質屋の俗称。一と六の和が七であることから。
ときどき、ジョークのようなアイディアが社会通念上、まかり通っていたりする。
この一六銀行が質屋の俗称とされているわけだが、その理由が一と六の和が七だからということらしい。
いやいや、和が七になるんであれば、二五でも四三でもなんでもいいじゃないかというツッコミをいれたくなる。
なぜ一六でなければいけなかったのか、その理由も曖昧だったりする。
それは、イチとロクの語呂が良くて読みやすい、呼びやすいということに由来するそうだ。
隠語が使われていたのは、質屋通いが世間体に悪いとの考え方が根本にある。
他にも、七つ屋、セブン屋、セブン銀行といった隠語があったらしい。
現代でセブン銀行といえば、セブンイレブンなどを運営するセブンアイホールディングスの銀行だ。
そのあたりの因果関係も面白い。
それから、こんな冗談のようなルールもある。
車のナンバーで4つほど使われていない平仮名があることをご存知だろうか。
「お」「し」「ん」の3つをまずは紹介しておこう。
「お」が使えない理由は、「あ」「す」「む」と間違いやすく「を」との発音も近いからだそうだ。
「し」は日本人ならあるあるなのでわかると思うが、死を連想させるからである。
「ん」は単純に発音しづらいからということだ。
最後の1つを知ったとき、決めた人のセンスを疑った。
「へ」が使えないのだが、その理由は「屁」を連想させてイメージが良くないからというものだ。
大の大人が真面目な会議の場面で真剣にこのことを議論していたのであれば、笑えてくる。
「へ」がダメなら他にもたくさんあるだろう。
「ち」は「血」を連想させるし、「く」は「苦」を連想させることだって容易だ。
こういったことが案外まかり通っていることを知っておくと、博識だと思われる場面もあるので、知らなかった人はインプットしておくといい。
話は戻って、一六銀行が質屋の隠語をあらわしていることは理解したとして、普通に数字が使われた銀行を見たことがある人も多いのではないか。
この記事を読めば銀行の歴史がある程度わかるので、目を通すことをオススメする。
銀行の歴史は明治時代に遡る。
時代が幕末から明治へ移っても、明治政府は通貨を整備することにまで手が回らなかった。
考えてみれば当然なのだが、時代が変わったことによって様々な貨幣の流通があったことが混乱を生んでいた。
例えば、幕藩時代の藩札や、政府が発行した両という単位のの貨幣や紙幣。
それ以外にも、商業の振興を目的に作られた為替会社が発行した紙幣などといった具合だ。
この事態を収拾するために、明治政府は明治5(1872)年に「国立銀行条例」を制定した。
民間の銀行に銀行券を発行させ、これまでの紙幣を新しい銀行券と交換させて回収しようとしたのが始まりだ。
国立銀行条例に基づいて4つの国立銀行が設立された。
東京に設立された第一国立銀行は、第一勧業銀行を経て現在はみずほ銀行になっている。
横浜に設立された第二国立銀行は、現在は横浜銀行として存在している。
第三国立銀行は大阪に作られるはずだったが、設立時のトラブルで営業開始前に解散したため存在しない。
新潟にある第四銀行は、今もその名前のまま存続していて、現在、日本で一番歴史の長い銀行だ。
その後、第五国立銀行は大阪で、現在は三井住友銀行に引き継がれてという形で、第百五十三国立銀行までできた。
それが、今や統合で6行しかない。
- 第四銀行(新潟市)
- 十六銀行(岐阜市)
- 十八銀行(長崎市)
- 七十七銀行(仙台市)
- 百五銀行(津市)
- 百十四銀行(高松市)
こうして歴史を振り返ると、銀行ができてから150年も経っていないことがわかるのは、少し意外ではないだろうか。
銀行や金融の歴史については、興味のある人も多いと思うので改めてテーマにしようと思う。
stak社が取り引きのある銀行は広島に拠点を置く地銀ばかりだが、その経緯についても参考までに語るとしよう。
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