ひとたび微笑めば、千金に値するほどの美人。
美しさとはなんだろうか。
キレイ、カッコいい、オシャレ、スタイルがいい、その形容詞を挙げればキリがない。
多くの人は美しさを視覚で捉えている。
つまり、外見であったり、色使いであったり、景色であったり、見たままの状況をそのまま伝える。
もちろん、それはそれで、美、美しさを表現している。
でも、美しさを感じるマニアックな場面もあるはずだ。
自分の仕事や好きなものに依存することは多いと思うが、数学の問題の答えの解き方であったり、プログラムのソースコードであったり、一定の人にしかわからない美しさもある。
私には、姪っ子と甥っ子が7人いる。
そんな姪っ子、甥っ子たちによくいうのが、オール3の人間になってはダメだということだ。
1つの科目でもいいから、学年の誰にも負けないと自信を持っていえる科目を作るといいよといっている。
それは、幼い頃から感じていた違和感にある。
小学校の先生が未だに一部の専門的な科目を除いて、全教科を教えていることだ。
人それぞれ、得意な科目、好きな科目というのがあるわけで、それを一手に担うことなど合理的ではない。
得意な先生に教えてもらった方が面白いし、興味を持つ子どもたちが増えるはずだ。
ところが、日本の義務教育は今もなお平均値を重視する。
テストの平均点を出すこと、偏差値を出すことなど、教育においてはなんの意味もない。
いかにハマる環境を作ることか、これが先生、大人のやるべきことである。
ベタだが、好きこそものの上手なれというのは、本当に大切な感覚だ。
大人になって仕事をしていると、少なからずやりたくないことをやらなければいけないこともある。
そんな仕事はやはり捗らないが、好きな仕事、得意な仕事だと楽しいと思うことに年齢は関係ない。
美しさもそれに比例するように思う。
歳が若いうちは、表面的な美しさに目がいきがちだが、歳を重ねると単純な美しさ以外にも敏感になる。
表面的な美しさの追求を否定しているわけではない。
stakというモノづくりをやっている以上、視覚から入る情報の大切さも重々理解しているつもりだ。
美というのは、そこだけではないということだ。
ストーリーが加わることで、美に磨きがかかるというか、包み込むように大きく重くなるイメージだ。
その美しさが、単純にカッコいいと思えるし、オシャレにも見える。
そういう美を兼ね備えた人の微笑みは、なによりも美しい。
「「人としての『OS』を磨こう」 マネフォ辻社長が挫折から得た学び」
マネーフォワードという、家計簿アプリやクラウド会計ソフトを提供する企業がある。
2012年に創業してから、あっという間の2017年にマザーズ上場を果たしている優良企業の1つだ。
その創業者である、辻庸介氏の出版に関する記事なのだが、成功した人のヒストリーの1つとして一読しておいていい記事だ。
私が個人的に刺さったのは下記の部分だ。
隣の芝生が青く見えてもそれはただの幻影にすぎません。
自分の価値観でキャンパスに絵を描いていくことが重要です。
自分が判断をしながら事業を進めていくと、つい他のことが気になって、隣の芝生が青く見えるときがある。
そこには少なからず羨ましいという嫉妬に近い気持ちがあったり、逆に自分はなにやってるんだろうという自己嫌悪に近い感情を抱くことがある。
でもそうじゃない、自分のやっていることは間違っていないと、どこか奮い立たせているところがある。
そんなときは、一瞬だけ立ち止まってポジティブにさせてくれる言葉をインプットするのもいいだろう。
なにもしなくても勝手に人は善くも悪くも評価してくるし、それにいちいち呼応していたらキリがない。
自分の求める美しさとはなんだろうか。
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