終わっている。

このように冷静に考えると、ただの憐れな男にしか思えない。

望もうが望まなくても生まれてきた以上、一生懸命に生きることは人としての使命だ。

その一生懸命を間違った形で貫くと、最期は1人になる。

小さなプライドを捨てることは、成長に繋がる。

己の小さなプライドを捨てることで、次に進むことがあるならば、いの一番に捨て去ってしまえ。

独りで生きることには限界があるから、周りに弱さを見せることを恐れるな。

そのことは、いつも頭の片隅に置いておいた方がいい。

 

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